スカーレット・ドレス
バンダナコミック様の原作コンテストのために執筆した、完全新作の短編です!
「あなたが〝ロクロウ=カワサキ〟様、ですね?」
「へ……?」
いつもの平日の、いつもの夕方。
今日も顧客から預かったバイクの修理に勤しんでいたロクロウの目の前に現れたのは、車椅子に乗った一人の女子高生だった。
長く艶やかな黒髪。整った目鼻立ちに淡い桜色の唇。
夕日に照らされて少し赤みがかったヘーゼルの瞳は、凛々しさと芯の強さを漂わせている。
どこか現実離れしているかのような美しい少女に思わず見惚れてしまったロクロウだが、すぐに現実へと引き戻された。
何故なら。
「お願いします。どうか私に翼を……『DRESS』を作っていただけないでしょうか」
この美少女は、ロクロウが最も聞きたくなかった言葉を口にしたからだ。
「……帰ってくれ」
「ロクロウ様にお受けいただけるまで、私はここから動くつもりはありません」
ロクロウは顔を逸らし吐き捨てるように言い放つが、少女は深々と頭を下げたまま。この場を離れるつもりは一切ないらしい。
「『DRESS』は『ドライブ・コア』がなけりゃ動かせない。何よりその様じゃ、最初から無理だ」
「『ドライブ・コア』ならあります! そ、それに、ロクロウさまならきっと……!」
少女は車椅子から落ちてしまうのではないかと思うほど身を乗り出し、訴える。
そのに姿は鬼気迫るものがあり、どうして彼女はここまでロクロウに懇願するのだろうか。ロクロウは首を捻ってしまう。
確かにロクロウなら、彼女の願いを叶えられるかもしれない。
でも……それでも、ロクロウにはそう易々と首を縦に触れない理由がある。
「なあ、あんたからも言ってやってくれ。このままじゃ商売の邪魔なんだよ」
「…………………………」
仕方なく彼女の後ろに控えている黒の背広を着た執事風の初老の男性にそう告げるも、彼も聞く耳を持たない様子。
だから。
「え……?」
「もう店じまいだ。ここにいたけりゃ勝手にしろ」
そう言うと、ロクロウは手に持っていたラチェットレンチを放り投げ、茫然とする少女と初老の男を置き去りにしてガレージから出て行った。
「……本当に、嫌なことを思い出させやがる」
ガレージの二階部分にある住居用の部屋に帰るなり、ロクロウは畳の上に寝転がって両手で顔を覆って呟く。
彼の脳裏に浮かんだのは、あの日の……最後に見た、一人の少女の笑顔だった。
◇
――ドライブ・リアクティブ・エクストラ・システム・スーツ……通称『DRESS』。
装着者の意思によりフレキシブルに可動し、新たに生み出された『ドライブジェットエンジン』をはじめとした現代科学の粋が搭載された、選ばれた少女のみに与えられる衣装。
今から二十年前、一人の少女の体内から『ドライブ・コア』と呼ばれる新たな臓器が発見された。
この臓器は心臓と対となっており、研究の結果、所有者の生命維持という役割だけでなく、新たな永久機関としての能力を持ち合わせていることが判明した。
しかもこの最初の少女……〝ファースト〟の出現を皮切りとして、世界中で同じように『ドライブ・コア』を持つ少女が世界中で相次いで発見される。
調査の結果、『ドライブ・コア』を持っているのは少女に限られていること、十万人の少女のうち一人の割合しか所持していないことなどが新たに分かった。
世界各国はこぞってこの新たな永久機関の研究開発に取り組み、その結果、『ドライブ・コア』を持つ多くの少女達が犠牲となる。
そのほとんどが、人体実験や軍事利用など、非人道的なものによって。
そうした中、生まれた一つの兵器――それが、『DRESS』だ。
他の追随を許さない圧倒的な機動力。本体のサイズや質量を度外視した積載量。
少女達は『DRESS』を身に纏い、これまでの航空戦力を次々と打ち破って大空を支配した。
だが……その栄華も長くは続かない。
すぐに対抗措置としてこれまでの点攻撃によるものから面を主体とした攻撃兵器が主流となり、多くの少女が犠牲となった。
