【17】
次の学院の休日、本当にポリーナはやってきた。いや、やってこなかったらそれはそれで困るのだが。
「いらっしゃいませ、ポリーナちゃん」
「お邪魔します。制服じゃないエレーナちゃんも可愛いね」
「ポリーナちゃんはいつもかっこいいですよ」
「ありがと」
お茶を頼み、そのままレーシャの部屋へ向かう。母が一緒に入ろうとしたが、さすがにシーマに止められていた。相手が王子妃予定の侯爵令嬢とは言え、レーシャの友人なのだから任せておけばいいのだ。
メイドにお茶とお茶菓子を出してもらい一息ついてから、クローゼットが全開にされた。こうして衣装をまじまじと人に眺められるのは気恥ずかしい。
「うん……エレーナちゃんらしいよね」
ポリーナはレーシャとクローゼットの中身を見比べてから、しみじみとそう言った。無難な感じのドレスがレーシャらしい。家族にせかされた結果、こうなることが多いのだ。
「はっきり言うけど、なんで微妙に似合わない感じなのが多いの」
「……何故でしょう?」
そう首を傾げつつ、たぶん、姉や妹に合わせたデザインを流用しているからだ、という答えは出ている。当たり前だが、姉妹でもそれぞれ似合うものが違うのだ。
「ルスランと並ぶなら、このあたりかなぁ。やっぱり色は赤が似合うと思うよ。深紅とか。次はそうしなよ」
「う……」
いや、レーシャも自分は赤が似合うだろうことはわかっているのだ。このクローゼットの中にはないけど。
「ルスランに合わせるならこのブルーかグリーンのドレスかな。この前の王宮の夜会の時、グリーンのドレスだったっけ? なら青の方がいいかな」
ぶつぶつとつぶやいた後、ポリーナはくるっとレーシャを振り返った。
「いっそ、私のドレス貸そうか? 体格、そんなに違わないよね」
ポリーナの方が背も高ければ胸もあるが、確かに体格自体はそんなに違わない。しかし、レーシャは首を左右に振った。
「ポリーナちゃんのドレスでは、私が釣り合いません……」
絶対にドレスだけ浮くと思う。ポリーナはそうかなぁと懐疑的だが。
「似合うと思うけど……あ、今度お揃いにしよう」
「……ほかのお友達としてもいいのでは?」
ポリーナはレーシャと違って社交的なので、友達も多い。彼女の持つであろう権力に寄ってきているものもいるかもしれないが。
「そうなんだけど。私はエレーナちゃんとしたいからいいの」
「……そうですか」
うれしくて顔が緩む。はにかみ笑いが可愛い、と言ってポリーナがぎゅっと抱き着いてきた。
「お揃い、忘れないでね!」
そう言ってポリーナは帰っていった。いくつかアドバイスはもらったが、結局どうしよう。
「ああ……」
自室の長椅子にぱたりと倒れた。片づけをしていたメイドがくすくす笑う。
「最近のお嬢様は可愛らしいですね。青春って感じです」
「せいしゅん……」
青春なのだろうか。レーシャはクッションを抱きしめてため息をついた。
当日、ルスランはファトクーリン伯爵家まで迎えに来てくれた。レーシャは現地で落ち合うつもりだったのだが、それは難しい、とルスランに真顔でツッコまれた。招待客が多いので会えるのかわからないのだそうだ。そりゃそうだ。
相変わらず母が出張ってきている。気の利かない娘で、などと言う話をエントランスでルスランに聞かせている。ルスランもレーシャとタイプが近いので、母の話を何とも言えない表情で聞いていた。
「……お母様、もう出発したいのだけど……」
さすがに見かねてレーシャは口をはさんだ。せっかくルスランが早めに来てくれたのに、間に合わなくなったら困る。
「レーシャ、迷惑をおかけしないのよ」
「……行ってきます」
何とか母の話を切り上げさせ、会場に向かう。父と母も招待されているはずの夜会だから、結局会場で会うことになる。
「母君が苦手なんだな」
苦笑気味にルスランが言った。レーシャは彼が乗ってきた馬車にそのまま乗せてもらったのだが、普段伯爵家で使っている馬車よりも質がいいのがわかる。
「……どこで口を挟めばいいのか、わからないのです」
今回は夜会に出席しなければならなかったので無理やり口をはさんだが、普段は立石に水のごとく話すは母の話は聞き流して終わるのを待つことが多い。
「わかるぞ。私も、どこで話を切ればいいのかわからなかった」
「……すみません」
母は誰にでも口をはさんでくるが、特にレーシャやニキータに口をはさんでくる。ニキータなどは「はいはい」と言う感じで受け流して話を切ってしまうのだが、レーシャにはそれができない。ため息をつくレーシャに、ルスランは肩をすくめた。
「別にお前のせいではないだろう。お前が心配なのだろうが、少々過保護だな」
ルスランの言うことは優しい。配慮された言葉に、レーシャはポリーナの言ったことを思い出した。
「ポリーナちゃんには母は自分が正しいと思ってるんだねって言われました」
「ああ……なるほど」
ルスランがうなずいたように、あまり知らない人から見ても母はそう見えるのだな、とレーシャは苦笑した。姉のセラフィマなどもそうだが、自己完結するところがあるのだ。姉はそこまででもないが、母は特に顕著なのである。
