【25】
次にニキータが参加するのは、オペラ鑑賞だった。これってどうなのだろう。個人的には観劇は好きだが、人とかかわる暇があるかと言われるとわからない気がする。だが、エカテリーナは即答で「行くわ」と答えた。
「そ、そうか……それでお前はエカテリーナを後押ししてるのか」
前のめりなエカテリーナの話を聞いて、ルスランが少し引いたように言った。公園の池のほとりを散歩しながら、レーシャは「そういうわけでもないですけど」と首をかしげる。
「エカテリーナ様がやる気なので、ちょっと手を貸すだけです。後は二人の問題ですし」
「まあ、そうだな……思ったより放任だな」
「過保護にしてどうするのですか?」
きょとんと首を傾げたレーシャに、ルスランは苦笑して「そうだな」と同意を示した。
「それに、ニキータお兄様は、私がルスラン様をす、好きだって言った時も、否定しませんでした。だから私も口出ししません」
実は、レーシャがルスランと婚約したことで一番影響があったのは、父ではなく次兄のニキータだった。ルスランの祖父であるイヴレフ公爵の部下だからだ。だからニキータは、妹をイヴレフ公爵に売って関心を買おうとしている、というような心無い中傷をされているらしい。頭のいいニキータはそうなることがわかっていただろうに、レーシャとルスランの婚約に口を挟まなかった。だから、レーシャもニキータがいいというのなら口を挟まないつもりだ。
「……なるほど。それもそうだな」
納得したようにルスランがうなずいた。彼の耳にも噂は入っているのだろう。祖父はそんなことで左右される人ではない、と肩をすくめている。
「尤も、お兄様はそういった噂を気にする人ではありませんが」
「……だろうな」
なんというか、人の悪意に鈍感と言うか、害がなければ問題なかろう、と言う人なのだ。噂程度ならちょっと聞き苦しいだけで、身体的に被害はないし、と言うような。……これを、数か月前の自分が考えていた気がして、レーシャは内心で首を傾げた。最近、みんながレーシャとニキータが似ている、と言うのは事実なのだな、と自分でも思う。
「祖父に媚びを売ったところで、いつまでもあの人が宰相なわけではない。かといって、私が宰相位を引き継ぐとも限らない。年齢的に考えれば、お前の兄の方が可能性があるな」
「爵位がありませんよ」
「それは何とでもなる話だ」
確かに、一代限りの名誉爵位などもあるので、そこは本気であれば解決できる問題なのだ。そうなれば、エカテリーナとも身分的に釣り合う。まったく可能性がないわけではないから、レーシャも彼女を拒否できないのだ。
「ルスラン様は宰相を継ごうとは思わないのですか?」
「そうだな……なろうと思うには、私は第二王子に近すぎる」
それは年齢が同じために仕方がない話だ。そして、レーシャが聞いているのはそう言うことではない。
「それは状況から合理的に見て、と言う話ですよね。ルスラン様自身はどうなのですか?」
おっとり首をかしげてルスランの顔をのぞき込むと、足元がおろそかになった。ルスランに肩を支えられて、転げることはなかったがバランスを崩した。
「お前はもう少し自分の足元にも気を使え」
「……はい」
反論できない事実なので、レーシャは肩をすくめてうなずく。
「それと、先ほどの質問だが」
「はい」
「私は別に、宰相になりたいとは思わない。正直、面倒だ」
「まあ!」
ルスランの正直な言葉に、レーシャは驚いた声を上げ、それからくすくすと笑った。どうやら、ルスランは何かと苦労している宰相の祖父を間近で見てきたので、権力欲があまりないようだ。
「まあ、なくても困りませんが、あってもよいのではありませんか」
「そうかもしれないが」
憮然とした表情で言うルスランがおかしくて、レーシャは笑った。ちなみに、オペラはレーシャたちも見に行く予定だ。その前に、レーシャはイヴレフ公爵家に連れて行かれる。一度、イヴレフ公爵自身に訪ねるように言われているので、行くのである。正直、レーシャはエカテリーナの恋路よりもこちらの方が問題だ。
そう言うと、ルスランに不思議そうに首を傾げられた。
「宮廷でも会ったことがあるんじゃないか? 祖父から、ニキータ殿の妹が忘れ物を届けに来たことがある、と聞いたことがある」
ニキータには妹が四人いるが、レーシャもニキータを訪ねて宰相府に行ったことがあるし、何ならイヴレフ宰相と顔を合わせて話をしている。だが、この時は将来有望な部下の妹でしかなかった。今は違う。跡取りの孫の婚約者だ。
「……それとこれとは話が別です」
そうか? と首をかしげるルスランは、確かに人の感情の機微に疎いのだと思う。その自覚があるからか、フォローが入った。
「まあ、おじい様が楽しみにしていたし、大丈夫だと思う。むしろ大歓迎するんじゃないか。母上のように」
「……だといいのですが」
ため息が出る。それを見とがめたルスランが言った。
「楽しくないか? ボートにでも乗るか、少し休憩にするか?」
どうやら、湖畔散策が楽しくないのだ、と解釈されたらしい。レーシャは慌てて首を左右に振る。
「い、いいえ。楽しいです。……でも、少し休憩にしませんか」
「承知した」
レーシャの動揺具合に、ルスランは少し笑ってうなずいた。ちょっとからかわれたようだ、と察してむくれて見せる。すると、急にルスランは真顔になった。
「……なんでしょうか」
「いや……」
ふいっと視線をそらされて、今度はレーシャが首をかしげる。何かまずかっただろうか。顔をのぞき込んでみる。
「……あまり、可愛い顔をするな」
どうしていいかわからなくなる、と言われて、レーシャはぽかんとした。言葉を理解する前に、頬が赤くなるのがわかった。それから、赤くなるようなことを言われたのだ、と気づいた。
「ル、ルスラン様はそういうことをさらっと言わないでください……」
「さらっとではないが……」
完全に足が止まり、二人して照れている。こういうことがちょくちょく起こるので、学院の学生たちは、すでに遠い目になっている。
婚約をしてから、ルスランは突然こういうことを言うようになった。本音を真面目な表情で言うこともあれば、自分も照れていることもある。確率は半々くらいか。
「……レーシャ」
すっと手を差し出され、レーシャはルスランが差し出した手を握った。休憩をしようと、東屋に入る。
「……何か持ってくればよかったな」
飲み物とか、とルスランが肩をすくめた。レーシャもそうですね、とうなずく。それほど長く散策するつもりはなかったので、用意はしてこなかった。二人とも馬車に従者やメイドを残してきているので、頼めば持ってきてくれるだろうが。
「……次はピクニックでもいいかもしれませんね」
レーシャが目を細めて言うと、ルスランは何度か瞬いてから言った。
「お前は私のいたらないところに対して代案を示してくれるな。私としては少々情けないが……」
「……私はルスラン様がそう言うところを指摘してくださるので、案を出せるのですけど」
顔を見合わせて二人とも小首をかしげる。きょとんとしたお互いの顔を見て、ルスランが軽く噴き出した。つられてレーシャも微笑む。
「さて。ボートに乗ってみるか?」
「そうですね。せっかくですし」
誘われて、レーシャは笑顔でうなずいて、ルスランの手を取って東屋を出た。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
二人とも静かな方なので、日常は穏やかですね。




