09 撃退
「……アヴェルラーク伯爵令嬢。貴女は出会ってすぐのハビエルお兄様と結婚されるらしいけれど、一体どういうことなのかしら。実際あの時、ハビエルお兄様は、貴女の名前も知らなかったようだけど!?」
ザッと砂埃をあげて威嚇するように、一歩踏み込んだマチルダ様。私は本能的な危機を感じて動けないから、引くに引けない。
ヒッ……ヒイイイィィィィ……蛇に睨まれた蛙って、こんな気持ちなんだ!! もう少しで、食べられる感じです……? 捕食されてします? 美味しくないから、どうか勘弁してくださいぃぃぃいい……!
正直に言ってしまうと、すぐにでもくるりと振り返って全速力で走り出したい。けれど、王族の質問を答えぬなど、臣下として決して許されぬこと。ここで失礼をしてしまえば、不利益を被るのは私の家名になるのだ。
それだけは避けなければと私は必死な思いで、声を絞り出した。
「私が夜会でお声がけしたところ、クラレット卿は……」
「まあ! ハビエルお兄様に、貴女がお声がけですって!? まったく……身の程知らずも良いところね。言っておくけど、ただすぐそこに居ただけで、ハビエルお兄様は、貴女のことを好きでもなんでもないのよ……! 浮かれて良い気にならないことね!」
事の次第を話そうとしたんだけど、ピシャリと遮られて私は泣きたくなった。
あ……これはもう……駄目な感じだ。
良い気になったことはないです……命の危険なら、ずっと感じていますけど……。
マチルダ様の質問に答えていただけの私は、何を言っても噛みつかれる猛犬を前にした気持ちになった。だって、おそらくは私の話なんて聞く気はなくて、ただただ傷つけるために否定したいだけなのだ。
今にも激しく罵倒されそうな張り詰めた空気の中で、なんだか泣きそうになってしまった。
どうしよう……私、王族のお姫様にここで、それこそぺしゃんこになるまで、酷いことを色々言われるのかな……すごく、嫌だな……。
そこに重くなった空気を切り裂くような、明るい声が聞こえた。
「……シャーロット! ここに居たのか。部下に俺の居場所を聞いたとか。来ると言ってくれれば、迎えに行ったのに……あれ? マチルダか。お前、ここで何をしているんだ? ……シャーロットに、何か用なのか?」
そこに白い布で汗を拭きながらやって来た、袖のない黒い下着姿の形容詞が爽やかしか思いつかない美形のハビエル様。
私に近付くと背中に手を当ててにこにこ微笑みながら顔を覗き込み、その後、マチルダ様にはきょとんとした様子で尋ねていた。
いくら血縁でも王族に対し気安い態度~! と思ってしまうけれど、ハビエル様にとってはマチルダ様は何とも思っていない『ただの従姉妹』なのだろうな……と、これまでの彼らを何も知らない私でもわかってしまう。
あ。これは、縁談に持ち込んだり出来ないかも……『マチルダのことは可愛い妹のように思ってはいますが、結婚は難しいです』と、悪気なくあっさりと言いそう。
「ハっ……ハビエルお兄様、どうしてここへいらしたの?」
マチルダ様は見てすぐにわかるくらい、非常に動揺していた。
そして、私へと傲慢な物言いをしていた時のことは、なかったかのように顔を赤らめて恥じらう乙女になっていた。
わあ。すごい。好意を持っている人物が、とてもわかりやすい……!
私はマチルダ様の恋する乙女っぷりに驚いてしまった。ここまでのあからさまでわかりやすい好意、あまりないと思う。
「どうして? と言われても……この子は俺と結婚すると言っただろう。部下には、もしシャーロットが城に入ったら連絡をするようにと伝えておいたので、何処に行ったのか探していたんだ。俺に会いに来てくれたんだろう? シャーロット。喉の調子はどうだ? 後で、喉に良い飴を届けさせようと思っていたんだが」
近い~! 近い。近い。ハビエル様。距離がおかしいです~! そして、動いて汗かいているはずなのに、良い匂いするよ~!
