(2)
空から颯爽と現れた二十代くらいの女は落下する勢いそのままに、落伍者の側頭部を思いっきり踏みつけた。
横合いからの不意の衝撃を受け、鋼鉄の巨体は豪快に地面を転がる。
うつ伏せに倒れた暴走落伍者はゆっくりと立ち上がると、照準を新手の襲撃者の女に合わせ直した。
スラリと高い身長。鮮やかな銀髪を後ろで一本にまとめ、豊かな胸のラインを強調する黒のタンクトップ、迷彩柄の色褪せたミリタリーパンツに、鋼鉄に蹴りを入れても足が痛むことのない厚底のブーツを履いている。全体的にサバサバとした印象の女だった。
だが何より目を引くのは、左の二の腕から先、メタリックな輝きを放つ鋼鉄の義手だ。
華麗に地面に着地した女は、その義手の内側の手首の噴出口から伸びたワイヤーを自動で巻き取らせ、建物の外壁に打ち込んでいた先端に鉤爪のついたフックを回収する。
人間を有に凌ぐ駆動力と破壊力を持つ鋼鉄の化物を前にして、しかし女はあまりにも平然としていた。
「あぶねェから下がっときな」
女は正面の怪物を見据えたまま、背後の少年に落ち着いた声音で語りかけた。
落伍者は両腕から、搭載されている刃渡り一メートルの高周波ブレードを伸ばし、本気の臨戦態勢に入る。
パンツのポケットからキューブ型の小型装置を取り出すと、それをうなじに除く端子に接続した。甲高い起動音とともにキューブが青い輝きを発する。同時にそれは幾筋もの青い線に変化し伸びる。地肌の覗く女の首筋や右腕に青い線が血管のように浮かび上がり、やがて全身へと広がる。
制限解除装置、通称LCD、特殊な電気信号により、全神経及び脊髄、脳を刺激し、脳が肉体に対し自動的にかけている制限を強制的に解錠する。かつて軍の一部の精鋭部隊でのみ採用された先端軍用生体テクノロジーであり、特殊な適合手術を受けた者しか使用できない。
「安心しな。今、ブッ壊してやッからなァ!」
全身から青い光を発しながら、義手の女は暴走落伍者に対し、高らかに叫ぶ。そして勢いよく駆け出した。しかしその敏捷さは先ほどの比ではなかった。並の人間の走力を遙かに上回る速度で、女は鋼鉄の怪物に肉薄する。
暴走落伍者も女の気迫に呼応するように、二本の高周波ブレードで唸りをあげる。
互いの戦力差は歴然。それでもなお女の足は、何の憂いも躊躇いもなく、凶器を携えた落伍者に正面から向かっていく。
斜めに振るわれた高周波ブレードをスライディングで回避すると、今度は腰に装備していたハンドガンを即座に抜いて反撃に出る。腹の奥に響く重厚な発砲音が数発轟く。
しかし落伍者の鋼鉄の体は全くの無傷。たかが前時代の骨董品ではテクノロジーの結晶に損傷を与えることは難しい。
落伍者は怒り散らしたかのように、容赦なく凶刃を振るい続ける。だがその刃が血に染まることはなかった。
女は広場を疾走し、義手から放たれたグラップリングフックを利用して飛び上がり、人間離れした身体能力で縦横無尽に動き回る。その俊敏で軽やか動きは、落伍者のセンターをもってしても容易には捉えられない。
だがどれほど人知を超えた運動神経と、専用の武器を持ち合わせていても、所詮は人間。やがて体力には限りがある。女は、肩で荒く息をし、次第に壁際へ追い込まれていた。
まるで勝どきあげるがごとく、落伍者は高周波ブレードを唸らせ、とどめをさすために動く。
その時、ガンっ! という鋼鉄と鋼鉄が凄まじい速度でぶつかり合う激しい音が響き、落伍者の顔の右半分の装甲が吹き飛んだ。
戦闘とは無縁の暮らしに身を置いてきた少年には、それが遠くに見える時計台からの狙撃だということはわからなかった。
ただ落伍者は装甲こそ剥がれたものの、内部の機能は無傷で、動きは止まらない。しかし、その狙撃を待っていたと言わんばかりに、弾丸が装甲に直撃した轟音を合図に、女は再度駆けだしていた。
視覚外からの虚を突いた一発の狙撃によって、一瞬、情報処理に遅延が生じ、ブレードの斬撃は、女を捉えきれず虚空を斬る。
女は猫のようにしなやかで敏捷な動作で、落伍者の懐に入り込み、自分の身長の倍近くある背を駆けあがると、首の装甲の薄い部分に、義手の握り拳を叩きこんだ。
すると義手の手の甲にある噴出口から鋼の刺突棒が勢いよく飛び出し、落伍者の首を貫通する。
刺突棒に貫かれた穴からどろりとした赤黒い液体が漏れ出す。それは内部に組み込まれた人間の脳から漏れた血液。
落伍者はもだえ苦しむように暴れ出した。地面に叩きつけられれば絶命は避けられない。死のロデオが始まった。
女は左義手の刺突棒を落伍者の首筋に突き立てたまま、空いた手足で鋼鉄の体にしがみついていた。
やがて激しく動き回っていた落伍者の方が先に力尽き、両膝を折り、その場に座り込んだ。赤い瞳が暗転し、全ての機能を停止する。