【10】
「えっと、何が起こったのでしょう……?」
背の高いルスランはなんとなく状況を把握できたが、普通程度の身長のエレーナは何が起こっているかわからなかったようだ。おっとりと問われ、思わず和んだ。慌てるようなことがあっても、彼女を見ていると落ち着けるような気がする。
「どうやら令嬢たちのいさかいがちょっとした騒ぎになったようだな。ポリーナが仲裁に入ったから大丈夫だ」
「ならよいのですが……。ルスラン様はいかなくてよろしいのですか?」
ポリーナが仲裁している、と聞いたからだろう。エレーナが小首をかしげて尋ねた。ルスランは首を左右に振る。
「特にいかない。……私はこういう仲裁が苦手なんだ」
この、痴情のもつれ的な仲裁は特に苦手だ。不貞腐れたようなルスランの主張に、エレーナはきょとんとした後、くすくすと笑った。笑われた気恥ずかしさと、その笑みの可愛らしさに思わずエレーナを見つめてしまった。見つめられていることに気づいたエレーナがはっとする。
「も、申し訳ありません」
「……むしろ私が済まない」
下心たっぷりに見つめていた自覚があるルスランが言うと、エレーナは首をかしげておっとりと言った。
「笑ったのがお気に触ったのかと……」
「いや、ただ可愛らしいと見ていただけだ」
正直に言うと、エレーナはぱっと頬を赤らめた。赤面してから驚いた表情になる。感情表現までおっとりしていた。
「か、からかわないでください」
熱を冷まそうとしているのか、赤い頬を手で覆っている。ぎゅっと目をつむるしぐさが愛らしく、これがいとおしいという感情か、とルスランは現実逃避気味に考えた。
「レーシャ」
ふと声が聞こえた。レーシャはエレーナの愛称の一つだ。
「あ、お姉様」
おっとりとエレーナが首を傾げた。家族にはレーシャと呼ばれているようだ。そういえば、彼女の弟もそう呼んでいた気がする。
エレーナの姉には見覚えがあった。学院で見たことがある気がする。二つが三つほど年上だっただろうか。その彼女は、妹と一緒にいるのがルスランだと気づき、「まあ」と口元に手を当てた。
「あなたが巻き込まれていないか気になっただけなのよ。お邪魔だったわね」
エレーナの姉、セラフィマはうふふ、と笑ってすぐに話を切り上げた。ルスランとエレーナはきょとんと顔を見合わせる。
「エレーナに用があるのではないのか?」
ルスランはニキータにエレーナを預けられたが、姉のセラフィマが一緒にいるならルスランが離れても問題ないだろう。……それを少し、面白くないと思う自分がいることには気づかないふりをした。
「大したことではありませんもの。ふふっ」
楽し気なセラフィマだが、ここまでエレーナは何も口を挟めていない。彼女が口を開こうとすると、「照れなくていいのに」とセラフィマが先に言葉を発するのだ。この調子で、家ではエレーナはあまり話せないのだろうな、と思った。
「すみません……」
セラフィマが離れて行ったあと、エレーナが消沈した様子でルスランに謝った。謝られたルスランは「何がだ?」と首を傾げた。
「え……っと。シーマが、その、いつもあんな感じで」
「思い込みでどんどん話を進める、と言うことか?」
「そ、そうですね」
ルスランの端的な言葉に面くらいながら、エレーナがうなずいた。確かに、わかってるわよ、と言う雰囲気でどんどん話を進めていくのは対処に困るかもしれない。ああいう、わかってるわかってる、と言わんばかりの調子の思い込みは修正するのが面倒くさい。
「まあ、気にしなければいいんじゃないか?」
「……まあいいか、と流していてこの現状なのですが……」
しゃべらない子、という印象がついてしまったようだ。なるほど、と思う。
「……ああいうのは、否定するほどからかわれるのではないか。と言うか、すまん。彼女は何を勘違いしていたんだ?」
そこがわからなかったルスランである。何か含みのある反応をされているのはわかったが。エレーナはぱちぱちと瞬きを何度か繰り返すと、頬に手を当てておっとりと首を傾げた。
「ええっと。多分、私がお兄様とこの夜会に出席するというのを隠れ蓑に、ルスラン様に会いに来たのだ、と勘違いされたのだと思うのですけど」
「なるほど」
やはり女性にありがちな勘違いのようだ。世の中の大半の女性は、こうした恋愛話のようなことが好きらしい。試しにエレーナにも聞いてみた。
「私も嫌いではありませんね。むしろ、聞いたり物語を読んだりするのは好きな方だと思います」
残念ながら、自分では経験がないので聞くだけですけど。とあまり残念ではなさそうにエレーナは言った。「私も披露できる話はないな」と言うと、「同じですね」と彼女は笑った。ふんわりとした笑みに、思わずルスランも笑った。
あまり情報収集はできなかったが、なかなか楽しい夜会だった。パーティーの類を楽しいと思ったのは初めてかもしれない。ちなみに、エレーナを迎えに来たニキータの様子を見るに、彼の方はあまりうまく行かなったようだ。エレーナが兄を励ましている。まあ、どうにもならなくなったら、ニキータを気に入っているらしいイヴレフ公爵が介入してくるだろう。
ルスランはルスランで、エレーナと一緒にいたことをアヴィリアンにからかわれていた。
「いい雰囲気だったじゃないか。お前の笑ってるところなんて、俺でもめったに見ないのに」
「悋気を起こした恋人のようなセリフだねぇ。いいよ、私は偏見がないつもりだからね」
「お前はろくでもないことを言うな」
アヴィリアンがあきれたようにとんでもないことを言い出したポリーナを見下ろした。ポリーナはからかっているだけだとわかっているが、愉快ではないのは確かだ。
それよりも、令嬢たちのいさかいについて話を聞くことにした。ポリーナは彼女らを仲裁していたが、ルスランは離れたところにいたので詳しい事情は分からなかったのだ。
「なんてことないよ。自分の恋人に色目を使ったって伯爵家のお嬢さんが怒りだしてねぇ」
相手は子爵令嬢だったらしい。この相手の男もどっちつかずで、どちらの令嬢にもいい顔をしていたそうだ。一応、伯爵令嬢の恋人だったらしい。
「困っていたところを助けてもらって、しばらくおしゃべりしていたらしいよ、その子爵家のお嬢さんは」
ポリーナはちょっとあきれたように肩をすくめる。どうやら子爵令嬢の方にも少々問題があったようだ。
「外から見る分には楽しいけど、実際に中に入っていくとなると、そうは言ってられないよねぇ」
はあ、と彼女らしからぬ溜息を吐く。全くできないならともかく、できてしまうし、面倒がっても手を出してしまう面倒見の良さが彼女を無関係でいさせてくれない。
「私としてはこの三角関係よりも堅物の君がエレーナちゃんと何を話して盛り上がったのかが気になるんだけど」
「お、それは俺も気になる」
アヴィリアンがのっかってきた。ルスランはすっと目を細め、「私をからかってどうするのですか」と冷たく言った。ポリーナがはっとしたように言う。
「そうだ、殿下。あんまりからかいすぎちゃだめですよ。うまくいくものも行かなくなります」
「それもそうだな」
その感想もどうかと思うが、干渉してこないならそれでいいか、と思うことにする。
「ところで殿下。リマンスキー伯爵の件ですが……」
なので、そのまま今回の夜会での報告をすることにした。
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