04 呆然
「……それで、こんな心ここにあらずのような状態が、ずっと続いているのか?」
「……ええ。そうです。たまにしっかりと受け答えされるのですが、睡眠不足なのか、あまり食事も取らずに……」
「……昨日の朝、ハビエル・クラレットが、シャーロットを送ってきたと?」
「……そうなのです。クラレット様はまた、正式に日取りを決めて旦那様にご挨拶をすると去られ、シャーロット様は一度眠られてから、クラレット卿の話を聞かれて夢ではなかったの! と叫ばれて、それから、ずっとこんなぼんやりとした様子なのです。クラレット卿から手紙が来ているのですが、今日もまた……」
「……昨日と今日も? クラレットは王族の姫と結婚すると、僕は聞いていたが」
「……それが、ご本人によるとシャーロット様に求婚して頷いて、既に貰えていると」
「……どういうことだ。シャーロットには三日前に会ったところだが、ハビエル・クラレットについて、一度も聞いたことはないぞ」
「……そうでございますよね……私たちもシャーロット様とは、色々とお話しをお聞きしております。男性とは緊張してどうしても話せないから、どうしても上手くいかないと悩まれていたので、何回かお話しなさって慣れると大丈夫ですとはお伝えしていたのですが……」
「……緊張して上手く話せない子が、何をどうしたら、一晩でクラレットに求婚されることになるんだ。マチルダ王女の結婚相手候補だぞ」
……!!
「エリアス!?」
ベッドに横たわっていた私は、パッと目を開いた。
そこで私の顔を覗き込んで居たのは、私の大事な従兄弟エリアス・バダンテール。お母様の妹である叔母の息子、次期バタンテール伯爵となる人。
胸までの長い銀髪を括って左肩に流し、女性と見紛うほどの美貌を持っており、私は彼とだけは若い男性だとしても緊張せずに話せるのだ。
「シャーロット。一体、何があったんだ。アヴェルラーク伯爵家は、珍しく朝帰って来たお前がおかしくなってしまったと、当主の通夜のような暗い雰囲気だし、それにハビエル・クラレットから、何通か手紙が来ているらしいぞ……返した方が良くないか?」
美々しく優しげな容貌だけど形の良い唇から吐き出されるのは、外見からはあまり想像しにくい乱暴な口振りだ。
「ちっ……違うのよ!」
上半身を起こして、私は首を横に振った。
「何が違うんだよ。その通りの出来事が、今ここに起こっているじゃないか」
立ったままのエアリスは眉を顰めて、腕を組み私へと言った。そうよね。それはその通りなのだけど、私にだって言いたいことはたくさんあるのだ。
「違うの……エリアス、良く聞いて! ハビエル・クラレット様は、マチルダ様が狙ってたの!」
「は? そんなの、とても有名な話じゃないか。今更、何を言ってるんだシャーロット」
私の決死の訴えに、不可解そうな表情を浮かべるエリアス。ちなみに彼は、私より二つ年上の十八歳だ。それだけ、社交界での経験が長いということを示していた。
……やっぱり、そうなんだ!
