15 お城
真夜中に早馬で返って来たお母様の短い手紙には挨拶も結びの言葉もなく『シャーロット婚前同居許可』と、それだけが書かれていた。なんだか、お母様らしい……。
私のお母様は元女騎士団長で、もうそこらへんの男性よりも断然格好良く、何かを判断せねばならない時に迷う時間は長くない。『兵は拙速を尊ぶ 』を、地でいく方なのだ。
娘の私にも材料が既に揃った状態での判断であれば、時間を掛けてもそれは変わらないと、再三教えていた。
私の従兄弟エリアスからの手紙を読んで、クラレット公爵家のハビエル様と私が結婚するならば、反対はせずに同居を許可するということだろう。
そして、私はハビエル様が持つ広い邸で過ごすこととなった。
元々はお祖父様にあたる元クラレット公爵が本邸として使っていた邸らしいけれど、まったく古さを感じさせることのない上品な建物だった。
私の自室など比較にならぬほどの豪華な部屋に、腕の良いシェフ。なんなら、実家であるアヴェルラーク伯爵邸よりも、のびのびと過ごすことが出来てしまっていた。
ただし、外出する時は必ずハビエル様と同伴するようにと言い含められていた。この前のロイクさんに助けてもらった時のことを思えば、それは当然のことなのかもしれない。
この前にエリアスも言っていたけれど、税金で雇われている諜報員に恋する相手の動向を探らせているってマチルダ様の行動は褒められることではないと思う……最高権力者である国王陛下がそれを知っていて黙認しているのなら、仕方ないのかもしれないけれど……。
そして、次の週末にハビエル様が、はりきって計画してくれたお出かけの内容は、驚くほどに私の意向を優先してくれていた。
女の子の好きそうな可愛い店、女の子の好きそうな景色が綺麗な場所。女の子の好きそうな形まで洗練された料理。
何故だか、ハビエル様がとても嬉しそうなので私だって嬉しい。私はまだ上手く話せないけれど、出来るだけ意図をくみ取ってくれようと努力してくれた。
ハビエル様は格好良い上に、本当に可愛い。
そして、そんな時にも周囲の女の子たちの視線を集めるのも、容姿が良い彼にとってはお決まりのようでまったく気にしない様子だった。
……そうだ。マチルダ様のことを気が付いて居たとしたら、ハビエル様は自分が女性から好まれている事も知っていることになる。
それを、知らない振りもすることも。
そこがどうしても気になってしまった私は、馬車に乗っての移動中に、カツカツと音を立てて石板へ文字を書いた。
『ハビエル様。ご自分が女性にとても人気があることについて、自覚はありますか』
そこで私が何をしているのだろうと怪訝そうにしていたハビエル様は、その文章を見て驚いていた。
どうなのかしら……? どういう風に考えている……?
「……ああ。俺もシャーロットが好きだよ」
微笑んでそう言ったハビエル様は手で石板を貸して欲しいと示したので、私は戸惑いつつも彼に渡した。
『彼女たちは俺と居れば危険があると知れば、すぐに逃げ出してしまうだろう。それを責めるつもりはないが、シャーロットは逃げないし傍に居てくれる。彼女たちとは、全く違う存在だ』
そう書かれた石板を見せつつ、にっこり微笑んだハビエル様。
そうだった……!
私だってマチルダ様と対抗しようと思ったのも、彼が私がずっと悩んできた口下手であることを、なんでもない事のように受け入れてくれた時からだったもの。
あの時に、私は明確にハビエル様を好きだと思ったし、彼と結婚出来るなら頑張ろうって……そう思ったのだった。
ハビエル様がいくら外見中身共に特上の男性と言えど、命の危険があるなら、自分はもう引き下がろうという女性は多いと思う。
そうされてしまい、彼自身は傷つかない訳はないと思う。けれど、ハビエル様は断られても逃げられても諦めずに、ようやく私を見付けてくれたのだった。
『これまで、とても大変でしたね』
私はカツカツと音をさせて、石板にそう書いた。しみじみとそう思ってしまう。普通に行きたいだけなのに、ままならぬ思うようにならない人生だったと思う。
「今ではもう、大変だったことは忘れたよ。幸せだから」
そう言ったハビエル様は私を見て、にっこり微笑んだ。
ハビエル様の周囲の人は全員知っていると思うけれど、彼は本当に優しくて素晴らしい男性なのだ。
これまでお姫様に好かれるという幸運なのか不運なのかわからない、自由を制限された中で生活していたけれど、早く解放してあげたい。
……私にそれが、出来たら良いのに。
◇◆◇
何回目かの、お出かけの時。
なにやらお城の中で騒ぎがあったとかで、治安維持も仕事の内の騎士団長ハビエル様は、その足で登城することになった。
同行していた、私も一緒に城まで来た。ハビエル様は緊急会議に出るというので、彼の執務室に待機することになった。
秘書官ロイクさんは私と一緒に居ることになった。相変わらず、有能過ぎて私の言いたいことを先回りしてわかってくれるので、とっても便利な秘書官だった。
そして、私はお城で出される最高級のお茶を飲んで、ふうとため息をついた。
なんでも出来る秘書官ロイクさんが直接淹れてくれているというお茶は、とっても美味しい。茶菓子として用意されたお城で雇われたパティシエが作ったクッキーも、とても美味しい。
……そうなの。私ときたら美味しいお茶を飲み過ぎてしまい、お手洗いに行きたくなってしまった。
危険回避の観点から、この部屋を出ない方が良いとは理解しているけれど、これは生理的な現象なので止めようがない。
私はハビエル様の執務室で同じように机を用意されているロイクさんへ、チラッと視線を送った。すぐに顔を上げ視線を受け止めてくれたロイクさんは、冷静な表情で頷いた。
「……お手洗いですね?」
私も彼に向けて、真顔で頷いた。ええ……このままでは、とんでもないことになってしまう。
ロイクさんはスッと立ち上がり、扉へと私を誘導した。そして、扉を開ける前に注意事項を早口で言った。
「最短距離で行きましょう。少し距離がありますが、すぐに行って帰ってくれば問題ないはずです」
私はこくこくと頷き、彼が扉を開いたと同時に歩き出した。
ロイクさんも早足だけれど、私も黙ったままで彼に付いて歩いている……端から見たら、変な二人になってしまっているけれど、仕方ないわ……!
そして、私たちはやたらと豪華なお城のお手洗いに辿り付き、無事に用を足すことが出来た。手を洗ってハンカチで手を拭き、私はお手洗いを出た……ら、そこに仁王立ちしたお姫様と対峙することになってしまった。
「……あら。久しぶりね。アヴェルラーク伯爵令嬢」
「お久しぶりでございます……マチルダ殿下」
そこまでお久しぶりでもないのだけど、彼女の体感時間からすると長かったのかもしれない。これまで、完全排除に成功していたハビエル様の近くに居る異性が、排除出来ていない状態だものね。
私の前へと立ちはだかったロイクさんは、お手洗い前で待ってくれていたのだけれど、ご本人登場にどうしようもなかったのね。ごめんなさい……私がお茶を飲み過ぎてしまったばっかりに。
「ハビエルお兄様の邸に住んでいると、聞いたけれど……?」
マチルダ様の眼光は鋭い。私が何の覚悟も出来ていなければ、裸足で逃げ出していたはずだ。
けれど、残念ながら私はもう……ハビエル様と結婚したいと、そう決意してしまっていた。