(4)
事務所二階、ボロボロのソファに腰かけたエラは、左腕に装着した代替用のシリコン製簡易電動義手で、三角形に切り分けられたたまごサンドを掴むと、行儀悪くその角を老人の方に向けた。
「そんで、このいかにも頭の固そうなじいさんが、ロッコイのおやっさん。あたしの義手とか武器とかの面倒を見てくれてる。腕はいいんだけどいちいち小言がうるさくて面倒だから気をつけろ」
「わしがうるさくなるのはおめぇが馬鹿やらかすときだけだ!」
実に適当な感じでロッコイをルガァーに紹介したエラは、ロッコイのクレームをシカトして、待ってましたと言わんばかりに手に持っていたたまごサンドにかぶりつく。
「んんッ! やっぱデルックのたまごサンドは最高だな! このピリ辛ソースが癖になるんだよ!」
今更エラに何を言っても無駄だとわかっているらしいロッコイは、早々に追及を諦めて、同じくテーブルに雑に並べられたたまごサンドを手に取った。
エラとロッコイとルガァーの三人は、簡素な木製の丸テーブルを囲んで少し遅めの昼食を取り始めた。
「で、いつから託児所に商売替えしたのか知らんが、そんな迷子のガキを連れてきてどうするつもりだ、エラ?」
ロッコイはたまごサンドを頬張りながら、大きな三角形のたまごサンドをどう食べればいいのか、悪戦苦闘中のルガァーに目を向けた。
「親を探してやろうと思って」
「探す当てはあんのか?」
「まあ適当に聞きまわってたらそのうちみつかるんじゃないか?」
「このご時世、そんなうまく行きゃしねぇだろ。そもそもその子の親は生きてるのか?」
貧しく自分の生活すら危ぶまれる時代、街には孤児など何も珍しくない。ルガァーもその一人ではないのかと暗に問うている。だがそんな事エラも百も承知だ。
「でもコイツ、追われてるみたいなんだよ」
「あん? だれに追われるってんだよ。落伍者か?」
「いや全然違う。もっと他の連中。もうちっとばかし面倒な連中だよ」
「もったいぶらなくていいから早く言え。誰なんだ?」
「ジオーレの部下」
「ソイツは本当か?」
「ウォルターの旦那も見てたから間違いねェよ」
「……そいつはまた厄介な」
ペチンと、ロッコイはつるつるの額を勢いよく叩いて小気味の良い音を立てて項垂れた。
「なんで連中に追われるんだ? 借金の取り立てか?」
第十三管理区の管理区長ジオーレは、その立場を利用して管理区内の様々な事業に絡んでいる。中には、大戦前の法規であれば間違いなく違法と見なされるような高利の貸業もあったはずだ。
ロッコイの問いに、エラは肩を竦めて首を傾げた。
「さあ? まあそこんところをはっきりさせときたくてコイツを連れて来たわけさ」
ようやく事の次第を把握したロッコイは、なるほどと呟くと、その小さな口でおっかなびっくりたまごサンドを齧るルガァーに水を向けた。
「で、坊主よ。なんで追われているのか、心当たりはないのかい?」
エラに接するときには一切見せることのない穏やかな調子でロッコイは訊ねる。だがルガァーは力なく首を横に振った。
「わからない」
ロッコイは唸り、しかめ面でエラを睨む。
「ったく。おめぇは毎度トラブルばかり持って帰ってきやがるな」
「そんな目で見ないでくれよ。あたしだって好き好んで揉め事に関わりたいわけじゃないさ。だけどよ、ほっとけねェだろ?」
エラの視線が傍らでたまごサンドを頬張るルガァーを見つめる。
たまごサンドを安全なものと認識した少年は、口元にソースが付くことも厭わず、無心で食べ始めた。よほどお腹を空かせていたことはそのがっつき具合から容易に想像がつく。
「ルガァーとかいったな。おめぇさん、親父さんかお袋さんはどうした? どこにいるのか知らねぇのか」
ルガァーがサンドイッチを食べ終わるのを待って、ロッコイは訊ねる。
「わからない。親の顔は知らない」
「やっぱ孤児なのか」
となると親の借金の線は少し考えにくいそうだ。だがだとするとあの腐れ成金管理区長は何の目的で独り身の子どもを追いかけているのか。
「今まではどうやって生活してきたんだ?」
エラが自分の口元についたソースを手の甲で拭いながら訊いた。
