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地獄の門番

 これは俺が友人から聞いた話だ。

 その友人には仲の良い先輩がいるんだが、その先輩は半グレみたいな、その筋の人たちとも結構つながりがある人らしい。先輩自身は特に犯罪行為とかはしていないらしいが、半グレの友達から飲みで聞いた話をよく話してくれるそうだ。闇バイトや、先輩の友達の犯罪行為の話だとか。

 本題はここからだ。先輩の友人(半グレ)の仕事仲間が失踪した。こいつを仮にAとする。先輩の友人(Bにしとく)はAとはタッグを組むような形でよく仕事をしていて、相棒のような関係だった。

 半グレの業界で失踪といえば、殺しの依頼で失敗して命を狙われるというケースが多いらしい。漫画みたいな話だ。しかし、Aが失踪する理由には本当に心当たりがなかった。そもそもAやBは半グレ業界では下っ端に近く、殺しの案件などめったに回ってこないからだ。業界を抜けるために逃亡するケースもあるらしいが、Aがそんなそぶりを見せたことはなかった。Aの家族や共通の知人に確認しても何も知らないという。

 不可解な点があったとすれば、Aが失踪する直前によく口にしていたことだ。


 「幽霊屋敷の通りでいつも変なジジイが話しかけてくる」


 このジジイがAの失踪について何か知っているかもしれない。そう思ったBはさっそく幽霊屋敷の通りに行ってみることにした。(友人からの又聞きのため、東京のどこかにある、ということしか教えてもらえなかった)

 その町は相当雰囲気の悪い街で、大通り沿いに近所ではかなり有名な心霊スポットがある。それが幽霊屋敷だ。見る限りは何の変哲もない荒れ果てた民家だが、夜中になると大勢の人のうめき声が聞こえるのだそうだ。

 Bは幽霊屋敷の近くの大通りに妙なジジイがいないか探した。しばらく探していると突然、背後から話しかけられた。

 「銭湯はどこか知りませんか?」

 70歳は超えていそうな老人だった。しかもジジイ。だが特に変な感じは見受けられない。

 「知らねぇよ、他の人に聞け」

 不機嫌にBは言った。だが老人は食い下がる。

 「あなたから聞きたいんです」

 「ああ?」

 ドスを利かせた声でうなった。しかし。

 「銭湯はどこですかな?」

 老人は全く動じていなかった。このやり取りをあと3回ほど繰り返し、とうとう根負けしたBはスマホで銭湯の場所を調べてやったそうだ。

 「はあ、なんてジジイだ……」

 老人を銭湯まで送り届けたころには日が傾いていた。だが、収穫もあった。探していた変なジジイはあいつに間違いない。Bは銭湯の前で数時間張り込み、出てきたジジイを尾行した。

 時刻は午後8時を回り、とうに日は暮れている。よぼよぼと歩く背中を20メートルほど離れてついていく。大通りをそれ、わき道に入ったジジイを追いかけて角を曲がったところで、Bは目を丸くした。

 老人はあの幽霊屋敷に入っていったのだ。

 ここに住んでいるのか? 深夜に聞こえるうめき声はジジイのもの? いや散歩で寄っただけか?  そんな疑問が頭をよぎる。

 だが、追わないという選択肢はなかった。垣根の隙間からジジイが玄関扉を閉めたのを確認してから、木々や雑草の生い茂る庭へと足を踏みいれる。扉に耳を当てると、階段を上る音が聞こえた。二階に上っていったらしい。窓をのぞき一階に人がいないのを確認してから、そっと玄関のノブをひねった。

 屋敷の中はやけに静かだった。入って正面に階段があり、二階へ続いている。やはり幽霊屋敷として知られているだけあって、長年人が寄り付いていないようだ。家具や調度品には分厚くほこりが積もり、風が吹けば家全体がきしむ。それなりに風のある日だったから、足を踏み出すたびに床がきしむ音で気づかれることはなさそうだった。床にはたくさんの足跡がついていたが、きっとジジイのものか、肝試しに来た学生のものだろう。