加えて、世界各国の人権団体が一斉に声を上げ、少女を兵器として扱う国々を糾弾。大国ステイツも腰を上げ、少女達の兵器利用を全面禁止する条約を締結した。
ごく一部の軍事国家やテロリストは今もなお非合法に少女達を軍事利用しているが、それらは〝正義〟の名の下に駆逐されている。
戦いに駆り出された、少女達とともに。
そうした時を経て、『ドライブ・コア』を持つ少女達は次の舞台に活躍の場を移す。
それが、『アルテミス・ドライブ・レース』……通称『ADR』だ。
これまでの空だけに限らず、地上、海など、ありとあらゆる場所に設置されたフィールドを駆け抜け、速さを競うレース。
世界中の人々はこの新たな闘いの舞台に熱狂し、少女達もまた、居場所を得た。
そして七年前……ロクロウは『ADR』の最高峰、カテゴリー『AS』の最強チームの一角、『マビノキオン』のエンジニアの一員だった。
あの頃のロクロウは、何でもできる気と勘違いしていた。
弱冠二十四歳で超一流チームのエンジニアに抜擢され、少女達にレースでの勝利を与える。
誰もロクロウ以上の結果を残す者もおらず、まさに天才だった。
そうして生まれた、決して許されない驕り。
あの日の前日、ロクロウは彼女の頼みを安易に引き受けてしまった。
ロクロウは彼女の……〝サラ=ノートン〟の『誰よりも速くなりたい』という想いに応えるため、彼女の『ドライブ・コア』の限界も耐久力も度外視した『DRESS』を製作してしまったのだ。
そして迎えた、あの日。
『ADR』が創設されて以降、数々の名勝負を繰り広げた聖地〝モネコス〟で、悲劇は起きた。
ゴールまで残り三分の一と迫ったところで、トップを飛行するサラの『ドライブ・コア』は悲鳴を上げ、警告音がけたたましくなり始めた。
あと少しで、サラの念願であるモネコスGPで優勝を飾ることができる。
だからサラは、警告音もチーム代表の声も、スタッフ達の声も……ロクロウの声も無視し、飛び続けた。
「あと少し……あと少しだけ持ちこたえてくれ……!」
そう呟き、ロクロウはサラが無事にゴールすることを必死に祈り続ける。
だが。
『ロック……! 胸が苦しい……苦しい……よ……っ!』
無線に響いた、サラの最後の言葉。
その直後に、ヘッドフォン越しに聞こえた大きな爆発音。
中継モニターには、大空を無情に覆い隠す黒煙が映し出されていた。
◇
「……ああそうだ。俺は、あいつを終わらせてしまったんだ」
目を瞑れば今もロクロウの脳裏に浮かび上がり響いてくる、青空を黒く染める煙とサラの悲痛な声。
かろうじて一命はとりとめたものの、サラの選手生命を……いや、人として当たり前の生活ですら奪ってしまったのだと、今も彼は自分を追い詰めている。
あの日を境にロクロウは『ADR』の世界から足を洗い、故郷の下町でしがないバイク修理屋を営んでいる。
『ADR』は無理でも、同じようなものからは逃げられない性分のようだ。
「嫌なことを思い出させやがって」
そんな台詞を吐き、ロクロウは不貞腐れるようにごろん、と寝返りを打った。
◇
「ロクロウ様、お願いします。どうか私に『DRESS』を作ってください」
「またお前かよ……」
初めて少女がロクロウの前に現れた日から、今日で三か月。
車椅子の女子高生……〝カルラ=ハヤマ〟は、今日も俺のところに来て深々と頭を下げる。
ロクロウは『一日も欠かさずご苦労なことだ』と思いつつ、どうしてカルラはここまで自分に固執するのか、どうしても気になった。
何せ彼女の実家は、国内有数の企業ハヤマグループ。その令嬢である彼女は、少なくともこんな場末のガレージにいるような少女ではない。
いくら彼の経歴を知っているからといって、それでも既に足を洗ったロクロウに頼むより、ハヤマグループの力でもっと優秀なエンジニアに『DRESS』製作をオーダーすることも可能。何より、ハヤマグループも『ADR』にワークスチームとして参戦しているのだから。
