13 石板
私の差し出した石板の文字を見たハビエル様は、青い目を大きく見開いた。
そんな彼の顔を見ながら、これからどんな反応を見せるのかと、私は非常に緊張していた。
つい先ほどのロイクさんの言葉を聞くまでは、私だって、そんなことを考えつきもしなかった。
そうよ。気が付くはずもない……なんなら、自らを道化として見せるような演技で、ハビエル様が王女様の縁談という本来ならば断れないだろう話を有耶無耶にしているのかもしれないなんて……そんな。
私たちにはわからなかった。けれど、これが事実であるとすると、あんなあからさまな好意に気が付いて居ない……そういう理由だって、理解をすることが出来る。
「参ったな。シャーロットは、本当に可愛いな……俺も君の事が、好きだよ」
ん……あれ? え? どういう意味に、取られたんだろう?
私は自ら書いた石板の文字を見直した。別にマチルダ様のことを気にして、私がやきもち妬いてるって意味にもなってないよね? どういうことなの?
不思議に思ってハビエル様を見れば、彼は私に目線を合わせてにっこり微笑んだ。わ……ここで何も関係ないけど、格好良い。
そして、ハビエル様の大きな手が石板をひょいっと取って、カツカツと流麗な文字がそこに書かれた。
『耳と呼ばれる者が、常に近くに居る。もし、声に出すのなら話す言葉には、気を付けて』
「っ……!!!!」
私は思わず声を出しそうになったけれど、両耳に手を当てて堪えた。
そうか、ハビエル様はマチルダ様が放った『王家の影』が、常に傍に居ると思って暮らしているんだ……! これまで、ずっと何も知らない振りをして……?
「シャーロットの言いたいことは、わかるよ。俺も君が居ない時は、とても寂しい……」
ハビエル様は優しい声で語りかけながら、石板に文字を書いた。
『その事については、お互いに筆談で話そう。わかった?』
こくこくと私が頷くと、彼は目を細めた。
「良い子だ。ロイクが脅すような言葉を使ったかもしれないが、もし『王家の影』であれば、俺の縁談相手に手出しなんてするはずはない。これまでの人生の中で、国家に反逆したという覚えもない。俺が国王陛下に忠実な配下であるならば、彼らは恐れることはない。むしろ心強い味方になってくれるはずだ。心配することはないよ」
『マチルダに関しては、シャーロットが考えて居る通りだ。幼い頃から、その事については気が付いて居た。しかし、相手ははっきりとそれを言葉には出さないし、権力を以て無理強いもしたくないようだとも理解していた。ならば、知らない振りをしていれば、逃げ切ることは可能だろうと当時の俺は考えた』
そっ……そうなんだ~!! マチルダ様の好意については、やはり、知っていたんだ。ハビエル様。
いえ。あれでわからない方が絶対におかしいんだけど、本人が本人にはっきりと好意を伝えないから、誰かがハビエル様へ確認を取る訳にもいかないし……それで、彼はとぼけた振りをして、断れない立場にならないようにずっと身を躱していたんだ。
もし、あれがすべて演技だとしたら……あまりにも、上手すぎない? 私はなんだか、背筋がゾクリとしてしまった。
……エリアスは以前、私に言っていなかった? 『世の中で一番に怖くて頭が良い奴は、処世術として何も知らない道化の振りをしているんだ』……と、それで言うのなら、ハビエル様は気が付いて居ない道化の振りが上手すぎて……。
「俺がシャーロットを好きであることは、間違いないよ。エリアスに頼んだ君の母君への手紙も、今夜中には返って来るだろうと言っていたから。君がそうしたいなら、今夜から、俺の邸に住めば良い。部屋は隣の部屋を準備させておいた」
『まず、先に言っておくが俺自身の希望としては、シャーロットとこのまま結婚したい。しかし、結婚式まで何も知らない君を、どうにかして守らねばと思っていた。だが、わかっていてくれていれば話は早いし、口下手という理由を持つ君であれば、筆談での意志の疎通を疑われることもない。こちらの意図を、盗み聞かれることもない』
えっ……そうなんだ。
私がずっと嫌だし直したかった弱点が、こんな時に役に立つなんて!
