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【26】








「お、大きい……」


 思わず、イヴレフ公爵邸を見て、レーシャはつぶやいた。貴族の中でも中の中くらいのファトクーリン伯爵家とは違い、イヴレフ公爵家の屋敷は一等地にあった。そして、大きい。いや、王都の屋敷のつくりと言うのは、どこも似たようなものだ。領地のある貴族は、領地の屋敷、もしくは城には手を加えていることが多いが、王都の屋敷はそうでもない。やはり敷地が限られているし、王の目の前であるので気を遣うのだ。


 なので、イヴレフ公爵邸も普通の屋敷のつくりに見える。聞けば、現在のイヴレフ公爵、つまりルスランの祖父が無駄を省いて改修したらしい。それはわかった。


「前庭が広くないですか!」

「前庭どころか、屋敷の周囲がすべて緑で囲まれているな」

「……防犯的に、よろしくないのではありませんか?」

「警備が多数必要ではある」


 隣の屋敷に近すぎるのも防犯的によろしくないし、潜むところが多いのも防犯的によろしくない。難しいところである。


 ややしり込みしつつ、レーシャはルスランに連れられてイヴレフ公爵邸に入った。しばらく女主人のいないイヴレフ公爵邸の使用人たちは、レーシャを見て顔をほころばせた。


「ようこそ。いらっしゃいませ、ファトクーリン伯爵令嬢」

「お、お邪魔いたします。エレーナ・ファトクーリナです」


 家令らしい年かさの男性に歓迎され、レーシャは何とか挨拶を返す。


「エレーナ様、ルスラン様、旦那様がお待ちです」


 どこかでも聞いたようなセリフに、レーシャの体がこわばる。大丈夫。ルスランにも言われたが、決して初対面ではないのだ。レーシャを取り巻く状況は変わっているけれど。


 イヴレフ公爵は書斎にいるらしく、先に応接室に通された。ルスランの生家であるマスロフスキー公爵家もそうだったが、家具に使われている材料の質が違う。決して華美ではないが、高級品であるのがわかる。少なくとも、ファトクーリン伯爵家で使っているソファと桁が二つほど違うのではないだろうか。


「ようこそ、エレーナ嬢」

「お招き、ありがとうございます」


 応接室に入ってきたイヴレフ公爵に礼を取る。公爵はそれを見て、「よく教育されているな」と言った。歴史だけはある家系なので、そう言った教育はしっかりしていたのは確かだ。


「まず、ルスランがご両親に失礼なことを言ったらしいな。すまない。これを教育したものとして謝罪する」


 イヴレフ公爵が真面目な表情で言うのを聞いて、ルスランがふい、と顔をそらした。子供っぽいしぐさに少し笑い、レーシャは首を左右に振った。


「いいえ。母が先にルスラン様に失礼を申したのです。申し訳ありません」


 正確に言うと、母は、本当にレーシャでよいのか、妹のミラの方がまだしっかりしているし、そちらの方がマシなのではないか、と言うようなことを言ったのだ。レーシャに対してもミラに対しても、もっと失礼なことをいろいろ言っていたが、それに対してルスランが怒ったのだ。淡々と自分の判断が間違っているというのか、と言うようなことを母に言ってのけた。


「そうだとしても、こちらも失礼をしていい理由にはならない」

「そ、そうですね」


 真面目だ。教育した、と言っていたが、ルスランと通ずるところのある生真面目さである。なんとなく力が抜けた。


「……申し訳ありません」


 憮然としてルスランが口を開いた。イヴレフ公爵は「私に言ってどうする。ファトクーリン伯爵夫人に言うんだな」とまたも正論。レーシャは「もう謝罪はいただいてますから」と苦笑した。


「それに、私はかばっていただけてうれしかったですし、あの後、母は父に怒られていましたから」

「そうなのか」

「はい」


 祖父に指摘されたのは気に食わなくても、実は気に病んでいたらしいルスランはほっと肩を落とした。イヴレフ公爵は「仲良くしているようで何よりだ」としかつめらしくうなずいた。


「エレーナ嬢はニキータと似ている、と聞いていたが、それほど似ていないな」


 ニキータはイヴレフ公爵の部下なので、そこから情報収集をしたのだろう。ニキータは「自分に似ていると言われている」と答えたのだろうと思われた。レーシャは首をかしげる。


「外見ではなく、性格の話だと思われますが……」

「私も性格の話をしている」


 レーシャが頬に手を当てて首を傾げた。話がかみ合わない気がする。


「……まあ、接する相手にもよるんじゃないか」


 ルスランがさすがに空気を読んでツッコみを入れた。祖父と婚約者が首をかしげている、この謎な状況である。ルスランが突っ込みを入れたくなるのもわかる。


「エレーナ嬢、本当にこれでいいのか」

「おじい様。母上と同じことを言わないでください」

「あれも言ったか」


 ルスランの母にも、ルスランでいいのか、と言うことを聞かれたが、レーシャの母には、ルスランがレーシャでいいのか、と聞かれているのだ。どちらも結婚しようと思うと、問題がある、と言うことだろう。


「……私がルスラン様がいいので、いいんです」

「……そうか。お互いが納得しているのならよい。なかなかしっかりした娘だな」


 初対面の相手に初めて言われた言葉である。レーシャは目をしばたたかせた。かなりおっとりしている自覚のあるレーシャは、自分でもしっかり者だとは思っていない。


「イヴレフ公爵は変わった方ですね」

「お前に言われたくないと思うが」

「……それも否定できませんが」


 ルスランが最初に言ったように、イヴレフ公爵家は庭園に囲まれていた。そのうち一つ、秋の庭を散策中である。もう秋も終わりかけだが、冬の庭を見るには早いのだそうだ。季節ごとに庭があることにびっくりである。


「お前をしっかり者だと言ったことか? 確かにお前はおっとりしているが、別にしっかりしていないわけではないだろう」

「おっとりとしっかりが結びつかないのですが……」

「なら、それはレーシャの感じ方の問題だな」


 さらりと言われ、レーシャはむう、と唇を尖らせて考え込む。確かに、おっとりしていることとしっかり者であることは両立するのかもしれないけど。


「……きれいな庭ですね」

「おばあさまが作ったのだそうだ。母上が言っていた」


 立ち止まった噴水の前で、レーシャは庭を眺めて目を細めた。ふわり、と晩秋の風が散った葉や花びらを舞い上げる。それをきれいだ、と眺めていたレーシャだが、風の冷気に思わず身を震わせた。日が出ていれば温かいが、日が沈むと途端に寒くなってくる季節だ。まだ日のある時間であるが、風は冷たい。


「散策には少し寒かったか。中に入って温かいものでも貰おう」

「はい。ありがとうございます」


 こちらの様子を見ていたイヴレフ公爵家のメイドが厚手のショールを手に駆け寄ってこようとしたが、ルスランがレーシャの肩に自分の上着をかけたので思いとどまったようだ。それを視界の端に収めたレーシャはくすりと笑う。


「どうした?」

「いえ……暖かいです」


 実際、ルスランの体温が残っている上着は暖かかったが、どちらかと言うと心が温かい。ふわふわとした気持ちで、レーシャはイヴレフ公爵邸の中に戻った。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


ちなみに、今週で終わる予定です。


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