④
背景、今朝の私
今朝からは考えられないと思いますが、今私は化け物に追われて走っています。
お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください、過労とかは気をつけてたけど
まさかよく分からない場所で化け物に襲われて死ぬとは思ってもいませんでした。
「うわぁぁぁあっ!」
ベチャベチャと黒い液体をまき散らしながらドスドスと音を立てて追いかけてくるそれに思わず頭の中に遺言のような言葉が並んでいく。
それらを振り払うよう叫びながら手を引いて走る黄昏様の小柄な背を追う。
「手は離すけど、遅れずについておいで」
息の上がった隙間から黄昏様がそう告げると私から手を離して少し先を行く小柄な体のどこからそんな力が発揮されるのかと疑いたくなる程鋭い足蹴りで正面に現れた化け物を壁に叩きつけていく。
踊っているようにも見える軽やかさからは想像できない鈍い音を響かせる黄昏様の背中を必死に追う。
走り続けて酸素の足りない身体の喉も肺も焼けるように痛む。
もうどこをどう走ったのかすらも分からない。
「これで、最後!」
黄昏様のそんな声とともに化け物が雑に蹴り飛ばされた先に開けた視界で振り返った黄昏様が待ってて、と言いながら戻っていく。
背後に迫っていた化け物へ振り抜いた黄昏様の足が頭と思われる部分を跳ね飛ばす。
身をひねると黒い髪がふわりと舞い広げた両手に黒い翼を幻視する。
呻き声のような謎の言葉を紡ぐ化け物を問答無用で文字通り蹴散らした黄昏様がやれやれと溜息を吐きながら戻ってくる彼女の足からは化け物から付着したと思われる黒いドロリとした液体がぽたぽたと滴り落ちて地面に黒い足跡を作っていく。
あの足に蹴られたら私も一撃でこの世とおさらばに違いないと思うとちょっと怖い。
それでも私を守るために戦ってくれたのも事実。
「け、怪我とか……してません、か……?」
震えないように気をつけて声をかければ黄昏様は何を聞かれたのか分からないと言うようにキョトンと首を傾げたあと、心配してくれるのね。とふわりと瞳を細めて花が綻ぶような笑みを浮かべた黄昏様は私に歩み寄ると両手を包むように握りありがとう。と返す。
「こんなのに遅れを取ったりしないよ」
さぁ、帰ろうか。と手を繋いだまま歩き出す黄昏様の背中に再び続いて歩き出す。
「黄昏様は、普段はどう過ごしているのですか?」
「普段……?
お腹がすいたらご飯を食べて、眠たくなったら寝てるよ、あとはたまに君みたいな迷子を回収するくらいかな」
興味本位から口に出した言葉に別に珍しい事なんてないよ、と言いたげな顔で教えてくれた生活に
自分の来る日も来る日も会社であくせくと働き趣味の為に睡眠を削っているような生活を思い出して思わず羨ましい。と口をついて出る。
「そうかな、仕事をしているという事は君はいつも誰かに必要とされているのだから、それはとても素晴らしいことだと思うけど……無いものがお互いにきっと羨ましいんだね」
不思議そうな顔で振り返った黄昏様は少しだけ難しそうに眉間に皺を寄せて考えたあと、生き物ってそんなもんだよねぇ、と言うようにへらりと笑う。
そんな黄昏様にそうだね、と返したところで背後からべしゃりとなにか液状のものが落ちるような音にヒェッ、と小さな悲鳴が溢れる。
ギギギ、と錆び付いたブリキのような動きで振り返ろうとした私の手を黄昏様が強く引く。
「走って!」
黄昏様の声に弾かれるように前を向いて足を動かす。
その間もべしゃりともぐしゃりともつかない不快な音が何度も響きおぞましい何かがこちらを追ってくるのが分かる。
「……仕方ないか
君、壁にぶち当たるまで絶対に振り返らずに走って!」
険しい顔の黄昏様が手を離して踵を返して恐ろしい音がする方へ駆け抜けていく。
黄昏様を呼び戻そうと振り返りかけた所で行って!と叱咤するような鋭い声に背中を押されて走り出す。
夕焼けに長く伸びた黄昏様の小柄な影がぐにゃりと歪んだように見えて目を閉じて無我夢中にはしりぬける。
ゴン、と言う音と共に頭に鈍い痛みを感じて目を開ければブロック塀が目の前にある。
いつの間にか戻ってきていた喧噪に額を抑えながら顔を上げる。
陽はすっかり落ちてしまい夜の帳が降りた空、通り過ぎる人達は私を遠巻きに見ている。
ブロック塀に全力疾走でぶつかる人物とか怖すぎる、私が同じ立場でも目を合わせない自信がある。
恐る恐る声を掛けてきてくれた人に大丈夫です、と応えながら振り返る。
ずっと真っ直ぐ走ってきたはずの背後には到底人が通り抜けられないような細ビルとビルの隙間しかなく、私が通ってきたはずの道はどこにもなかった。
そうだ黄昏様!と置いてきてしまった少女の事を思い出して近くの通りを覗いたり、ビルの隙間を覗いたりしてみたがそれらしい世界は無い。
実は帰宅途中で気絶して今、ブロック塀に頭ぶつけて目を覚ました、とか?と思い額に当てようとした手に何かを握っている事に気が付く。
カラス、にしては大きすぎる黒い羽根。
黄昏様と烏……関連性があるみたいな記事を朝、読んだなと思い小さく笑みが零れる。
変な世界に迷い込んで、迷子として黄昏様に保護されて守られた、子供の都市伝説では無かったんだな。と小さく息を吐いて手に握っていた羽を街の灯りに透かす。
ただの黒ではなく、赤や紫、青に色を弾く不思議な羽。
黄昏様と出会った証。
神様の一部って聖遺物的なありがたいものだったよな、と思い仕事で使っている手帳に挟む。
ちょっと大きいかと思っていた手帳に斜めに挟めば羽が飛び出すことなく収まる。
「お守りにしよう」
よし、と頬を叩いて気合いを入れ直した私はすっかり遅くなってしまった家路へと急いで足を踏み出した。
これは、私が黄昏様に出会った話。