11 馬車
ハビエル様は国王陛下も出席される会議へ向かうとのことで、急ぎ水浴びと着替えを済ませるために、ロイクさんに私を無事にアヴェルラーク伯爵邸へと送り届けることを命じてから去って行った。
私への手の甲のキスも忘れず……もしかしたら、ハビエル様は恋愛関係にある女性との別れの時はこうしなければならないと、思い込んでいるのかもしれない。これまでは、ずっとそうだし。
なんだか、可愛いから『毎回しなくて良いですよ』って、指摘しないでおこう……可愛いから。
というか、あの方、この大事な会議を放って、私のお母様を単騎で追いかけるって言ってなかった……? 仕事より纏まりそうな縁談の方が大事って思ったのかもしれない。
これまでの事を思えば、無理はないけど。
なんだか、とても落ち着いているなと思ったら、私の心を読んだかのように年齢を教えてくれた童顔ロイクさんは御齢三十らしい。
若く見えすぎる。このまま将来的には、年齢不詳な人になるんだろうなと思った。そして、彼の役職は騎士団長たるハビエル様の秘書官。
以前、エリアスに聞いた事があるけれど、高官の秘書官などは仕事を覚えるために傍に居て、次なる幹部候補だと言っていたから有能な騎士様なんだろうなと思った。
ハビエル様が使う馬車だという豪華な馬車に揺られて、十分ほどしたくらいだろうか、これまでに言葉少なだった前の座席に座るロイクさんが私へと唐突に話しかけて来た。
「……シャーロット様も、きっと不思議に思われたでしょう。結婚を望む団長へマチルダ姫から執拗な邪魔を受けている事を、なぜ近くに居る誰も彼に教えないのか……」
ロイクさんは口下手な私の心を読めるかのように、その時その時で色々と教えてくれる。けれど、これは彼が『こういう状況ではこの人はこう思うだろうな』という気遣いが異常に出来るだけだからだと思う……。
私が肯定を表すために何度か頷けば、彼は膝の上で手を組んで肩をすくめた。
「実は何度か団長を慕う正義感の強い部下何人かが、そうしようと試みたことがあったのですが、何故かそれは事前に防がれ、全員騎士団を即日解雇されています……離職の手続きの際、高額な口止め料を渡されるいう噂も」
ヒッ……! そうなんだ! マチルダ様の持つ権力恐るべし!
私はつい先ほど彼女と対抗しようと思った固い決意が、グラグラと揺らぐのを感じた。ままま、待って。あっ……あまりにも、形振りを構ってなくないかしら?
いえ。ハビエル様が好きで居てくれるし、私も彼が好きならどんな障害があっても大丈夫! ……なはず。きっと。
「団長は上司として人としては優秀で素晴らしい方なのですが、そういう訳で周囲の全員は我が身可愛さに素知らぬ振りをして、口をつぐんでいます。まあ、実際のところ団長がマチルダ様に目を留められて恋愛関係に落ちていただければ、全員が幸せになりますし……僕も正直言えば、そうなれば全部丸く収まるのにと思っておりました」
確かにそれは……そうかもしれない。
そして、マチルダ様だって、それを望んでこういう状況を作っているのだ……自分以外の女性関係が上手く行かなかったハビエル様が、自分だけを見てくれることを。
「シャーロット様。僕が何を言いたいかというと、おそらくは団長の周囲は『王家の影』と呼ばれる隠密の存在に常に監視され、彼らによって団長へ都合の悪い情報が入ってしまうことを防がれて……それに、団長が誰と何を話したかも、マチルダ様へと筒抜けの状態になっています。でなければ、不可能なことばかり起きておりますので」
そ、そそそ!! そうなんだ!!!
