【21】
一緒に出掛けたいです、と恥ずかし気に婚約者に頼まれて浮かれない男はいないと思う。アヴィリアンにはうざがられているし、自分でも浮かれている自覚はある。
「お前、ルスランだよな? どこかで入れ替わったりしてないよな?」
「誰と入れ替わるんですか」
真顔でそう返すと、アヴィリアンは「うん、ルスランだな」とうなずいた。
「ていうかお前、エレーナがエカテリーナと仲良くしてるの、気づいてるか?」
「……一応、気づいています」
アヴィリアンに指摘される前から、そのことには気づいている。エカテリーナはクラスが一緒なので、目に入るのだ。レーシャをいじめたり、彼女を犯人に仕立て上げようとしたりしたエカテリーナであるが、気の強い彼女とおっとりしたレーシャは案外気が合っているように見える。
「確認したら、学院で話す程度だと言っていましたが」
確かに、今エカテリーナは遠巻きにされているので、彼女と話しているレーシャが目につくのだと思う。レーシャ自身もおっとりしてはいるが、頭がよい方だ。危なくなったら逃げることくらいはできると思う。……たぶん。
だが、それとレーシャを心配することは別なのだ。
「……ですが、あまり口うるさく言うと嫌われるのではないかと……」
「怖いのか」
ぶはっとアヴィリアンが噴出したので、ルスランは思わず彼をにらみつけた。アヴィリアンは「おー、怖い怖い」と取り合わない。
「確かに、口出ししすぎない方がよさそうだな。ポリーナも何かと様子を見ているようだし」
「ああ……たまに三人一緒にいるのを見ますね」
ポリーナか、エカテリーナか。アヴィリアンの妃になるのはどちらかだと言われており、水面下で争っているイメージだったので、今一緒にいるのは不思議な気分だ。
「あれこれ文句をつけるよりも、話を聞いてやる方が効果的だろうな。というか、お前たち、会話になるのか?」
アヴィリアンによると、ルスランもレーシャもおとなしい印象なので、会話ができているのかふと疑問に思ったそうだ。
「……なりますよ。一応」
確かに会話が多い方ではないが、二人とも全くしゃべらないわけではないのだ。おっとりして頭のいいレーシャは、ルスランにとっても話しやすい。
レーシャとは絵画の展覧会を見に行くことにした。何か行きたいところはあるか、と聞くと首を傾げられたので、いくつか提案して絵画の展覧会になった。美術館で開催されている企画展でもある。
動きやすい外出用のドレスを着たレーシャは、いつもより活動的に見える。絵を見ながら歩くので転びそうでひやひやするが、彼女は別に運動神経が悪いわけではない。おっとりしているので、そう見えるだけだ。
大きな絵画を間近で見ていたレーシャは、全体を視覚に収めようと後ろに下がっていく。大体の観客はレーシャの奇行に避けていくが、人にぶつかる前にルスランはレーシャの肩をつかんで止めた。
「わっ、と」
よろめいたレーシャを支えると、ルスランは「すまん」と謝る。そっとつかんだつもりだが、衝撃があったようだ。
「だが、後ろも見ずに下がるな。ぶつかるぞ」
「あ、そうですよね……すみません」
「……そこは礼を言ってくれる方がいい」
「あ……ふふっ。ありがとうございます」
一瞬驚いたように目を見開いたレーシャは、すぐに微笑んで礼を述べた。小首をかしげるさまが可愛い。
「ああ。気を付けてくれ」
「はい」
笑顔に見とれて赤らんだ顔をそらしたルスランの顔を見ようと、レーシャがのぞき込んでくる。ルスランの顔を見て、レーシャも恥ずかしげに笑った。
「あの。手をつなぎたいです」
気恥ずかし気に申し出られてルスランは声を出せずに、ただ手を差し出した。するりとほっそりした手がルスランの手を握ってくる。ルスランも握り返す。初々しい恋人同士のやり取りに、周囲はほっこりしたりじれったくなったりした。
その後のルスランは柔らかな手の感触に気もそぞろだったが、レーシャはしっかり楽しんだようだ。絵画自体と言うよりも、その時代背景の方が興味深かったようだが。行先は博物館の方がよかっただろうか。
「……なんだか私ばかり楽しんでしまったみたいですね……」
少ししょんぼりした様子でレーシャが言う。自省の様子にルスランは慌てて口を開いた。
「お前のために来たのだから、それで構わない。私が、少々、その、レーシャと出かけているということに浮かれていただけだ」
両手でティーカップをいじっていたレーシャは、その手を止めて驚いたようにルスランを見上げた。大きな目がぱちぱちと瞬く。次の瞬間、目元を赤らめて笑み崩れた。
「では、次はルスラン様の行きたいところに行きましょうね」
照れた様子で言われて、気を失うかと思った。なんだろう、この可愛い生き物は。先ほどの展覧会場でもそうだったが、この併設の喫茶室でも客たちが甘い空気に充てられている。ちらちらとこの恋人たちを見ていた。
どこか行きたいところはありますか、と尋ねられて少し考える。というか、絵画の展覧会を選んだのもよく考えればルスランだ。そう言うと、レーシャはきょとんとして首を傾げた。
「でも、私の好みに合わせてくださったのですよね。だから、やっぱり次はルスラン様の番ですよ。博物館とかでしょうか」
あまり難しいとわからないのですけど、とレーシャの柳眉が寄せられる。案外、レーシャにルスランの好みが把握されている。
「確かに博物館もいいが……そうだな。静かな、のどかな場所に行ってみたいな」
「……湖とかでしょうか」
レーシャに具体的な名前を出されて、自分らしからぬ本格的なデートスポットのような場所を上げてしまったことに気づいた。テーブルに肘をついて顔を伏せ、ため息をついたルスランにレーシャがびくっとする。
「どっ、どうしましたか」
「いや……殿下たちに浮かれていると指摘されても仕方がないな、と自分でも思っただけだ」
「ルスラン様、浮かれているのですか」
どうして、と言わんばかりに首をかしげるレーシャが愛らしくも憎らしい。ルスランから見ると、彼女は平常心を保っているように見える。恥じらってはいるが、ルスランはこんなに動揺しているというのに。
「……浮かれているな。見合いに連敗していた私が、好きになった女性と出かけたり、婚約したりできているのだから」
「あ……」
レーシャも理解したようで、頬を赤らめてもじもじと体をゆする。しばらく沈黙が続いた。
「…………単純な好奇心なのですけど」
「なんだ」
「結局、お見合い、何連敗だったのですか」
本当に好奇心の赴くまま聞かれた気がする。自分の情けなさを暴露することになるが、おかげでレーシャと婚約しているのだと思うと何とも言い難い不思議な気分になる。
「……九だな」
ちなみに、連敗と言っても振られるばかりではなく、ルスラン側からお断りしたこともある。二件だけだけど。
「では、その九名の方より、私は見る目がありましたね」
「……」
おっとりと。レーシャは、おっとりとすごいことを言う。ルスランにとっては殺し文句と言ってもいい。ルスランは手で目元を覆った。絶対顔が赤い。表情が崩れている。一方がこれだけ照れていると、もう一方は落ち着いてくるようだ。レーシャが首をかしげて顔をのぞき込んでくる。
「ふふっ」
最近、レーシャはよく笑う。ちょっとからかわれたな、と思っても、その顔が可愛いから結局許してしまう。これが惚れた弱みと言うやつか、とみんなが話していたことを実感しているルスランだ。
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