08 手紙
「……さて、僕は書斎を借りて伯母さんに詳しい事情を伝えるために手紙を書くよ。ハビエルの言った通り、早馬ならば今夜の滞在する宿に追い付いて返信ももらえるだろう。それに、彼が婿に来るなら、伯父さんも伯母さんも、多少の無理は認めるだろうからね」
私の父母は彼が縁談相手だと聞けば、喜んでくれるだろう。
いくら、王族から結婚相手候補と呼ばれてはいても、結局のところ明確に婚約をしていないのだから、縁談を進めること自体は何も言われる筈もない。
……だから、マチルダ様は細心の注意を払って、他の女性が近づかないようにしていたのね。
「けれど、私は……ハビエル様の邸に滞在なんてしてしまうと、彼以外とは結婚出来なくならないかしら?」
まだ婚約者でもないのに、男性の邸に住むなんてと、ふしだらな関係を疑われてもおかしくはない。
「ならないね」
エリアスは自信満々の笑顔で、私の不安を否定をした。
「どうして? 短期間と言えど、同じ屋根の下で過ごす事になるのよ?」
普通に考えるならばそうなるだろうと不思議に思った私へ、エリアスは肩をすくめた。
「であれば、ハビエルがシャーロットと結婚して責任を取れと世間に思われて然るべきだろうね。そうなれば、大好きな彼の世間的評価は下がり、出会いを邪魔をしている『誰か』は、永遠に彼を手に入れる機会を失う。だから、シャーロットがハビエルを諦めるなら、何もなかった事になるさ……それこそ、不気味なくらいにね」
「そう言うことね……私も理解出来たわ」
もし、一緒に住んでいた私がハビエル様の求婚を断って、諦めたとする。そうすれば、無罪放免で何もなかった事になるだろうという流れは理解することが出来た。
マチルダ様はハビエル様が『責任を取らない男』と後ろ指を刺されてしまうなんて、絶対に嫌な筈だもの。
疑問に答えた涼しい表情のエリアスが応接室を出ていこうとしたその時、私はハッと重要な事を思い出した。
「……エリアス。私、異性には口下手で……ハビエル様に一緒に住んでも、まともに話せないと思うんだけど……?」
そうなのだ。先ほどハビエル様は安心して颯爽と去って行ってしまったけれど、後々『こんな女性だと思わなかった。話が違う』と、邸を追い出されてしまったら……? 想像しただけで、立ち直れないんだけど。
「シャーロット。些細なことを気にするなよ。ハビエルは何があってもお前を逃さないと言っていたんだから、その程度は目を瞑るだろう」
エリアスは呆れたように言って応接室を出ていき、そこには私一人だけが残された。
「それって、その程度……のことなのかしら?」
ぽつりとつぶやいた私の心にはこれまで声を掛けてくれたものの、まともに話せないとなるや、態度を硬化させてしまった男性たちの顔がいくつも浮かんだ。
せっかく声を掛けてくれたのに、なんだ期待外れだと失望したあの表情……もしかしたら、ハビエル様もそうなってしまうかも知れない……。
そうなったら、なんだかもう……落ち込んでしまって、立ち直れない気がする……けれど、長い間悩み続けたことが、すぐに解決するなんてありえないし。
どうしよう……。
エリアスは次期バタンデール伯爵として、様々な政治的な役目を任されていて、城の中でも執務室を持っている。
おそらくは様子のおかしい私を見に来るように母に頼まれただけで手紙を書いたら、このまま城へと向かうはずだ。
とは言え、ハビエル様の邸に滞在する事になるのなら、毎日エリアスに頼るわけにはいかない。そうすると、何故かエリアスも一緒に滞在する事になるわ。それは流石に私が嫌。
はーっと大きくため息をついて、私は自室へと戻った。
そこにはハビエル様からの何通かの手紙の中に、イザベラの手紙が混じっていた。彼女はこの前ハビエル・クラレットと、何処かに消えていった私に何があったか楽しそうに尋ねていた。
……イザベラも、知らないのよね。
ハビエル様には近寄らないようにって、彼に関する様々な噂が流れていたけれど、あからさまな『マチルダ様のお気に入り』だから、と言う噂ではないところに彼女のとてつもなく高いプライドを感じるわ。
