【12】
「レーシャ。お前に見合い話があるんだけど」
そう言ってきたのは、なぜか父ではなく長兄のクラウジーだった。レーシャは目をしばたたかせる。
「……なぜですか?」
「何故って」
「あら、よかったじゃない! 誰かしら」
母のテンションが一気に上がって、レーシャの問いもクラウジーの言葉も遮られた。レーシャは思わず兄と顔を見合わせる。レーシャがうなずいたので、クラウジーは相手の名前を挙げた。
「マルシェフ侯爵の甥と、ハレヴィンスキー伯爵の息子。俺としては断ってもいいと思う」
「どうして? 良縁じゃない! ねえ」
やっぱり母の方が反応が早い。確かに、歴史はあるがせいぜい中堅の中流貴族であるファトクーリン伯爵家のパッとしない次女にしては良縁である。母は乗り気で、「会ってみたらいいんじゃない?」と言う。娘を置き去りにぐいぐい話を進めていく。
「ええ……でも、レーシャは? どうしたい?」
「断る理由はないわ」
「母上。今、レーシャに聞いています」
さすがに黙っていろ、とは言えなかったクラウジーだが、父が母の肩をたたいた。
「ジーナ、あまり出しゃばるな。断っても問題ない縁談だから、レーシャの意見も聞きたいんだろう」
父の言葉に不満そうに母は口を閉じた。クラウジーがほっとしたようにうなずいた。レーシャは首をかしげる。
「ハレヴィンスキー伯爵の長男は王太子の側近ではなかった?」
「ああ。お前にどうか、と言ってきたのは次男の方だな。派閥的には王太子派だろ」
クラウジーに言われ、レーシャはそうだよね、とうなずいた。
「だから、マルシェフ侯爵の甥の方が俺としてはましだと思うな」
「つり合い的にはハレヴィンスキー伯爵子息でしょう」
やっぱり母が口をはさんだ。確かにうちも伯爵家だが、そういう問題ではない。
「私は第二王子殿下の妃になる予定のコレリスキー侯爵令嬢と仲が良いので、できれば王太子殿下とかかわりのある方は避けたいです」
今のところ王太子とアヴィリアンの関係は良好であるが、いつ敵対関係になるかわからないし、派閥をたがえればこれまでのように仲良くできなくなる。せっかくできたお友達なのに、それはさみしい。
その点、マルシェフ侯爵家は王に仕えているし、しかも縁談があるというのは甥だ。直接の影響力は少ないだろう。その点も見て、クラウジーは進めるならマルシェフ侯爵家の方だ、と言っているのだ。
「最初に言ったけど、断ってもいいんだぞ。確か、イヴレフ公爵の跡取りと仲が良かっただろう、お前」
ルスランのことだ。しかし、彼のことをレーシャは家族に話していない。次兄のニキータくらいしか知らないだろう。少なくとも、長兄に話した記憶はなかった。小首をかしげたレーシャが何か言う前に、またも母が口を開いた。
「まあ! イヴレフ公爵って、宰相じゃない! いつの間にそんなことに!?」
「跡取りの孫がレーシャの同級生だ」
父があきれたように母に言った。クラウジーも「ニキータは宰相府の役人だし、第二王子妃の予定のコレリスキー侯爵令嬢はイヴレフ公爵の孫の一人だろ」と冷静に突っ込みを入れている。ビビりな兄だが、まじめだし状況を的確に把握していると思う。
「何よ、少し驚いただけじゃない」
「前から思っていたが、お前はもう少し子供たちの話をちゃんと聞いた方がいいぞ」
あきれている父の言葉に、クラウジーもレーシャもうなずいた。母は基本的に勝手に話を進めていくので、こちらの話を聞いてくれない。早合点して間違っていることもよくある。
「とにかく、レーシャはあまり乗り気じゃないんだな? じゃ、断っておくぞ」
「……お願いします。でも、本当にいいの?」
クラウジーやニキータ……は大丈夫そうだが、父の立場が悪くなったりしないだろうか。レーシャは兄や父を心配しているのに、長兄は笑って言った。
「大丈夫だって。あっちも受けてくれたらラッキー、くらいのつもりだろ」
「……だと、いいけど」
断ることで話は決まった。母は最後まで「いい縁談なのに」とごねたが、クラウジーも父もレーシャに味方してくれたので、話はこれ以上進まなかった。
