17 礼
緊急会議を終えて執務室へと帰って来たハビエル様は、先んじて誰かから色々と聞いたのか、非常に困惑した表情を浮かべていた。
「……あの、シャーロット。何がどうして、こんな事になったんだ」
そして、私を任せていた秘書官ロイクさんへ『お前が付いて居て何故』と言わんばかりに、非常に厳しい視線を向けたので、ハビエル様が私に見せている姿は、やはり彼にとって特別なのかもしれないと思った。
『これは、私とマチルダ様の勝負ですので』
私はそう書いて、ハビエル様へと石板を見せた。
結局のところ、好意を言葉には出したくないけれど、察して好きになって欲しいと望む彼女にハビエル様を諦めてもらうには、こうするしかないと思う。
ハビエル様が好意を気がつかない振りをしていれば、その先には進めないかもしれないけれど、マチルダ様にとっては一縷の望みに賭けて諦めることも出来ないという、二人の関係は永遠に足踏み状態なのだ。
私がこんな事を言ってしまっては、元も子もないかもしれないけれど……マチルダ様だって、若くて良い縁談を望める婚期を逃してしまう。
全員にとって、良い道を選ぶためにはこうするしかない。
「しかし、勝負の方法が剣だなんて……シャーロットは、大丈夫なのか?」
そういえば、ハビエル様には私が剣を扱えることを、まだ言っていなかったかもしれない。
何も出来ない、守られるべき貴族令嬢だと、思われていたのかもしれない……周囲からそう見えるように、私自身がそう振る舞っていたのだけれど。
『私は王妃様直属である女騎士団の前団長アデル・アヴェルラークの娘です。後継となる弟が望めないとわかるまで、私は母のような女騎士になるつもりでした』
私が十になる年齢で、おそらくはそうだろうと医師から診断が下された。だから、私は女騎士になることを諦めて、普通の貴族令嬢として……育てられることとなったのだ。
「あ。アデル殿の……そうだったのか。シャーロットは、彼女の娘だったんだな」
ご自身も騎士であるハビエル様も、私の母の名を知っていたらしい。けれど、母がアヴェルラーク伯爵家に嫁いだことなど、そういう事情はこれまで知らなかったようだ。
『ご心配なさらないでください。私は剣術では、良く褒められておりましたから』
幼い頃から従兄弟エリアスと共に、母や母の部下だった元女騎士たちに剣術や体術などは叩き込まれた。
エリアスが『私の事を弟だと思っていた』と以前に口にしていたのは、無理もない事なのだ。
……実際のところ、私が異性にのみ『口下手』になってしまうのは、体格に恵まれた男性にも勝たなければならないと、彼らに長い間闘志を燃やしていたからだと思う。
だけど、アヴェルラーク伯爵家の後継娘として、彼らから好かれて求婚されなければならないと、逆方向へと努力することになり、以前の意識があって余計な力が入ってしまう。
幼い頃は、男勝りな性格で……けれど、令嬢らしく女性らしくしなければと自らに強制的に思うことで、異性に対して口下手になってしまった。
そういう流れで異性のみに口下手になる原因は、明確にわかっているものの、長年培った思い込みは、なかなか取り除けるものではなかった。
「……だが、俺は心配だ。シャーロットが怪我をしてしまわないか、それに、マチルダが妙なことを言い出さないか心配なんだ」
大丈夫だと何度も伝えているのに、何度も心配を止めないハビエル様についムッとしてしまった私は口を開いた。
「これは、私とマチルダ姫との問題で、ハビエル様には関係ないのでこれ以上は何も言わないでいてください!」
「え……あ、はい。シャーロット……あの」
滑らかに出て来た言葉にハビエル様は非常に驚いた表情を浮かべ、初めて彼相手に噛まずに話すことの出来た私だって口を両手に手を当てた。
……そうよ。今、私……ハビエル様にはっきりと言葉を出せたわ。
「ハビエル様……っ……(私、今話せました)っ……あのっ……」
けれど、続いて話そうとすると、やっぱりダメだった。何も考えずに感情のままに言えば良いのかもしれないけれど……やはり、意識した『普通』は、『普通』ではないのだった。