……まあ、彼女の足では、引き受けるエンジニアなどいないだろうが。
だからこそ余計に、ロクロウは彼女の依頼を受けるつもりはなかった。自分の過去のことはともかく、カルラの足のことを考えれば、悲しい結果になってしまうこともあり得るのだから。
「なあ〝スズキ〟さん。いい加減あんたのお嬢様を諦めさせてやっちゃくれないか」
「全てはお嬢様がお決めになられることです」
カルラと常に一緒にいるため、すっかりロクロウと顔なじみになった執事の〝シゲトモ=スズキ〟。
彼も本音ではカルラに『DRESS』を諦めてほしいと考えているようだが、それでも自分の気持ちを押し殺して主人の想いを尊重している。
執事の鑑と言うべきか、それとも執事失格の烙印を押すべきか、判断に迷うところだ。
「……それはさておき、先日片づけたばかりだというのに、また散らかっているじゃないですか」
「う、うぐ……」
カルラにジト目で睨まれ、ロクロウは思わず変な声を漏らす。
誰も頼んでもいないというのに、彼女はここに通うようになってからいつも勝手にガレージの掃除を始めた。
しかも悔しいことに、カルラの手によって整理整頓されたガレージは思いのほか使い勝手がいい。少しばかりの負い目を感じているロクロウは、こうやって彼女に睨まれると何も言えなくなる。
「そ、それにしても、よくもまあ道具や部品の場所を覚えてるな」
「ここには三か月も通い詰めていますから」
「…………………………」
カルラの盛大な皮肉に、ロクロウはバツの悪そうに顔を逸らした。
すると。
「ん……?」
表の通りの陰からこちらを覗き見る、一人の女子高生。
その表情はどこか訝しげで、むしろロクロウを睨んでいるようにも見えた。
それに、あの制服。
「カルラ、ひょっとしてお前の知り合いか?」
「え……? あ……」
女子高生を見た瞬間、カルラは表情を曇らせる。
同じ制服を着ていることからも、やはり知り合いだったようだ。
ロクロウはどういうことかとスズキを見るが、彼は相変わらず表情を変えることなく、ただカルラの傍に控えているだけ。
しばらく見つめ合った後、女子高生は顔を伏せ、走り去ってしまった。
「……また明日来ます」
カルラはそう言い残し、スズキに車椅子を押してもらってガレージを後にする。
これまで一度も見たことがない、彼女の落ち込んだ表情。
いつもはロクロウが強引に追い返そうとしても、ガレージの柱にしがみついて意地でも帰ろうとしないのに。
「……調子狂うな」
頭を掻いて呟くと、気分が乗らなくなったロクロウは早めに店じまいした。
◇
「ねえあんた。カルラに『DRESS』なんて作ったら、承知しないからね」
次の日の午後、ロクロウは昨日ガレージを覗いていた女子高生にすごまれる。
しかも、カルラとは正反対の言葉を吐いて。
「フン、なんで俺がお前の命令を聞いてやる必要がある。作ってほしくなけりゃ、せめて理由を言え」
カルラの『DRESS』を作るつもりはさらさらないが、この女子高生がどうしてそんなことを言ってくるのか……カルラがどうして『DRESS』の製作を求めるのかを知るため、ロクロウはあえてそんな言い方をした。
すると。
「……あの子の足」
「足?」
「あれ、あたしのせいなんだ」
ロクロウの隣にやって来て、女子高生は腰をかける。どうやらそれなりに長い身の上話になりそうだ。
そんな彼女を一瞥すると、ロクロウは興味ないふりを装い作業を続けた。
女子高生の……〝シホ=ミヤタ〟の話は、言い換えれば小説やドラマなんかでよくある話だ。
部活で帰りが遅くなったシホが大急ぎで点滅する信号を渡った時、勢いよく左折する車にはねられそうになったところを、カルラに助けてもらったというもの。
その結果、カルラは重症を負い、下半身不随となった。
ただ。
「……七年も前の話かよ」
「…………………………」
シホはその時からずっと負い目を感じ続け、執事のスズキの目が届かない学校ではいつも甲斐甲斐しくカルラの世話をしている。
