【03】
ところで、レーシャは七人兄弟の真ん中だ。ファトクーリン伯爵の第四子、次女だ。兄が二人と姉が一人、弟一人に妹二人の、なかなかの大所帯である。これに、両親が加わるので九人家族だ。ちなみに、両親の両親も健在である。
と言っても、次兄ニキータは宮廷官僚であるので、王宮のそばに部屋を借りて住んでいる。なので、実質、六人の兄弟が暮らしているわけだが、これがまた姦しいのである。
「ちょっと! 刺繍道具、どこにしまったのよ!」
「ねえ、僕の教科書ないんだけど!」
「自分で探しなさい! ノンナ、はしたないからやめなさい!」
「むうー!」
とにかく騒がしい。探し物をする弟妹達や、末っ子の面倒を見るすぐ上の姉を見ながら、レーシャは学校の課題の参考書を読んでいた。末っ子の面倒を見ている姉のシーマを救援に行く。レーシャより二つ年上のこの姉は、この前学院を卒業したばかりだった。婚約者もいて、そう遠くないうちに嫁いでいくだろう。しっかり者の姉は、残していく弟妹達が心配なようだった。
「レーシャ。私が嫁いでしまったら、あなたがこの子たちの面倒を見るのよ。大丈夫?」
「え……っと」
小さな子供ではないし、大丈夫だと思うのだが……破天荒な奴も口が達者なやつもいるが。ぐるぐると考えるが言葉の出てこないレーシャに、シーマはあきれたようにため息をついた。
「正直、あなたが一番心配だわ」
「……」
うつむいてしまう。心配される理由が、わからないではない。先ほどまで叱られていたノンナが「わかるわ!」と一番上の姉に同意する。
「なんとなく、押しに負けて流されてしまいそうよね!」
はきはきということではない。言葉がとっさに出てこないだけで、別にレーシャは意志薄弱なわけではない。……と自分では思っているのだが。
「そこまでは思っていないけど、わかっていながら騙されそう、というか」
「……」
どれだけ世間知らずだと思われているのだろう。いや、否定はできないのかもしれないが……。
「というかノンナ。あなたは人のことを言っていないで、もう少し自分でできるようになさいな」
「う。はぁい」
まるでシーマが母親のようだな、と思いながらレーシャは姉と妹を眺めた。エリセイは無事に筆記用具を見つけ出したらしい。
「レーシャは人がいいもんね。結局、イヴレフ公爵の後継者に会いに行ったんでしょ」
「えっ、なにそれ。聞いてないわよ」
言ってないから当然である。むしろ、いう必要があるのだろうか。
「二人きりになったの? 貴公子とはいえ、相手は男よ。もっと自分の身を大事にしなさいよ」
「えっ、別に……」
二人きりにはなっていない、とレーシャが言う前に、エリセイが「図書館だったよ」と答えた。レーシャの肩をつかんでいたシーマは、それでもいい顔をしなかったが、「まあ、いいでしょう」と肩を放した。
「でも、本当に気を付けるのよ。何かあってからじゃ遅いんだから。あなた、ぼんやりしてるんだし」
「……うん」
イヴレフ公爵の後継者、つまりルスランはそんな人ではないと思う、とは言えなかった。根拠がないからだ。正直、ルスランより同じクラスの女子の方が怖い。レーシャにとって、こちらの方が喫緊の問題なのである。
やはり話せないのが問題なのだろうな、と自覚はある。だが、思考は回るが口をはさむタイミングがわからない。うかがっているうちに、話が次に移るのだ。家族間でもそうなのだから、他人同士など目も当てられない。
何とかしなければならないとは思うが、どうすればいいのかわからない……。会話に入れなくて、どんどん口を開かなくなる。話さなくなる。そうすると、友人たちに軽んじられるようになる。
思慮深いんだな、レーシャは。
ルスランに言われたことを思い出して、レーシャの手が止まる。あんな風に、好意的なことを言ってもらったのは初めてかもしれない。会話がかろうじて成立する次兄のニキータにも、そんなことを言われたことがない。……と、思う。
「レーシャ。どうしたの?」
シーマが不審そうに妹に尋ねた。レーシャは首を左右に振って何でもないということを示す。こういう行動が多いので、シーマも不審に思わずに「そう」とうなずいたにとどめた。
レーシャは再び、中庭の死角になるところのベンチに座っていた。持ち運べるバスケットにサンドイッチを入れて、一人で昼食をとっていた。いつもなら友人たちの中に入れてもらうのだが、彼女らはレーシャを避けてそそくさと出て言った。どうやら、エカテリーナ嬢がレーシャを排除しにかかったようだ。少し寂しく思うが、無視されるくらいではまだ実害はない。おそらくルスランとのことが原因だろうが、このまましばらくすれば飽きるだろう、とレーシャは高をくくりながらサンドイッチをほおばる。うん、おいしい。どこで食べてもおいしいものはおいしい。