再現性のない成功だったとしゅんとした私に、苦笑したハビエル様は近づいて頭を撫でた。
「大丈夫だ。今ああして俺と話せたということは、いつかは話せるということだ。ごめん……何か勘違いさせたかもしれないが、シャーロットの力を疑っている訳でない。ただ、心配なんだ。怪我をしないか……俺のせいで、理不尽な目に遭ってしまわないか」
……ハビエル様。自分こそが、とんでもなく理不尽な目に遭っていると言うのに……本当に優しすぎる。
『絶対、勝ちます』
私は石板にそう書いた。そして、自分にも勝利を誓った。
ハビエル様とマチルダ様の二人に関しては、周囲だってどう働きかけて良いかわからない、延々とどうにもならない膠着状態だったのだ。
そこをなんとか出来るのは、おそらくは……ハビエル様と結婚すると決意した私だけ。
◇◆◇
そして、彼との打ち合わせを終えて、数日後……マチルダ様と私の勝負の日。
本来は王族たちが使用する訓練場にて、女性用の乗馬服のような軽装で、私たち二人は対峙していた。
マチルダ様は王族としての護身術で、剣を扱うことも出来るらしい。当然のことだけれど、御身に万が一があってはならないと、私たち二人は木剣での勝負となった。
こんな時にも、マチルダ様のくるんくるんとした金色の巻き髪には、ひと筋も乱れはなかった。そして、シンプルな白いシャツにも、高価そうなレース……流石、お姫様。
観客は居ない代わりに、勝負の見届け人として、王太子ヒューバート様とハビエル様がいらっしゃっていた。
ハビエル様は『何かしらないけれど、城で喧嘩になった二人が勝負することになった』という情報だけしか知らないことになっている。本当は知っているけれど……そういう、無駄な知らない振りも止めさせてあげたい。
そして、王太子ヒューバート様は妹マチルダ様に対し、とても甘く接しているかというと、実はそうではないらしい。
もし、これで私に負けたならば、ハビエルのことを諦めるようにと、勝負の前に何度も何度も言い含めていたので、彼女もそろそろ良い加減に他の縁談相手を見るように思われていたのかもしれない。
政略結婚と言えば、王族が多いし……私たち貴族はそういう役目を負うことで、平民たちからは夢のような生活を送れているのだ。
私はマチルダ様の剣の構えを、じっと観察していた。彼女は正統な騎士の剣術を学んでいる構えだ。
「……開始!」
ヒューバート様の低い声が響いたので、私はスッと後ろへと、一歩引いた。マチルダ様は予期せぬ動きに怯んだようだけれど、何歩か前へ踏み込んだ。
彼女の学んだ剣術では、そうするようにと学ぶからで、私もそうするだろうと思った。
同じように背後へと動いた私は、彼女の動きをつぶさに観察していた。
……剣筋は悪くない。女性だけれど、少ない力を最大限使えるような身体の動かし方だった。
おそらくは生来なんでもこなしてしまう器用な方で、必須で学んだ護衛術の剣術も、ある程度は物にしていそう。
ある程度は……だけれど。
私はマチルダ様の実力を把握したと踏んだ時、遠慮なく前へと踏み込み、彼女の剣を受け止めて、何度か剣を合わせた。
まさか、私がそんな動きを見せると思っていなかったらしいマチルダ様は防戦一方になり、彼女の太刀筋を正確に見抜き全て押し返した。
そして、剣の衝撃を何度も受けマチルダ様の手が限界と見るや、横薙ぎに剣を走らせると、彼女の持っていた剣が宙を飛んだ。
空手で構えたままで、呆然としているマチルダ様。私は荒い息をつきながら、体勢を整えて剣をもう一度両手で固く握り構え直した。
……激しい戦場を何度も潜り抜けた母からは、勝利を確信したとしても敵が戦闘不能となるまでは、決して気を緩めるなと教わっているからだ。
「……そこまで! 勝負あり!」
ヒューバート様の声が響き、ホッと息をついた私は剣を納めて、胸に拳を当てて礼をした。
これは、王族に対する最高礼ではなく、対戦した相手への敬意を示す礼だった。