そして、私たち社交界デビューすぐの子は、知らなかった……そういう、暗黙の了解のような……。
「……? シャーロット。何を言ってるんだ。だが、クラレットがシャーロットに求婚したということだろう? 一昨日は、僕も仕事があったから出られなかったが、一体、何があったんだ。夜会に出た最初から、話してくれないか。君本人以外から話を聞いても、一向に要領を得ないんだが」
エリアスは困った表情を浮かべていた。彼も私の母に頼まれて、ここに来たのかもしれない。
……そうよね。
私本人だって、意味がわかっていないのよ。あの夜のこと。
「その……イザベラと、話していたの。男性と話すことは苦手だって。ここから関係を進めようとしたら、それだけで緊張してしまうって。そうしたら、クラレット団長なら社交界デビューすぐの私なんて、絶対に相手にしないだろうから、石像だと思って会話の練習相手にしたら? って」
「……まあ、確かに一理ある話だな。それから?」
エリアスは色々と言いたいことを飲み込むような仕草をすると、話の先を促した。
「そうしたら、私……色々と言いたいことが言えなくて、結果的に『今夜は帰りたくない』って、ハビエル様に聞こえてしまったらしくて……」
「はあああ……とんでもなく情熱的な発言の、初対面になった訳だな……それで?」
頭を抱える仕草をしたエリアスは、大きくため息をついて、私の方に視線を向けた。
「そうしたら、クラレット様が私の手を取って……」
「は? それは、大丈夫なのか……って、もしそうなら、こんなに平静でもないか。それで?」
それは貞操の危機にも思えるけど、不埒な事をするような男性ではなかったので、私は無事だった。
「歩くのが遅いって抱きかかえられて、王族や高位貴族たちが歓談する部屋に入って、すぐに『この令嬢と結婚します!』って、宣言されたの!!!」
「……はあ?」
エリアスはこれまでの冷静な様子を脱ぎ捨てるように、目を大きく見開き驚いていた。
「信じられないわよね……けど、本当なの! そこにマチルダ様も居て……私、殺されるかもしれない」
あの時の事を思い出して泣きそうになった私に、エリアスはもう一度大きく息をついて天井を見上げてから向き直った。
「よし。そこまでの流れは、俺の知らない世界もあるということで、ある程度理解出来た。シャーロットは、朝帰って来たんだろう? それは、クラレットとずっと居たのか?」
「それが……騎士団寮に連れて行かれて……」
「は!? それで?」
そこでエリアスは気色張った様子を見せ、私に顔を近づけた。
「屋根の上に毛布を敷いて、二人で寝転んで星空を見たの……明け方も近いから、夜が明けてから、一緒に帰ろうって!」
「……ふ……ふーん……そういう奴だったんだ。いや、僕もクラレットの話は、誰かから聞く程度だから……へえええ。やけに乙女が好きそうな、ロマンチックな男だな。剣の腕を称賛されるような、雄々しい騎士団長なのに」
エリアスは変な表情をしてから、呆れかえった様子でそう言った。
私も同じ感想を持ったけれど、問題点はそこではないのだ。
「エリアス……どうしよう! 私。マチルダ様に、暗殺されるかもしれない!!」
「いや、待て待て。シャーロット。いくら、マチルダ様だって、何もしていない無実の貴族令嬢を、すぐに殺すのは無理だって……なんかしら、罪を着せられて、処刑台に送られることはあるかもしれないけど……」
「そんなの、いやー!!!」
私は涙目で、枕をエリアスにぶつけた。
「待て待て待て! ……悪かったって。揶揄っただけだって。何だよ。マチルダ王女の圧力と監視の目をくぐり抜けて、自分に話し掛けてきたシャーロットのことをクラレットが気に入ったってたけか。別によくね。クラレットが気に入ったのは、シャーロットなんだし」
「いやなの! いやなのー!!! どうしよう……こんなことになるなんて、本当に思ってなかったの!」
私は頭を抱えるとベッドに座ったエリアスはポンポンと、背中を叩いた。
「おいおい。シャーロット。ハビエル・クラレットはこの国の貴族で一番権力を持つクラレット公爵家の三男かつ、騎士団長だぞ。容姿も良いじゃないか。そんな男に求婚されて、何を嫌がることがある。この国の貴族令嬢の夢を、お前は叶えたんだぞ」
「命の危険付きなのよ!!」
「うん……それはまあ、代償だな。ほら。シャーロットも勉強しただろう。何かを手に入れる際には、何かを失わないといけないという、あの有名な等価交換という法則を……」
「もー!! エリアス、私のこと、揶揄っているでしょう」
私は近くにあった美麗な顔を睨み付け、彼はにやりと微笑んだ。
「伯母さんから呼ばれて、シャーロット何があったのかと思ったけど、これはヤバい。少し目を離したら、いきなり騎士団長に求婚されてて王女に命を狙われているの、まじ最高に面白い」
「もう!! 最っ低!!」
私から枕で叩かれたエリアスは、面白そうに笑い声をあげた。