そのために彼女は同じ中学、同じ高校を選択し、カルラの意思などお構いなしにつきまとっているのだ。
(はは……よりによって俺が『DRESS』と『ADR』の世界から逃げ出した時と同じ頃かよ)
偶然にしては皮肉が利いていると、ロクロウは思わず苦笑する。
だが、これでカルラが『DRESS』を求める理由が、ほんの少しではあるが分かったような気がした。
「それで? お前が俺に『DRESS』を作らないように命令することと、どんな関係があるんだ?」
「……あの子、『ADR』に出場しようと考えてるんだ。あの足でなんて、できっこないのに」
「なるほど、な」
『DRESS』は両脚にドライブジェットエンジンを装着することで、大空を舞うことを可能にする。
もちろん、ランドセルのように背中にドライブジェットエンジンを装備して飛行することは可能だが、『ADR』を前提とするなら重量増や空気抵抗の問題、それにバックウェポンの積載量が減少してしまうことを考えれば、それは向いていない。
何より……『ADR』のルール上、スタートは両脚で着地していることが必須なのだから。
「お願い! あんたからもカルラに言ってやって! その足では無理なんだって!」
「…………………………」
ロクロウの胸にしがみつき、必死に訴えるシホ。
カルラを想う悲痛な叫びに、ロクロウは頭を掻いて息を吐くと。
「……どうなんだ? カルラ」
「え……?」
ロクロウの言葉に驚きシホが振り返ると、そこには沈痛な面持ちでうつむくカルラがいた。
まさか彼女がいるとは思っても見なかったシホは、ロクロウの胸を突き押して離れると、そのままガレージを出て行こうとする……のだが。
「カルラ、気が変わった。お前の『DRESS』……俺が作ってやる」
「「っ!?」」
まさかのロクロウの了承に、カルラとシホが息を呑んだ。
「なんでだよ! あんただって、カルラに無理なことくらい分かるじゃん!」
「……ロクロウ様、同情でそのようなことをおっしゃるのであれば、やめてください」
シホが大声で叫び、カルラは冷たい視線を向ける。
一方のロクロウはどこ吹く風。飄々とした様子でスマホを取り出し、画面を見ながら操作し始めた。
「スズキさん。とりあえず必要な額はあとで教えるから、よろしく頼む」
「かしこまりました」
「スズキ!?」
勝手に話を進めるロクロウとスズキ。
ロクロウはどこかしてやったりな気分で、口の端を持ち上げて立ち上がると。
「そういうことだから、お前等は出て行け。当分店じまいだ」
「な……!」
「ス、スズキ、やめなさい!」
スズキに目配せして二人をガレージから追い出すと、ロクロウは早速電話を始めた。
「よう、久しぶりだな。いきなりで悪いが、頼みがあるんだ……」
◇
「……いきなり呼び出して、何なんですか」
ロクロウが『DRESS』製作を請け負った日から、一か月後の夕方。
スズキと共にやって来たカルラが、腕組みをして不敵な笑みを浮かべるロクロウに悪態を吐く。
見ると、物陰には威嚇するかのような表情のシホもいた。
「決まってるだろ。『DRESS』の調整には、お前がいないと始まらないじゃねえか」
「え……? あ……」
ガレージの奥にある、シートが被せられたもの。
ロクロウは勢いよくシートを引っ張ると、外装が施されていない『DRESS』のフレームが露わになった。
「まあ、中古をベースにしちゃいるが、悪くないと思うぞ」
「これが、私の『DRESS』……ッ」
カルラは自ら車椅子を押して傍に寄ると、『DRESS』におそるおそる触れる。
その瞬間……彼女のヘーゼルの瞳から、涙が溢れ出した。
「……ほら、時間がもったいないだろ。作業を始めるぞ」
「ぐす……は、はい……っ」
彼女が何を想って涙を零したのか、それは分からない。
だがロクロウは『DRESS』の調整作業をしながら、こんなのもたまには悪くないと思った。