進まなかったので、レーシャの中でその話はすでに終わっていた。なので、学院で顔を合わせたルスランに問われたとき、怪訝な表情をしてしまった。
「……はい?」
「縁談があると聞いた。受けるのか?」
二度聞かれて、やっとクラウジーが持ちかけてきて、結局断った話を思い出した。きょとんと瞬くレーシャに、ルスランが苦し気に眉を顰める。どうしてそんな表情をするのだろう。
「悪くない縁談だとは思うが、ポリーナとは派閥が違ってくる。もちろん、うちの王族は仲の良い方たちだが……」
言い募るルスランに、どこで口を挟めばいいかわからないレーシャである。いつも、ルスランはこちらが話すのを待ってくれていたのだということがわかる。その事実にちょっとほっこりしつつ、とにかく口がはさめない。
「あの!」
話をぶった切ることになるが、レーシャは大きな声を出してルスランを止めた。ルスランが驚いたようにレーシャを見て、彼女に口を挟ませなかったことに気づいたようだ。
「ああ……すまない。なんだ?」
「縁談は、どちらもお断りしました」
ルスランが言葉を待ってくれたので、レーシャも状況を伝えることができた。ルスランはレーシャを見下ろし、何度か瞬きした。
「……は?」
レーシャは首を傾げ、もう一度「お断りしました」と言った。
「こ、断ったのか? ああは言ったが、いい縁談だったと思うんだが……」
先ほどと言っていることの違うルスランの混乱ぶりがよくわかる。レーシャは微笑んだ。
「お父様も一番上のお兄様も断っても構わない、と言ってくださったので」
「……」
言葉が頭を貫くのに少々時間がかかったようだが、理解したとたんにルスランはその場にしゃがみこんだ。
「やられた……!」
「えっ?」
突然しゃがみこんだルスランにあたふたするレーシャ。自分もしゃがみこんでルスランに手を伸ばす。
「ど、どうなさいましたか」
「単純な自分に絶望しているところだ」
「はあ……ルスラン様は聡明な方だと思いますが」
「そう言うことではない」
レーシャの言葉は的を外していたようだが、何に絶望しているのかわからない。
「よくわかりませんが、大丈夫だと思います」
おっとりと、しかしきっぱりと言うと、ルスランは顔を上げた。しゃがみこんだまま手を取られる。
「好きだ」
「……へっ」
「好きだ、エレーナ」
告げられた言葉が脳裏を貫くのに、少し時間がかかった。理解したとたんにかっと頬が熱くなる。今、レーシャは真っ赤になっているはずだ。
口をぱくぱくと開閉するが、言葉が何も出てこない。レーシャが何の反応も示せないうちに、ルスランが再び口を開いた。
「私の知らぬ間に、お前が誰かのものになると思うと、平常心ではいられなかった。お前が私に笑いかけてくれるのがうれしかったし、その立場を人にやりたくないと思った」
なんだか熱烈なことを言われている気がする。頭がぐるぐるして、うまく処理できない。もう一度、ダメ押しのようにルスランは言った。
「好きだ、エレーナ」
「ひぇっ」
妙な悲鳴が上がった。腰が抜けてその場にしりもちをつく。膝をついて手を握ったままのルスランをそっと見上げた。彼はまっすぐにレーシャを見つめていた。何か言わなければ、と思うが言葉が出てこない。
「あ、あの……私……っ」
震える声を絞り出したとき、予鈴が鳴った。午後の授業が始まるのだ。ルスランが顔をしかめるので、レーシャはびくりとした。
「ああ……お前に怒ったわけではない。タイミングを見ていなかった私の責任だ」
そう言って立ち上がって、レーシャも立ち上がらせる。膝が震えていて、支えがなくては立ち上がれなかったと思う。
「次は語学だったか? 歩けるか?」
「は、はい……」
レーシャが震える声で答えると、ルスランが微笑んだ。顔が熱くなる。この顔で教室へ行くのだろうかと思うと、逃げ出したい気持ちになったが、根がまじめなレーシャはそのまま授業を受けに行くのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
レーシャがお見合いをすると聞いて慌ててやってきたルスラン。実際は話があったらしいよ、としか言われていないので、早とちりですね。