 一階の部屋を軽く見てみたが、特に変わったものは見つからなかった。玄関と比べて足跡が少なかったくらいだ。玄関に戻って二階への階段を上る。見つかったらどうしようという危機感はほとんどなかった。たとえジジイに見つかっても、腕力勝負で負けることはあり得ない。

 広めの屋敷ということで、二階にも多くの部屋があった。階段を挟んで左右に廊下が伸びている。だが、老人がどちらへ行ったかは一目瞭然だった。左手の廊下の床には調度品と同じくほこりが分厚く積もっていたからだ。たくさんの足跡はまっすぐ左手側の廊下を進み、奥から三番目の部屋へと続いていた。どうやらジジイはあの部屋しか使っていないらしい。

 突然、屋敷全体の雰囲気が変わった気がした。さっきまで静寂に包まれていた廊下が、扉が、階段が、今は小刻みに振動しているかのようだ。強い風でも吹いたのか。

 どこからか、声がした。耳を澄まさなければ聞こえないほど小さいけれど、それは大声だった。それも、かなり大勢の。

 ここは不吉だ。直感的にそう思った。廊下の奥にある窓の外は夜が深まっていて、街灯らしき無機質な明かりがうっすら壁に濃淡を作っている。

 Bは覚悟を決めた。どうせ見つかっても俺の方が強いのだから問題はない。ならば一気に踏み込んでしまえばいい。それに、異様な雰囲気の場所から早く立ち去りたかった。

 足跡が続くドアまでつかつかと進み、ガチャリとドアノブをひねった。勢いのまま扉をあけ放つ。

 部屋の中はまさしく異様な光景と言って差し支えなかった。

 部屋の真ん中に巨大な穴が開いていた。底が見えない黒々とした穴。大勢の人の叫び声が小さく、穴の奥から聞こえている。その周りはちゃちな柵で囲われていて、穴の向こうには照明代わりのランタンが置かれている。

 そしてその横に、あの老人が腰かけていた。

 「なぜ自分からここへ?」

 ただでさえ目の前の光景に呆気に取られているところにいきなり話しかけられ、Bは狼狽した。

 「あんたがここへ入っていったから……。あと、俺の知り合いがあんたに話しかけられてから行方不明なんだよ」

 しどろもどろに答えると、にわかに老人は顔をほころばせた。

 「なんだ。恐喝でもするつもりなのかと思った。それなら今は、閉じよう」

 そう言うと、老人はランタンの近くに転がっていた短い棒を手に取り、穴を囲む柵の空いた部分にぷすりと刺した。

 すると、途端にあたりが静かになった。声も止んだ。屋敷中が振動するような気配も消えた。不吉な雰囲気もだいぶましになっている。

 「なあ、今何を」

 「信じられないかもしれないがね」

 Bをさえぎるように老人は言った。

 「この穴は地の底へ通じている。そう、いわゆる“地獄”に。これは私が管理している。不用意に近寄るもんじゃない。引き込まれてしまう。この穴のせいで街に悪い気が充満している。それに引き寄せられて悪い気をもった者が街に集まる」

 老人の間延びした喋り方にBは堪えかねて言った。

 「あんた、Aのことは知ってるのか」

 老人はびくりとしてBの顔を見た。そして何か考え込むように黙り込んでしまう。部屋の窓には分厚いカーテンがかかっていて外の様子は分からない。

 「知ってるのかって聞いてんだよ!」

 沈黙がいたたまれなくってBは怒鳴った。老人はすっと目を細める。

 「お前さんは人を殺したことがあるね」

 言い当てられてBは固まった。Bは業界の友人とつるんで遊びで人を殺したことがあった。だが、それをこのジジイが知っているはずがない。

 「あの子もそうだった。Aといったか。まだ二十そこそこだろうに、何人も何人も手にかけていた。慣れてすらいた。いいか、あんた、罪悪感がまだ残っているならすぐにそんなことはやめなさい」