『王家の影』という名前が物語の中の出来事のようで、私は少々気持ちが上がってしまった。
話には聞いたことはあるけれど、本当に居るんだ。王家の裏で彼らを守り表では言えないような仕事を遂行する、そういう隠密集団。
「……それでですね。シャーロット様」
そこで、ロイクさんの緑色の目がスッと細まった。これまでの力を抜いた状態から、一気に塗り変わった馬車の中の緊迫した空気。
えっ……何? 私は何も起こっていないし、これまでと何も変わらないように思うけれど。
驚いて息を呑んだ私に頷き、馬車にある小さな窓へロイクさんは視線を移した。そこには、ただ流れていく風景。
「おそらくは、シャーロット様が団長の邸へ早々に転居すると知られてしまい、どうにかするには、ここしかないと狙われてしまったのかもしれません。余程、脅威に思われてしまったのでしょうね。現在、僕らの乗車している馬車は、アヴェルラーク伯爵邸へと向かっておりません。出発直前に、御者を入れ替えたのでしょう……団長に不審に思われる行動を取ってでも、これ以上は関係が進むことを止めたかったようですね」
……え?
慌てて目を凝らした私はあまり外出しないのでわからないけれど、ロイクさんはアヴェルラーク伯爵邸へと向かう道筋ではない事を気がついているようだ。
「まあ、この馬車が何処へと辿り着くかはわかりませんが、あまり良いことは待っていなさそうですので……これから、僕ら二人は走る馬車から飛び降りようと思っております。僕は団長よりシャーロット様をお守りせよという命を受けておりますので……」
飛び降りる……? 馬車から……? え。嘘でしょう?
「あ。すみません。これは、別に貴女の許可を得るために、言った訳でなくてですね……」
あまりにも衝撃的な事実に動けなくなった私を冷静な視線で見てロイクさんはスッと立ち上がり、腰に履いていた剣を抜き、扉の中央ではなくおそらくは扉を開閉する金具のある部分を2回ほど迷いなく突き刺した。
「こうするというご報告です。では、行きましょう」
剣を鞘に納めたロイクさんは呆然として座っていた私を軽々と抱き抱えると、ガンッと扉を強い力で蹴って壊し覚悟なんて決める間もなく、二人の体はふわっと宙に浮いた。
◇◆◇
肌にはひんやりとした空気を感じる。今、私は外にいるんだろう……そう思った。
目を開けると、そこには視界が悪い中に見えるロイクさんの顔。そして、暗い森の中。
「……気がつかれましたか」
「あ……あの(ここはっ?)そと!?」
私はあわあわとした私は上半身を起こし、身体が地面につかないように、彼の腕が支えていてくれていた事を知った。
一見するとドレスはあちこち汚れているけれど、身体はどこも傷んだりしていないから、走る馬車から飛び降りた時に受けた強い衝撃は、彼がほとんど引き受けてくれたんだろう。
夕闇押し迫る薄暗い光の中、背の高い草の中に身を伏せて、私たちは隠れていた。
「大丈夫です。落ち着いてください。走る馬車は急には停まれないので、今は王家の影も僕らを見失っているはずです。いずれは、団長が迎えに来てくださいますので、ここで身を潜めて待ちましょう」
ロイクさんの口振りからすると、マチルダ様の放った『王家の影』では私たちを見つけられないのに、ハビエル様であれば見つけられるだろうということになる。
私が不思議そうにしたことに気がついたのか、ロイクさんは目を瞬いた。
「ああ。すみません。説明が足りませんでしたね……治安維持であったり実務を主とする王立騎士団の団長職はクラレット公爵家の三男だからと、拝命出来るものではありません。無能では務まりませんし、しかも多くの数の部下を使うことが出来ますから、機動力にかけて騎士団は『王家の影』の比ではありません。ここに居れば、団長はすぐに見つけてくれるはずですよ」
ロイクさんの言葉端々からは、ハビエル様への絶対的な信頼を感じる。部下からそう思われるという事は、これまでに彼がそれだけの成果を挙げているということだろう。
……やっぱり、素敵な人だな。ハビエル様。
彼と一緒に居れば危険がすぐそこにあることは、もうよくよくわかったけれど、結婚出来るなら……したいな……。