女子高生二人をきっかけに、再び『DRESS』に触れることを選んだロクロウ。
今もあの日の呪縛に苛まれたままであり、自分の罪を許せないことに変わりはない。
だからこれは、あくまでも一人の女子高生のささやかな夢を叶えるための、ただの気まぐれ。
カルラを見つめ、ロクロウは自分自身にそう言い聞かせた。
とはいえ。
「どうして……どうして……っ」
シホは唯一人、納得できない。
両足が不自由なカルラに、『DRESS』を動かすなんて不可能。
彼女の絶望する未来を想像し、安請け合いをしたロクロウを呪う。
だが、シホもまた知らない。
かつて『ADR』を席巻した『マビノキオン』で天才の名をほしいままにした、ロクロウのエンジニアとしての真の実力を。
そして、一か月後。
「……できたぞ」
「これが、私の『DRESS』……」
輝く外装がガレージに差し込んだ夕日に照らされ、緋色に輝く『DRESS』。
これこそが、両脚をもがれた少女が戦いの場で華麗に舞うための、新たな翼。
「よし、それじゃ行くか」
「え? い、行くってどちらにですか?」
「決まってるさ。そいつの試運転だよ」
困惑するカルラにそう告げると、ロクロウは口の端を持ち上げた。
◇
「扱い方は製作途中に何度もやらせたから分かってると思うが、こいつの操作はお前のその指が頼りだぞ」
「は、はい!」
ロクロウの説明を受け、『DRESS』を身に纏ったカルラは緊張した面持で返事をした。
傍にはスズキと、ロクロウによってここ『DRESS』の専用競技場まで強引に連れて来られたシホもいる。
両脚が不自由なカルラが『DRESS』を操作するための打開策として、ロクロウはバランス制御や旋回など、本来なら脚で行う操作を全て指で行うようにした。
これは、カルラが幼少の頃からピアノを習っていることを聞いて着想を得たもの。
既に試運転の段階で問題なく操作できることは確認済み。あとは、飛び立つのみ。
胸に秘める『ドライブ・コア』を……想いを、けたたましく回転させて。
「さあ……飛べ!」
「はい!」
カルラは両手の指を器用に動かし、両脚のマニュピレーターでスタート地点に立つと、少し暗くなり始めた夕焼けの空を見つめる。
ドライブジェットエンジンが点火し、吸気音がロクロウ達しかいない競技場に響く。
そして。
――カルラは、大空へと飛び出した。
「よし! いいぞ!」
競技場のコースに沿って、おっかなびっくりといった様子で飛行するカルラ。
シミュレーションを何度もこなし、搭載されたAI制御により最適に飛行できるようになっていても、生まれて初めて飛行するのだからそれも仕方ない。
だが、それ以上に。
「ふふ……! 飛んでいる……私、空を飛んでいます!」
ドライブジェットエンジンの激しい音とともに無線越しに聞こえてくるのは、カルラの歓喜の声。
ロクロウとスズキは互いを見やると、頬を緩める。
「そんな……」
信じられないといった様子でモニターに映るカルラを見つめるシホ。
その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……これから大変だぞ。『DRESS』を身に纏ったあいつを支えるのは、お前の役目なんだから」
「え……?」
シホの肩を叩き、ロクロウは柔らかい微笑みを向ける。
カルラが『DRESS』を身に纏い飛行するなんて、できないと考えていた……いや、できないでほしいと願っていたシホ。
彼女が自分の力で前に進んでしまったら、シホの必要性が……存在価値が失われてしまう。
だからシホは怖くて、カルラに反対したり、ロクロウに『DRESS』を製作しないように詰め寄ったのだから。
「『DRESS』は一人だけでは飛べない。俺達エンジニアやナビゲーターがいて、ようやく飛べるんだからな」
そんなことをシホに告げ、『我ながらお節介極まりないな』とロクロウは自嘲気味に笑う。
何故なら。
「あ、あの……あたしにもおじさんみたいなエンジニアとかに、なれるかな……?」
