10
間抜けな貴族教育もどきを行なった、昼食後しばらくしてのことだった。
突然、外からノック音が鳴り響く。
ほぼ人が訪ねてくることのないこの部屋にそんなことが起こるなんて驚きつつも対応する。
「お出迎えの準備をお願いします」
表情一つ崩さない無の公爵家侍女が不躾に伝えてきた。
誰のという疑問符を捨て置き、今すぐに部屋から出てこいという感じで待機している。
するとアーデンは慣れた様子で気づいたら私のそばに来ていた。
それを確認するや否や、さっさと歩き出す侍女。
私は訳の分からないまま、そのあとをアーデンと追う。
いつもなら端の端で息をひそめたような部屋からは出たことないのに今に限っては違う。
建物の中心部、人の出入りが激しいであろう立派な玄関口へと辿り着いた。
こんなにいたのかという屋敷中の使用人たちが列を成して整列している。
私たちもその中の一番目立たない場所に立っていた。
一体、何事なのか、この状況。この様子はただ事ではないのを物語っているのが分かるのみ。
やがて玄関口が開かれる。開け放たれる前にみんな一斉に頭を下げだす。
誰かの登場であることは間違いない。当然、私も腰を低くして頭を下げた。
「……そんなに畏まらないで。いつまでも慣れてくれないと気軽に訪問できなくなってしまうわ」
鈴を転がすような可愛らしい声が響き渡る。頭の位置を変えないようにしながら目線だけで声の主を追う。
チラリと視界に映ったものは綺麗に靡いた金色の髪。
ここはグリフィス公爵家であるし、それすらを跪かせてしまう存在!
これは、もしかするともしかしてしまうのでは?!
心臓がバクバクと音を立てる。あらゆる期待が全身を駆け巡る。
ついにずっとずうっと気になっていたあの登場人物が?!
顔を上げ、じっくりとその人物を見たいけれども見れない。自分の立場が恨めしい。
「あちらに席を設けてある。行こう、マーデリン」
突然、どこからともなく現れた主導権を握ったような少し低くなった声が聞こえてきた。
間違いない! こ、この声、きっと、ブ、ブランディンだ。
いや、太陽姫の婚約者だから当然、いるよね。当たり前だけど。
声だけでビビってしまう私は思わず身を縮こませてしまう。
フロンテ領での私の存在を覚えられていたらアーデンに何かあるのではないかと不安が過ぎる。
横目でアーデンの様子を窺うも軽く頭を下げたまま、身動き一つしていない。
やがて声も離れていき、使用人たちも動き始め、その内お戻りくださいと告げられた後は誰もいなくなっていた。
アーデンはさっさと自室の方へ向かい出し、慌てて後を追う。それにしても何事もなく、安堵した。
その安心感からなのか小説のヒロインが登場したことに気持ちが再燃する。
生で直接は見れなかったものの、その存在を確かめられたことが嬉しくなった。
声だけでも痺れるような可愛らしく覇気のある感覚。その姿はきっと神々しいのだろう。
部屋に入ると私は堰切ったように話し出した。
「アーデン、太陽姫とお会いしてるではないですか!」
「太陽姫? ……あの方がそうなのか?」
「そうですよ! 驚きました。ご尊顔は拝めませんでしたがとても可愛らしい声。凄く興奮しました!」
マーデリンのことを思い出しテンションが上がってしまう。
何せヒロイン。でもってアーデンのハッピーエンドの相手でもある彼女だ。
一応、出会っていることは確認できたものの、あの調子だとかなりの距離感がある。
こんな隅っこへと追いやられている状況でマーデリンとの接点があるのか、疑問。
季節は雨季を迎えようとしているこの時期。
ブランディンとマーデリンは来春には学園に通うことになり、この屋敷に訪れることが数えるほどになる。
それまでにマーデリンの助力で貴族教育を受けることができるのか、非常にモヤモヤしてしまう。
それでも見守るしかない、と判っているものの、ああ、何もできない自分がもどかしい。