……本当に人生って、わからない。
それに、私の部屋がハビエル様の隣の部屋って……それって、完全に伴侶の部屋で……って、私たち結婚するから同居するから、それは当然のことなのね。
「わかっているよ。結婚式は最短で行おう。とは言っても、俺はともかく君の家の格式を考えれば、婚約公示期間の一年を待つことになってしまうだろうが……それは、仕方ない」
『以前、王太子ヒューバートと賭けをして勝った時にした約束で、俺が結婚する時には、彼に協力してもらうことになっている。妹マチルダのことで彼も色々思うところはあるだろうが、なんとか公示期間を短くしてもらい、最短で結婚式が出来ないか聞いてみるよ。流石に、初夜を越せば諦めてくれると思うから』
初……! 初夜……! いえ。当然ですよね。結婚式をするって、そういうことだし。
「シャーロット。何も心配することはないよ……」
にっこりと微笑んだハビエル様はその時に私に石板を渡したので、ここまでの話で何か聞きたいことがあったら聞いてねということなのかもしれない。
私はカツカツと音をさせて、石板に一番に気になることを書いた。
『ハビエル様は結婚が出来るなら、相手は誰でも良いと思っていましたか?』
私がこの文章を見せれば、彼はとても驚いた表情をしていた。
なんだか自分でも忘れそうになるけれど、夜会で会話の練習台としてハビエル様へと声を掛けたのは、二日前の夜なのだ。
なんなら、私たちはまだ出会ってから丸二日経っていない可能性だってある。
だと言うのに、かなり踏み込んだところまでいった縁談になってしまっていることは、間違いないもの。
私との結婚はマチルダ様から逃げ切るだけのためだとしたら嫌だから……ここは私としては、きっちりと確認しておきたい。
「いやいや、誰でも良い訳ではない……誰でも良い訳ではないが、これまで俺は結婚する女性を探し求めていたことは確かだ。そして、シャーロットの所に最終的に辿り付いた。それだけのことだと思う」
私はハビエル様の目を見た。私を見つめるキリッとした青い眼差しに、嘘はないように思える。
続けてカツカツと音をさせて、私は石板に文字を書いた。
『私のこと好きですか?』
これも、聞きたかった。今までがもし、マチルダ様から逃げ切るための演技だったとしたら……それなら、私のことなんて好きでなくても良いし。
この人の演技がとても上手いことは、私だって良くわかったから。
ハビエル様は真顔になった後、目の前に居た私を抱きしめた。
「シャーロット、好きだよ! 好きではないと、結婚は出来ない。最初はそこまで口下手だとは思わなかったが、話し掛けてくれた時も可愛かった。この子と結婚しようと思って、家族にもすぐに紹介したんだ。別に結婚相手を決めるのに、長い時間が必要であるとは思わない」
ぎゅうっと抱きしめられながら、私はほっと息をついた。ついこの前に会ったばかりなんだけど私も好きだし、ハビエル様も好きで居てくれる。
それならもう……良いのでは? と、思えて来た。
命の危険と、ハビエル様との未来……私の心の秤は、とんでもなく格好良い騎士団長との未来へと、振り切れてしまった。
「あ……それと! あと、シャーロットとは、相談したいと思っていたことがあったんだ」
パッと身体を離して、石板を私に持たせた。
「初デートは何処にする? もし、希望がないなら、行きたい場所があるんだが……」
ここで途端に目をキラキラと輝かせ、ハビエル様はマチルダ様については気が付いていない振りだったけど、女性関係を徹底的に阻害されていたことは、多分……間違いなさそう。
マチルダ様、これまでの経緯を見れば、ハビエル様に関わろうとした女性にすべて威嚇していそうだし。
やっぱり……すっごく、女性との恋愛に夢をみていそう。これまで絶対的な権力に邪魔をされていた分、憧れが色々と溜まっていそう。
けど、そういうところもやっぱりなんだか可愛くて、私はまた胸がキュンとしてしまった。