続いて、ハビエル様からの手紙を読んだ。
私に声を掛けてもらって嬉しかった事や、これからこうしたいなどと様々書かれてあったのだけど、心がじーんとして温かくなった。
ああ……なんだか、よくわからない事になってしまっているけれど、ハビエル様は外見も良ければ、内面も素敵な方なのだ。
そんな人にいつまでも自分の弱みを隠したままでなんて、そんな不誠実なことができる筈もない。
それに、エリアスも言っていたわ。
……言葉でなく文字ならば、異性と上手く話せない私の気持ちを、ハビエル様に伝えることが出来るのでは? と。
エリアスが早馬で手紙を送れば、お母様は同じように早馬で返すはずだ。
宿で手紙を受け取り返事が帰って来るのはおそらくは、今夜真夜中辺り。エリアスの言葉通り、ハビエル様の傍が一番安全だとするならば、私は彼の邸に滞在する方が良さそう。
だとするのならば、ハビエル様に私のこと……私の考えている事を伝えるのならば、早い方が良い。
そう決心した私は、ハビエル様への手紙を書く事にした。直接、私が届けてしまえば良いのよ。
◇◆◇
城にたどり着いた私は、近くで見つけた騎士様にハビエル様の居場所を聞いた。
なんでも、今の時間は王立騎士団を統率するハビエル様は、城の中にある訓練場で部下たちに剣の稽古をつけているらしい。
騎士団長ハビエル様の人気は凄まじく、遠目から見ることくらいは許されているらしいので、騎士様が『ああまた、団長のファンね……』という対応は、とても慣れたものだった。
けど……おそらくは、ハビエル様に声かけしたり……そう言う事をすることは、許されていないんだろうな……。
彼に教えてもらった道筋を辿り、私は騎士たちが訓練をしている場所まで辿り着いた。
「あ……」
気迫ある声が響き、そんな中でも一際目立つ人……ハビエル様は軽装のままで、部下たちに稽古をつけているようだった。
歴代最年少で団長に上り詰めただけあり、目にも止まらぬ剣技も鮮やかで、数人を相手取っても余裕の動きでいなしていた。
……これは、もうなんていうか……すっごく格好良くて……戦っている姿に惚れぼれしちゃう。
けど、やっぱり目を見て、ちゃんと話せる気はしない……緊張しすぎて。手紙で私の気持ちを書いてきたから、どうかわかってもらえると良いな……。
こんなにも素敵なハビエル様と結婚出来るなら、マチルダ様に少々睨まれても良いのではないかという気持ちになってきた。
だって、この人と結婚出来るなら、たとえ命の危険があろうが、万難廃して我慢する価値があるのではないのかと思ってしまって。
「……ちょっと! そこの貴女!」
いきなりの声かけに、私は嫌な予感がしながら、おそるおそる背後を振り返った。
……そう。ここは城の中『彼女』が住んでおられる場所。油断なんてした私がいけなかったのだ。
ひと筋の乱れも見えない美しい金髪の縦巻きロールがゆらゆらと揺れて、私を睨みつける憎悪の込められた鋭い青い目。王女たる身分に相応しい豪奢なドレス。彼女を取り囲むような、数人の侍女たちや離れて護衛騎士。
……ヒッ……!!! やっぱり、マチルダ姫様だった!! 私は彼女に睨まれてしまい、直立不動で動きを止めるしかない。
舐めるように視線を下から上に動かし、フンっとわざとらしく鼻を鳴らした。
恋の好敵手となった女が……あまり見るところなく大したことのない容姿で、非常に申し訳ありません~!!!
心の中で叫びながら、涙目になってしまった。
……そうだった。城へとやって来たら、身分を確認されて城門を通過した私の情報も、この人に筒抜けになるんだった!
「アヴェルラーク伯爵令嬢だったかしら?」
「はっ……はい。マチルダ姫様。ごきげんよう……」
私は慌てて王族への敬意を表す深い礼をした。私は王族へと忠誠を誓う臣下の娘なので、彼女には最大限の敬意を払う必要がある。
「……ハビエルお兄様に会いに来たの?」
「そうです」
「ふうん?」
鋭い青い目を眇められて、私は自分からは決して動けぬ石像になったような気がしていた。