【13】
ルスランの様子がおかしい。レーシャに好きだ、と告げてから、様子がおかしい。やたらとかまってくる、と言えばいいのだろうか。どこに行くにも寄り添ってくれるし、かといってそれ以上踏み込んでこない。
というようなことを、ルスランの従妹であるポリーナに訴えてみた。
「おかしいねぇ……確かにおかしいよね」
笑いながらポリーナは同意を示す。レーシャとしては「笑い事ではないのですが!」と言ったところだ。
「どこに行くにも視線が痛いのです!」
こうなってから気づいたのだが、クラスが一緒なうえに、選択授業もかぶっているものが多いのだ。つまり、一緒にいる時間が長くなる。
同級生たちはぎょっとしてこちらを見てくるし、アヴィリアンは今のポリーナのように笑いをこらえているような表情をしているのをよく見る。そして、さすがにそろそろエカテリーナの視線が痛い。
「エレーナちゃんは嫌なの?」
「い……っ」
レーシャにしては素早く、反射的に言葉を返そうとして言葉に詰まる。興奮していた気分が沈んでいくのを感じた。
「…………いやではないです」
「ならいいじゃん。私はエレーナちゃんが親戚になってくれたらうれしいし」
いつも通りさばけた調子でポリーナは言った。彼女は貴族社会の中でも上位に入る立場にある。この性格もあって、対人関係に悩んだことはないのだろうな、と思った。
「わ、私もポリーナちゃんと親戚になれるのはうれしいですけど、でも」
そう言うことじゃないのだ。自分でも何が不安なのかわからないが、そう言うことではないのはわかる。
たぶん、ルスランとエレーナの心情を取り払って考えても、それほど悪くない話なのだと思う。ファトクーリン家は伯爵家だが、公爵家とつり合いが取れないほど階級が離れているわけではない。さらに、兄のニキータは宰相のイヴレフ公爵に可愛がられているし、たぶん、悪くない話なのだ。
「うう~。ポリーナちゃん……」
「いいじゃん、嫌じゃないなら。しばらく付き合ってみて嫌だなって思ったら振ってやればいいんだよ。大丈夫。奴は今のところお見合い連敗中だからね。振られるのは慣れてるよ」
「……」
いや、そういう問題なのだろうか。というか、お見合い連敗中なのか。いい人だし、将来の公爵位を約束されているのに。思わず真顔になるエレーナである。
「どうしてもいやなら、私から言っておくけど?」
はっとポリーナを見た。なんどか目をしばたたかせ、レーシャは首を左右に振る。
「いいえ……その時は自分で言うので、いいです」
「ふふっ、そうだね」
楽しげに笑ったポリーナはレーシャに抱き着いた。いいにおいがする、とちょっと変態っぽいことを言われる。
「何かあったら相談してくれてかまわないからね」
「……面白がられてる気がします……」
そう言うと、ポリーナはレーシャを抱きしめたままふふっと笑った。
「レーシャ、と呼んでもいいだろうか」
おもむろにそう言われて、参考書を読んでいたレーシャは顔を上げた。向かい側のルスランがまじめな表情でこちらを見ている。ここは、学園の図書館だ。
レーシャもルスランも授業の課題をこなしていたはずだが、ルスランはいつからレーシャの方を見ていたのだろう。難しい顔で参考書を読んでいたのをみられていたことに気づき、レーシャは羞恥に頬を染めた。持っていた参考書で口元を隠す。
「エレーナの愛称はいくつかあるが、兄弟にレーシャと呼ばれていなかったか?」
ルスランの言う通り、いくつかある愛称の中からレーシャと呼ばれている。少し口ごもりながらも、「そうですね……」とうなずいた。
「か、構いません」
そんなに親しく愛称で呼んでくれるような友人は少ないので、普通にうれしい。
「では、レーシャ」
聞いたことがないほど優しい声音で愛称を呼ばれ、レーシャののどが「ひぇっ」とひきつった音を立てた。色気のない声だが、顔が真っ赤になっているだろう。動揺するレーシャをルスランが楽し気に見つめる。
図書室の使用者はそれほどないとはいえ、人目はある。明らかに勉学以外のことをしているのを、司書は見ているのに何も言ってこない。むしろ微笑まし気に見られている気がする。ルスランもレーシャも、普段の使用態度がまじめなので、こういう時見逃されることが多いのだ。まあ真面目な子たちだし、みたいな。
「あなた、ルスラン様にどう取り入ったの」
仁王立ちでそう言ったのはエカテリーナだ。最近、また復活してきた。父親のアニシェヴァ侯爵は爵位を息子に譲り、今は彼女の兄が侯爵のはずだ。あれだけいた取り巻きの少女がいなくなっている。隆盛を誇った彼女も、さすがに騒ぎの後は人が離れて行ってしまったようだ。
「どう……?」
レーシャが首をかしげて応える前に、エカテリーナは言葉を続けた。
「真面目なあの方が、べたべたと……! おかしいじゃない!」
エカテリーナの言葉に、レーシャは思わず「おかしいですよね?」と聞き返した。いつになく反応の早かったレーシャに、おっとりした娘だと思っていたエカテリーナがちょっと引く。
「おかしいですよね? 私、何かしてしまったのでしょうか。どうすればいいんでしょうか?」
「わ、私に聞かないでよ!」
身を乗り出して尋ねると、エカテリーナは首を左右に振った。レーシャは涙目で訴える。
「何故、私なんでしょう? エカテリーナ様の方が身分的にも釣り合いますし、美人ではっきりした性格ですし、いいと思うのですけど」
ポリーナは今のところ、ルスランはお見合いに連敗中なのだ、と言っていた。エカテリーナが嫁に立候補するのなら願ったりではないだろうか。
よいと思って提案したのだが、エカテリーナには「何言ってんだこいつ」みたいな顔をされた。
「うちはもう、昔ほどの勢いはないのよ。あんたのせいでね!」
それは自業自得だと思うのだが。エカテリーナに関しては父親に強く命じられていたようなので、ある程度同情の余地はあると思う。いじめられていたレーシャが言えることではないけど。
「それに、ルスラン様が選んだのはあんたなんだから、私が名乗りを上げても見向きもされないわよ」
「……さっきと言っていることが違いませんか?」
ツッコみを入れると、「うるさいわね!」と怒鳴られた。
「なんなのあなた! おとなしい顔して辛辣ね!」
事実しか言っていないのだが。何度か瞬いていると、エカテリーナはため息をついた。
「もう、いいわ。言いがかりをつけられたくないもの」
ふん、と鼻を鳴らすと、エカテリーナはあっさりとレーシャから離れていった。何のことはない。ルスランがすぐそばまで来ていたのだ。
「レーシャ」
愛称で呼ばれてびくりとした。そう呼ぶ、とは言われていたが、本当に呼ばれると緊張する。
「嫌だったか?」
「いえ……慣れなくて」
父や兄たちとは違う男の人の声で呼ばれるのが不思議な感じだ。十代後半の青年にしては落ち着いた声だと思う。レーシャは胸元に手を当てて息を吐いた。
「何か言われたか?」
「……はい?」
「アニシェヴァ侯爵令嬢に」
「ああ……」
レーシャとエカテリーナが話しているのを見て、ルスランはこちらに来てくれたようだ。少しうれしくなって微笑む。
「少し、お話ししていただけです」
「そうか」
レーシャが微笑んだからか、ルスランからも笑みが返ってきてレーシャはきゅっと唇を引き結ぶ。美形の微笑みはずるいと思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
でも実際にルスランがエカテリーナを選んだら、レーシャはショックです。