「あれ、先客」
声がして顔を上げると、同じくらいの年の令嬢が、レーシャと同じようにバスケットを手に立っていた。彼女も一人だ。背の高い、なんだかかっこいい女性だ。
「こんにちは。隣いい?」
こくん、とうなずくと、彼女は「ありがとう」とほほ笑んで遠慮なくレーシャの隣に座った。彼女がバスケットから取り出したのもサンドイッチだった。まあ、持ち出せるものってサンドイッチくらいしかない。
「外で食べるのもいいよねぇ、開放的で」
「……はあ」
なんとなくの相槌しか打てない。誰だろう。顔を見たことはある気がする。そんな疑問が顔に出ていたのか、彼女はにっこり笑って言った。
「あ、私ポリーナ。コレリスキー侯爵家の出身。よろしくね。良ければポリーナちゃんって呼んで」
「ポ、ポリーナちゃん……」
「そうそう」
気さくというか、乗りの良い人だな。そう思ってから、自分が名乗っていないことに気づいた。
「申し遅れました。エレーナ・ファトクーリナです」
「エレーナちゃんね。クラスが違うから話すのは初めてね」
「……はい」
クラスが違うどころか、同じクラスでも話したことがない人の方が多いレーシャである。
「エレーナちゃん、ここ来るの初めて? 私はたまにここで昼食とってるんだけど、会ったことないよね」
「……昼食時に来たのは、初めてです」
昼休みに訪れたことはあるが、いつも食事をとってからだったので時間が被らなかったのだろう。入れ違いになっていたのかもしれない。
「そっかそっか。いいところよね」
みんなはよく言わないけど、外でのびっと食べるのが好きなんだよね、とポリーナは手に持ったサンドイッチをにらみながらそれを食す。レーシャはつられるようにサンドイッチを口に運んだ。
ポリーナは喋りまくった。レーシャが反応しようとすると、「あ、勝手にしゃべってるから無理しなくていいよ」とほほ笑んだ。
「エレーナちゃん、ちょっと私のいとこに似てるなぁ」
「?」
水を飲みながら首をかしげる。ポリーナは「母方のいとこなんだけど」と本当に勝手にしゃべる。
「無口だからいつも私が一方的にしゃべってんだけど。ちなみに、同じ学年」
そうなのか。そのいとこを知らないのだが、と思ったら、同級生だった。ここでやっとレーシャはコレリスキー侯爵家の家系図を思い出してみた。全員分がわかるわけではないが、なんとなくならわかるかもしれない。
思い出してみて、ああ、となった。多分、同い年のいとこはルスランのことだ。ルスランの母親が、ポリーナの母の姉にあたる、はず。たぶん。自信はないが。
「いつもうるさいって言われるんだけどね。エレーナちゃんもうるさかったら言っていいよ。しゃべりたいけど、我慢するし」
そういわれて実際にうるさい、と言える人間は、よほど仲がいいか、それこそ身内だけだろう。レーシャはそのどちらでもないし、それに。
「……ポリーナちゃんの話を聞いているのは、楽しい、と思います」
「ほんと!? じゃあいっぱいしゃべっちゃう」
嬉しそうにポリーナが言うので、レーシャもはにかむように微笑んだ。多少の強引さはあるが、押しつけがましくなくて好感が持てる。そして、本当によくしゃべった。相槌も特に必要なかったが、レーシャの返事を待ってくれる。一対一ならそこそこ会話できるレーシャだが、ポリーナのちょっとした気遣いがありがたい。
しゃべっているうちに、まあ、九割ポリーナがしゃべっていたが、昼休みの終わりの時間が近づいてきた。随分話し込んでいた。スタッとポリーナが立ち上がる。
「ごめん! 話過ぎたね。昼休み終わっちゃう」
と言った瞬間に予鈴が聞こえてきた。ポリーナがきゃーっと一人で騒ぐ。
「急いで戻ろう! って、教室違うんだった。またね」
「あ、はい」
また、があるのか、と思いながらレーシャはうなずく。ポリーナが駆け出しながら手を振っていった。
「エレーナのそういう落ち着いたところ、素敵だよ!」
普通は嫌味か、と思うところだが、そういった印象はなかった。ぐっと熱くなった頬を押さえる。ポリーナが好きかもしれない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
せっかちな家族が多いので、おっとりしているレーシャはあまりしゃべらなくなりました。話すと遅い、と言われるし、誰も待ってくれないので。