「……村。小さな村で芋とトウモロコシをつくる手伝いをして暮らしてた」
「その村の名前は? どこかわかるか?」
ルガァーは寂しげに首を横に振った。
「なんでその村から出て来たんだ?」
何もなければ、この街で一人彷徨うこともなかったはずで――、エラからすれば当然の疑問ではあった。
だがその時ツーっと一筋の水滴が少年の頬を伝う。
膝を抱えてソファの上で縮こまる幼い子どもが、それでも必死で奥歯を噛み締めて嗚咽を堪えようとする姿はあまりに痛ましく、それが踏んではいけない地雷だったのだとエラは今更ながら察する。
「もういい坊主。それ以上は話さなくていい」
ロッコイが静かだが威厳のある言葉で制す。
そのまだ頼りない小さな身体に一体いかほどの惨苦がのしかかったのか、推し量ることは難しい。しかしよほどの事情があることだけは確かだった。
ロッコイの鋭い眼力に睨まれ、きまり悪そうに頭を掻いていたエラは、
「よっしゃ! わかった。そう言うことならあたしがボディガードになってやるよ」
唐突に立ち上がると、ルガァーに向いて言い放つ。
「ボディ、ガード……?」
「ああ、ジオーレの部下だろうが何だろうが、あたしが守ってやるよ。あっ、でもだからってタダで雇われてやるつもりはないからな。世の中そんなに甘くはねぇし、こっちも商売だからな」
「でもお金なんか持ってない」
「だろうな。っても金のないガキに借金させるのは、管理区長のクソと変わらりゃしねぇし。だからあたしはお前を雇う!」
「?」
雇われる側の人間が、雇い主を雇うという意味不明な提案に、ルガァーは小首を傾げる。
「つまり護衛の報酬の代わりに、そのガキに壊し屋の仕事を手伝わせるってことか?」
正気を疑うような目で見てくるロッコイに対し、エラは指を鳴らし、正解! と笑顔で応えた。
「どう考えてもおめぇの仕事を手伝う方がよっぽど危険だろう……」
ロッコイは頭痛でもするのか、こめかみを指で押さえた。
「でもずっとあたしと側にいる方が安全とも言える」
その意見があながち間違いではないためロッコイは反論に困る。
「しかしいつまで護衛するつもりだ?」
「さあ? 危険がなくなるまで」
「んな無計画な……」
エラのその適当さには、ロッコイもほとほと呆れ果てるしかない。
「まあ金のないガキに四六時中張り付いとくわけにもいかねぇし。そういうことも込みで、ルガァーがあたしの仕事を手伝うってのは、結構理にかなっていると思うけどな」
「わしには関係のない話だ。勝手にしてくれりゃいい」
ロッコイはとやかく口を出すのも面倒になったようで投げやり気味にそう呟き、黙ったままのルガァーの方に目を向けた。
「だが決めるのはわしでもエラでもない。ルガァーおめぇ自身だ」
「ぼくが決める……」
ルガァーはしばらく黙ったまま思案しているようだった。
だがやがて迷いを振り切るように涙痕を拭うと、徐に立ち上がり、エラに真正面から向き合う。
「壊し屋の仕事手伝うよ。だから守ってほしい」
少年の力強い依頼を耳にしたエラは、満面の笑みを浮かべ、
「よし。じゃあ決まりだな!」
右手を差し出す。ルガァーは戸惑った様子でその手を見つめていた。
「握手だよ、握手。約束を交わすときはお互いの手を握り合うんだよ」
その手を取っていいのかどうかわからずおそるおそる宙に伸ばされた少年の手を、エラの右手が半ば強引に掴んだ。
「これで契約は成立だ。何があってもあたしはあんたを守ってやるよ」
強い意志を宿した快晴の青空のように澄んだ瞳には、すべての脅威を吹き飛ばし、自分の窮地から救い出してくれる頼もしさがあった。
「さ、話がまとまって腹ごしらえも終わったんなら、次は風呂だ。一階の車庫の脇にシャワーがあるから、その汚い体を洗い流して来い! そうすりゃ少しは気分も晴れるだろ」
ロッコイのぶっきらぼうに言った。だがその根底には確かな温かみが感じられる。
ルガァーは言われるがまま階段を降り、脱衣所に向かった。土と汗で汚れたボロボロの服を脱いだとき、いっしょに何か背負っていた重荷を下ろしたみたいな、心が軽くなったような気がした。