第13話「王都の門、観測の眼」
王都の城壁は、夜明けの空を背に巨大な影を落としていた。
針のように尖った塔が並び、その間に吊られた鐘が風に揺れる。
近づくにつれ、壁面の石には無数の刻印が彫り込まれているのがわかる。
それは神殿が定めた秩序の符号――「この城壁を守るのは神の言葉だ」と主張する、目に見える法だ。
門前には、すでに多くの列ができていた。
農夫や旅人、商隊が順に検めを受けている。印章を示せば入れるが、俺たちには別の「呼び出し」がある。
三日前の戦いのあとに現れた神殿印の影術師――あいつが言った「三日後、門で会う」という約束。
「落ち着けよ」
リクが俺の肩を叩く。
「緊張してんのが顔に出てるぜ」
「出ても仕方ない」
俺は痣のある手を袖に隠し、吐息を整えた。
影獣との共鳴以来、痣はときおり熱を帯びる。まるで城壁の刻印に反応するように。
神殿の印と影獣の気配が、互いを呼び合っているのだろう。
門前の広場に足を踏み入れた瞬間、ざわめきが起きた。
人々の視線が俺に集まる。
商人の一人が噂を口にしたのだ。「影で魔物を退けた者たちが来た」と。
好奇と恐怖が入り混じる視線。
それは慣れつつあるが、王都の空気は他と違う。
ここでは噂がそのまま「記録」に変わる。神殿が人々の声を集め、印章に刻む。
俺は「逸脱者」として計測されるだろう。
やがて、城門の前に白衣の列が現れた。
胸に神殿印を縫い込んだ者たち。
先頭には、あの影術師が立っていた。
喉元の印章が微かに光り、目は氷のように冷たい。
「約束通りだな」
男の声は広場に響いた。
「影潜り、そして未登録の鍵血と幼少の影適性者。王都は汝らを計測する」
広場の中央に、白布を張った円が設けられた。
それは「観測陣」。影と血を測るための場。
俺たちはそこへ導かれた。周囲を囲む人々の視線が熱を帯びる。
まずリクが外へ出され、武器を預けさせられた。
次にルナ。小さな体に印章が押し当てられ、影との適性を測られる。
ルナの影はわずかに揺れただけで、神殿印は「未熟」と記した。
エリシアは印章に触れた瞬間、強く光を放った。
観測者たちがざわめく。「純度の高い鍵血だ」と。
彼女は唇を噛み、視線を逸らした。
そして俺の番が来た。
円の中央に立つと、痣が熱を帯びた。
観測者が杖を掲げ、言葉を唱える。
布に映る俺の影が揺れ、膨張する。
「――ッ!」
観測者が思わず後ずさった。
影が勝手に形を結んだのだ。
狼。
黒く曖昧な輪郭を持つ獣の影。
それは俺の足元から立ち上がり、吠えることなく広場の空気を震わせた。
ざわめきが一気に広がる。
「影獣……!」
「人が契約するなどありえない!」
影獣は俺と同じ動きで首をめぐらせ、観測者たちを睨んだ。
その姿は脅威そのもの。だが同時に、俺の心臓の鼓動と重なり合っていた。
影術師が一歩前に出た。
「……なるほど。逸脱どころではない。お前は“新たな影の器”だ」
「器?」
「神殿が長く探し求めてきた存在。影を収め、影を従える器。だがそれは秩序の外だ。だからこそ――救済が必要だ」
救済。その言葉に、俺は奥歯を噛んだ。
それは切断と同義だ。影獣との繋がりを断ち、ただの道具として収めること。
「俺は従わん」
影獣が低く唸り、俺の言葉を増幅する。
「影は俺の選択だ。神の縄で縛られるものじゃない」
広場に緊張が走った。
観測者たちが杖を構え、影術師が手を上げる。
「ならば試すまでだ。器か、災厄か」
その瞬間、観測陣の布が裂け、影が沸き立った。
黒い糸が束ねられ、人の形を模す。
観測者たちが編み出した影兵――神殿が作る影の兵器。
十体。
それらが一斉に俺に襲いかかる。
影獣が吠えた。
俺の血が熱を帯び、視界が二重に重なる。
人と獣、二つの目で戦場を見据える。
「来い――!」
俺は拳を握り、影獣と共に駆け出した。