【09】
いくらルスランがショックを受けていても、夜会の日はやってくる。生誕祭として王宮で開かれる夜会は、最大規模のものだ。つまり、参加者が多い。エレーナにパートナーを頼む前に振られたルスランは、最初から最後までアヴィリアンの側近として行動することになる。ちなみに、アヴィリアンのパートナーはポリーナだ。
「お前、結局一人か……お前の顔と地位があれば一人くらい口説き落とせただろ」
アヴィリアンにあきれたように言われたが、余計なお世話である。そんなことに労力を割きたくない。アヴィリアンも、彼にエスコートされたポリーナもあきれたように言った。
「お前、まじめすぎやしないか? そんなんじゃ嫁の来手がないぞ」
「おじい様の決めた相手と結婚する気なの? 止めはしないけどさ」
イヴレフ公爵家の跡取りに決まっているルスランは、このままでは祖父の決めた相手と結婚することになるだろう。ポリーナの言う通りだ。だが、自分で相手を見つけることができるとは思えないので、それでいいと思う。多少冷えた夫婦関係となっても、相手もある程度覚悟してきているだろうし。
「……私に自分で結婚相手を見つけられるような才覚はありません」
そう断言すると、アヴィリアンもポリーナも納得したように何度かうなずいた。自分で言ったが、納得されるとさすがにちょっと傷ついた。
オーケストラの演奏を背景に、紳士淑女が談笑している。アヴィリアンが足を踏み入れると、一斉に視線を集めた。だが、アヴィリアンもポリーナもマイペースだった。
「俺たちに張り付くだけじゃだめだからな。情報収集もかねて行ってこい」
「ついでにエレーナちゃんを誘ってきなよ」
気やすく送り出してくるアヴィリアンとポリーナを軽くにらみ、ルスランは夜会の招待客の中に入っていく。名前が出たからか気にしていたのか、エレーナは見かけた。ポリーナの側近になる予定の令嬢たちと一緒だった。ニキータは少し離れたところで伯爵と話している。
何人かの貴族と話をしているうちに、祖父のイヴレフ公爵に捕まった。彼は宰相だ。王宮で開かれた夜会にいるのは当然のことである。
「ルスラン、一人か?」
「おじい様も一人ではないですか」
数年前に妻であった祖母を亡くしているので、イヴレフ公爵は一人なのは当然なのだが。
「お前と前提が違うからな。お前、若いのに硬いな」
「おじい様は柔軟な方ですね……」
何しろ、変人なエレーナの兄ニキータを使っているのはこの祖父だからだ。ニキータは宰相府に所属しているので、上司が宰相なのは当然だが。
「情報は多く集めるべきだし、人材も広くいろんなのがいた方がいいからな」
「……」
視野が広い。
「最近、ニキータの妹と仲がいいと聞いたから、てっきりその娘を誘うのだと思っていた」
「誰ですか、そんなこと言ったの」
って、ポリーナに決まっている。母方の従兄弟どうしなので、つまり母方の祖父は二人ともイヴレフ公爵なのだ。自分の娘たちの産んだ子の中から、ルスランを引き取って跡取りに据えたが、他の孫たちとの関係が悪いわけではないのだ。特にポリーナとは、王族に嫁ぐ可能性が高いものとして友好な関係を築いているはずだ。
「アニシェヴァ侯爵が処分を受けた」
「存じています」
アニシェヴァ侯爵はエカテリーナの父だ。娘が厳重注意を受けたのなら、その父親もそれなりの処分があったはずだ。エカテリーナの姿も、その父親の姿も、この会場には見られない。今日は欠席のようだ。まあそれが無難だろう。必ずしも出席しなければならない夜会でもない。
「お前、何をした?」
学院で起こったことなので、ルスランを疑っているのだろう。どちらかと言うと、こういった裏工作のような方法に走るのはポリーナの方だと思うのだが。そのポリーナは、アヴィリアンと笑顔で挨拶を受けている。
「私ではありませんよ。おおもとをたどれば、ニキータ殿だと思うのですが」
そんなようなことをエレーナが言っていた。実行したのはエレーナだが、後ろで糸を引いていたのはニキータだろうと思う。
「またあれか……随分妹を可愛がっているようだな」
ふと祖父の視線を追うと、エレーナがニキータと合流し、会場の端へ移動するところだった。エレーナを誘ってきなよ、というポリーナの声が耳の奥でよみがえった。
「……仲が悪いよりはいいのではないですか」
ルスランがそう言うと、祖父は「まあそうだな」と同意した。多分祖父が言いたいのはそう言うことではないとわかっている。飄々とした、天才だが変人であるニキータが、妹を可愛がる姿が意外なのだと思う。
「……なんですか」
祖父がこちらを眺めてくるので尋ねると、祖父は「いや」と首を左右に振った。
「よほどの身分差がなく、特に問題のない女性であれば、私は文句を言う気はないぞ」