シホがそう尋ねることは、分かり切っていたのだから。
「俺みたいなエンジニア? 百年早い。だがまあ……ナビゲーターならいけるんじゃないか?」
あの日間違えてしまったロクロウの思いを、シホに味わわせたくない。
そんな思いを込め、ロクロウは皮肉を交えつつも優しくそう答えた。
その時。
「「「っ!?」」」
コースを飛行するカルラの横に最接近して一瞬で抜き去った、白銀の『DRESS』。
その速度はあの天才少女、サラ=ノートンに勝るとも劣らないものだった。
「お、おじさん! あれって妨害行為じゃないの!?」
「ここは一般向けに開放されている競技場だ。それに、別に貸し切りにしたわけじゃないぞ」
とはいえ、あれほどの実力者であるならば、こんな場末の競技場を飛行するなんて考えられない。
ロクロウは思わず首を傾げるが、カルラの初飛行が妨げられて危険に晒されたわけではないので、これ以上深く考えないことにした。
そして。
「よう、どうだった?」
「ハア……ハア……は、はい! 最高でした!」
出迎えるロクロウ達に、一周を飛び終えたカルラは珠のような汗を浮かべ、満面の笑みで答えた。
「そりゃよかった。これから練習を重ねれば、人並みに飛べるようになるさ」
「あ……」
どこか寂しそうに微笑むロクロウ。
そんな表情を見たカルラは、彼の仕事がこれで終わったのだと理解する。
だから。
「そ、その! 私はまだまだです! それに、この『DRESS』を整備してくれる人は、ロクロウさんしかいませんから!」
ロクロウがお役御免であることを口にする前に、カルラは懇願した。
その瞳は、絶対に離れたくないという想いを湛えて。
ハヤマグループの令嬢が、わざわざ足を洗ったロクロウのところにまできて『DRESS』製作を依頼したくらいだ。他のエンジニアに断られたことも想像に難くない。
それに、カルラの傍にいたいというシホの想いもある。
「……まあ、こいつが使い物になるまで、だな」
「わっ!?」
「! は……はい!」
シホの背中を叩いて苦笑するロクロウに、カルラはパアア、と顔を綻ばせる。
「今さらこんなことを聞くのもなんだが、どうして俺なんだ? 金にものを言わせれば、エンジニアの一人や二人くらいどうとでも……」
「あ……ふふ、ロクロウ様だからです」
「なんだそりゃ」
カルラの答えに呆れるロクロウ。だが、彼女は笑うばかりで答えてくれない。
(まあいい。いずれ話してくれるだろ)
ロクロウに『DRESS』製作を依頼した理由……そもそも、どうして七年も前に両足が不自由になった彼女が、今になって『DRESS』を求めたのか。
分からないことばかりだが、ロクロウは別に構わないと思った。
何より、カルラは思い出させてくれたのだ。
かつてサラ=ノートンと共に熱狂した、『DRESS』の……あの『ADR』の世界を。
「さあて、それじゃ暗くなる前に帰るか」
「そうだね、おじさん」
「待て、俺はおじさんじゃない。せめてお兄さんと呼べ」
「ええー、今さら?」
急に訂正を要求したロクロウに、シホは呆れた声を漏らす。
「ハア……分かったよ、ロクロウさん」
「よし」
言い直したシホに、ロクロウは満足げに頷いた。
面倒だと思いつつも、これからカルラ共々世話になるのだから仕方ないと、シホは割り切ることにしたようだ。
「……ロクロウ様、早く行きましょう」
「んえ!? お、おう……」
何故か不満そうに口を尖らせて冷ややかな視線を向けるカルラ。
ロクロウは少し困惑しつつも、慌てて彼女の後に続く。
「ま、いいか」
シホに揶揄われ顔を真っ赤にしたカルラを見つめ、ロクロウは頬を緩めた。
――夕日に照らされて緋色に輝く、カルラの『DRESS』に見守られて。
これは、そう遠くない未来に『ADR』の舞台で活躍する一人の少女と、彼女を支える一人の天才エンジニアの、はじまりの物語。
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