 口封じをすべきか否か。Bの心はその二択で揺れていた。だが、武器はどうする? ランタンの光が老人の周囲を明るく、穴を挟んで向かいのBを淡く照らしている。

 老人は沈黙を埋めるかのようにぶつぶつとつぶやき始めた。

 「私の息子は君やあの子のような輩に殺された。きっかけは、道でぶつかって難癖をつけられたことだった。財布を盗られたくらいなら問題はなかった。幸い、我が家はある程度裕福な生活をしていたから」

 老人は穴を囲う柵から棒を一本引き抜いた。途端に、場の空気が冷えた。

 「しかし、それが災いした。息子の身なりから金のにおいを嗅ぎ取ったんだろう。その男たちは息子を脅し、家を特定し、継続的に強請ることにした。財布から金が減っていることには気づいていた。だが、そこまで深刻な事態になっているとは知らず、仕事に多忙だった私は問い詰めることすら怠った。どうせパチンコか競馬にでも使っているのだろうと甘く見たんだな。私が息子を取り巻くそうした事情を知ったのは、息子が自殺した後のことだった」

 また一本、柵から棒を引き抜く。背すじが冷える。窓枠が、ドアが、カタカタと振動する。暗い穴の底から声が聞こえてくる。音量は大きくないが、それは叫び声や泣き声、怨嗟の声が混じった、絶叫だった。想像を絶する人数の声がひとつのうねりとなって鼓膜を震わす。

 加えて、Bは気づいた。ここは二階だ。二階の床の穴は一階に通じているはず。それなのにこの暗い穴には底が見えない。

 「遺書というより、謝罪文だった。お金を取ってごめんなさい、不良に目をつけられてごめんなさい。そんなことばかりがびっしりと息子の文字で書いてあった。そう、あれはまさしくあの子の文字だった。……たった十六歳で。あんな小さな体で、あれほどの苦しみを一人で背負っていた。あの子は何も悪くないのに。全てはあの不良たちのせいだというのに。だから私は復讐しているんだ」

 老人はBを鋭く睨んだ。その目には明確な殺意が宿っていた。人殺しの目つき。殺しの業界では「同類は同類を見分ける」と聞いたことがある。それをBは今まさに体感していた。ジジイと俺たちは同類なのだ。

 「分かるだろう。君らがいなければあの子は死ななかった。きっと元気に、今も」

 そう言って老人は柵から棒を数本、一気に引き抜いた。

 空気の色が変わった。どす黒い何かがどこからか吹き出して、部屋に立ちこめる。屋敷全体がガタガタと震えている。怨嗟の声はさっきより遥かに音量を増して、近づいてきていた。

 自分の膝が震えているのが分かった。

 「君の友人の声も聞こえるんじゃないか? きっと穴の底の方が君には居心地がいいだろう。ほら、君の友人も呼んでいる。さあ」

 老人は口だけで笑っていた。

 老人に黒い影が重なる。部屋の中央の大穴から黒いもやのようなものが出ていた。それは巨大な手のシルエットだった。それが、ゆっくりとBに向けて回転する。

 Bはたまらず逃げ出した。屋敷から飛び出し、大通りに出てもなお、うなりのような声が聞こえていた。老人は追ってこなかった。



 ここまでが二年前の話だ。Aの失踪の理由を求めてBは老人宅へ忍び込み、底の見えない大穴を目撃した。

 そしてつい先日、Bが失踪した。

 そこで、最初に紹介した俺の友人の先輩は、深夜に例の幽霊屋敷に行ってみたのだという。Bが話した通り、屋敷の二階には一室だけ明かりがともっていた。うねるような大勢の声も聞こえたらしい。

 そしてその声の中に、Bの声が混じっているような気がしたそうだ。


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