そう言って祖父はルスランの肩をたたいた。これはあれだろうか。お見合いに連敗中のルスランを気遣って言っているのだろうか。だとしたら逆効果だと思うのだが。今のところ全敗、向こうから振られているルスランに、自力で結婚相手を見つけることもできないだろう。
学校ではきゃーきゃー騒がれたりしているルスランも、現実にはこんなものだ。年頃の女性としては、恋人や婚約者になりえないのだろう。遠くから見て騒いでいるのが一番いい、ということだ。
祖父と別れて、ベランダに出た。付き合いでいくらか酒を飲んだが、そんなに酔っているつもりはなかったのだが、夜の風が心地いい。はあ、と吐き出されたため息に、「あっ」と小さな声が上がってそちらを見た。二つ向こうのバルコニーに、エレーナとニキータがいた。なんとなく見つめあう。
ニキータがエレーナに何かささやき、エレーナが首をかしげる。妹をエスコートしてニキータが中へ入ったので、ルスランも視線を戻して庭を眺めた。ぶしつけに眺めすぎたことに若干の羞恥を覚えた。
「ルスラン様、同席よろしいですか」
ホール側から声をかけてきたのは、先ほど引っ込んだニキータだった。当然と言えば当然だが、エレーナを連れている。淡い緑のドレスをまとった彼女はにこにこしていた。あいさつをして、エレーナとニキータがベランダの椅子に座る。
「ニキータ殿、その節は世話になった」
おかげで行政府は混乱しているようだが、ニキータはその中心部にいるのだ。わかり切ったことだろう。
「可愛い妹のためなので、あなた方のためではありませんよ」
「お兄様」
非常に正直にニキータが言うので、エレーナが慌てたようにその服の裾を引っ張った。ニキータが大丈夫、とでもいうようにエレーナの手をたたいた。
「ところでルスラン様。しばらく妹を頼んでもよろしいですか」
「は?」
ルスランの返事を待たずに、ニキータはエレーナに「一人になるなよ」と言いつけて自分は会場に戻っていった。エレーナはぱちぱちと瞬きをするだけで何も言わない。言う前にニキータが離れていった、とも言う。
「……なんなんだ?」
「お兄様には、ご執心のお嬢様がいらっしゃるんです」
おっとりと微笑んでエレーナが言った。その女性を口説きに行ったようだ。
「先ほども声をかけに行ったのですが、私が別の殿方に話しかけられているのを見て、すっ飛んで戻ってきたのです。私のことなどの放っておけばよかったのに」
おっとりときつめのことを言うので、混乱する。だが、兄に対して案外辛辣なことを言うこの少女が、自分をないがしろにしていることはわかった。
「……妹が悪い男に引っかからないか不安だったんだろう」
存外肝の据わっているエレーナであるが、このおっとりした言動からくみしやすし、ととられるのは仕方のない話だ。ニキータが心配するのも無理からぬと思う。しかし、ニキータはルスランと同類だと思っていた。女性に興味がない、というかうまく付き合えないだろうと。偏見だったことを知り、自分にがっかりだ。
「その割にはルスラン様と二人にされましたが……」
「……」
ニキータにルスランがエレーナに興味を抱いていることを知られているのだと思う。もしかしたら日ごろの振る舞いを見て安全だと思われている可能性もあるが。なんにせよ、ニキータの中ではルスランは『悪い男』に含まれていないのだろう。
「……学友だからではないか?」
「そうなのでしょうか……」
素直に応じるエレーナに、彼女の兄が心配する理由が分かった気がした。この調子でおっとり素直にいられては、心配するな、と言う方が無理だ。
「君はもう少し、相手の言葉を疑ってみた方がいいんじゃないか?」
思わずそう言うと、エレーナはぱちぱちと目をしばたたかせた。
「まあ。ルスラン様、疑われるようなことをなさったのですか?」
「……いや」
墓穴を掘った気がする。いや、ルスランはうそをついたりしているわけではないのだから、後ろめたく思う必要はないはずなのだが。
その時、ホール内で悲鳴のような声が上がった。思わずエレーナと目を見合わせる。
「……行ってみるか?」
「そ、そうですね」
さすがに挙動不審になりながら、エレーナはうなずいた。彼女に手を差し出すと、一瞬不思議そうな表情になったが、すぐに納得したようにうなずいた。すっと手を重ねられ、どうやらエスコートの意思が伝わったようだと安心する。
エレーナをエスコートして会場の大ホールへ戻ると、どうやらどこかの令嬢同士がちょっとした騒ぎを起こしたようだ。ポリーナが仲裁に入っているのが見えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。