恥ずかしくなった私はなるべく遠ざかろうとするのだけれど、ハビエル様がその分近付いて来るという追いかけっこみたいなことを何度か続けた結果、マチルダ様が雷にいきなり撃たれたかのような衝撃でも受けた顔をして、くるりと振り返りふらふらと歩いて行った。
彼女の後を何も言わずに従う、侍女や護衛騎士たち……とても訓練されている。
ショックを受けている……それは、そうよね……大好きなハビエル様が、別の女を追い掛けているところなんて、絶対に見たくないですよね。
それはそうと、マチルダ様の登場に驚き過ぎて、ここに来た理由を忘れかけているところだった。
ハビエル様に異性にだけ口下手になってしまうという、私の知られざる秘密(?)を伝えるために来たんだった……。
「あっ……あのっ……(手紙を持って来たので)読んでっ……(ください)」
もー、いやー! 目上だし年上なのに敬語を使えてない~! そういうつもりではないのに~!!
あまりに緊張して敬語を言えなくて馴れ馴れしい口調になったけれど、ハビエル様は不思議そうにするだけで特に気にしてなさそう。
なんて優しいの……どうか、どうか、ハビエル様には幸せになって欲しい。だって、実際はとても異性にモテてるのに、なぜかモテてないことになっているもの。
あまりにも、人生の楽しみを奪われていすぎるわ。
私は書いて来た手紙を、勇気を出してハビエル様へと手渡した。
「ああ……俺への手紙か! エリアスも喉が痛んでいると言っていたし、手紙を書いてくれたんだな。もう訓練は終わったから、俺の執務室に行こう。喉に良いお茶を出すように伝えるよ」
にこにこと笑ってハビエル様は、私の背を大きな手で押してくれた。何をしても格好良いし、なにより鍛え上げられた肉体美が間近で見るととても凄い。
見た目だけで好かれる要素があり過ぎるのに、この人が女性に好かれていないって思い込んでいるの、本当に罪作り過ぎるわ。
本当に……優しい。きゅんとしちゃう。もし、命の危険がなかったら、もっと最高な気分なのに……。
ハビエル様の執務室は訓練場から、それほど遠くない位置にあった。頻繁に行き来することになる騎士団長の執務室は、近い方が良いわよね……なんて、とんでもなく素敵な人の隣を歩きながら、余計なことを考えていたりした。
仕方ないのよ! 意識を四方八方に飛ばしていないと、ハビエル様の魅力を全身に浴びたりしたら、心拍異常や呼吸困難など、私の身体はそれこそとんでもないことになってしまう。
ハビエル様の立派な執務室には、当たり前のように立派な応接セット。紺色の艶々とした生地には、高級感と落ち着いた上品さ。私は促されてソファに座ると、ハビエル様は当然のように隣に座った。
……あ。そうだった。アヴェルラーク伯爵邸で、言っていましたね。私は自分の隣に座るはずだろうと……。
「ここで……手紙を読んでも?」
私は無言のままで、こくこくと頷いた。ハビエル様は優しく微笑み、手紙を開いた。
手紙には私が異性にのみ口下手であるということ、初めて会ったあの時に、色々と誤解はあったけれど、ハビエル様に好意を持っていることに間違いはないこと……そういう、私が口では言い切れない、そういう気持ちをしたためた。
私は手紙を読むハビエル様の整った横顔を見ながら、心の中は彼がどう思うかという不安で満たされていた。
だって……自分と上手く話せないなんて、親しい間柄であれば面倒くさいよね。私が男性でもそう思ってしまうもの。
……やっぱり、結婚の話はなかった事にしようって言われたら、どうしよう……。
元々、私もそういうつもりで彼に話かけた訳でもないから、何もなかった事になるだけで、それはそれで良いんだけど……。
「シャーロットは、口下手なのか……! しかも、異性にだけ?」
パッと私を見たハビエル様って驚いた顔も、すっごく格好良いんだけど、私は彼の言葉の続きが気になった。
……何っていうかな? 面倒くさいって思う……? 私と結婚しようって思ったことを、後悔しているかもしれない……。
そして、ハビエル様が『ん?』という顔で止まっていることを気が付き、私の反応待ちになっていたので、慌ててこくこくと頷いた。
「なんだ! そうなのか! 口下手なのか! 可愛いから、別に良くないか?」
……か、かわいい!?