母がニキータのことも苦手なことから、自分が理解できない相手を自分が理解できる範囲に置きたいのだろうな、と最近は思う。
早く出たので、早くマスロフスキー公爵家に到着した。手を借りて馬車を下りると、一番乗りだったようだ。そうなるようにルスランが時間を設定したのだが。彼はイヴレフ公爵の跡取りだが、生まれはマスロフスキー公爵家なので、招待客ではあるのだが、身内でもあるのだ。特に今、イヴレフ公爵家には女主人がいないため、こうした大規模な夜会は開催されていない。ルスランにとっては一番身近な夜会がマスロフスキー公爵家の夜会なのだろう。
「いらっしゃいませ、ルスラン様、ファトクーリン伯爵令嬢」
「ああ」
ルスランが出迎えた執事にうなずき、レーシャは微笑んでおく。
「先に父上にあいさつをしておきたいんだが」
「承知いたしました。ご案内いたします」
執事が案内してくれようとするので、レーシャは「お待ちしております」と微笑んだのだが、「一緒に行くんだ」とあきれられた。夜会が始まってからのあいさつを省略するために先に行くのだそうだ。レーシャは目をしばたたかせる。
「……外堀を埋められている気がします」
「……そうだな。……不快だったか」
自嘲気味に言うルスランに、レーシャは慌てて首を左右に振った。
「いえ……驚きましたけど、私もルスラン様のこと、好きですから」
言ってしまった後で、「あっ」と声を上げて両手で口をふさいだ。とはいえ、もう言葉として出てしまったので取り戻せない。勢いで行ってしまった言葉に、レーシャは羞恥で赤くなってうつむく。
「……ありがとう。私もレーシャが好きだ」
二人して照れる。二人して照れてもじもじしていると、こほん、と咳払いが聞こえた。そうだ。執事がいるのだった。マスロフスキー公爵の元へ案内してもらう途中だった。レーシャは羞恥から顔を覆ったが、ルスランはにこにこしている執事をにらむと、レーシャの手を取った。
「行くぞ。早く連れて行け」
「はい。良かったですね、ルスラン様」
「うるさい」
照れてからかわれているルスランを見ていると、レーシャは落ち着いてきた。彼女にも羞恥がなくなったわけではないが、どちらかと言うとクールな印象のルスランがかわいらしく見えるから不思議だ。
「ニキータ・ファトクーリンの妹か……」
お見合い連敗中の手放した息子が連れてくる令嬢と言うことで、マスロフスキー公爵は好奇心丸出しだったが、レーシャが紹介された途端に遠い目になった。ニキータ、何をしたのだろう。と言うか、貴族社会においてレーシャはファトクーリン伯爵の娘ではなく、ニキータの妹らしい。
「……まあ、エレーナ嬢が悪いわけではないからな」
「そうですわよ。エレーナ、この朴念仁をよろしくね。と言うか、この唐変木でよかったの?」
「母上」
父親も母親もあきらめの境地に入っているようだが、公爵夫人の方は真面目な顔で尋ねてきた。ルスランはどちらかと言うと母親に似ているようだ。しかし、公爵夫人の言うことがポリーナに似ている。叔母と姪だから不思議なことではないが。
「ええっと……ルスラン様は私の話を聞いてくれますし、お優しいですし」
お相手としてレーシャの方が不足している気がする。ひとまず、エスコートを受けただけで将来の話をしているわけではないが、この状況を見るに、おそらく近々打診があるような気がする。
「あなた、いい子ね……これくらいおっとりしていないとだめなのかしら」
公爵夫人がため息をついた。手元を離れたとはいえ、女主人のいないイヴレフ公爵家に代わって、彼女がお見合いの手配などをしていたらしい。手ごたえがなさ過ぎて難儀していたところに朴念仁な息子が、身分的にも何の問題もない女性を連れてきたので、ほっとするやらこれまでの苦労は何だったのかと言う徒労感にさいなまれるやらで複雑な気分らしい。
たぶん、このまま順番にルスランがお見合いを申し込んでいけば、いつかはファトクーリン伯爵家にも話が来ただろう。伯爵家は公爵家と縁を結んでもおかしくはないし、家格が釣り合う中で年回りの合う令嬢というと、意外と人数は限られる。
とはいえ、ルスランがあまりにも連敗するので、この半年ほどは話を持って行っていなかったようだ。いっそルスランを知らない外国の貴族とか、と考えたりもしていたらしい。
「最初から本人に任せておけばよかったな」
「そう言うと、むしろエレーナと縁づかなかった気もするわ」
離れて暮らしているとはいえ、さすがは母親。息子の性格をよくわかっているのだな、と思った。まあ、レーシャの母親は一緒に住んでいても子供たちの性格を把握できていないけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ルスランはイヴレフ公爵の孫の中で一番適性がある、と見込まれて跡取りとして引き取られました。
という、裏情報。