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「……誰なの?」
アーデン様と過ごすようになって2週間は過ぎた。
季節はすっかり夏に入り、毎日段々と暑くなってきている。
臭うこともないし、髪の毛は伸びきってるけどサラサラになった。
垢で汚れた当初の黒い肌が綺麗な濃ミルクティー色に変化した。
ぶかぶかだったブラウスも丈はそのままで肩幅や袖の長さを調整し、幾分かマシになったと思う。
背もたれもなく身体を支えられるようになってベッドの端に腰掛けていられる。
相変わらず細身のままだけど少しづつでも回復しているようで何よりだ。
今は湯浴みを済ませてさっぱりしたところでもう後は寝ようが好きに過ごしてもいい時間。
ベッドに運んだところでじっと見上げられ、そう口にしたのだった。
「え」
喋ったことにも驚いた。今の今まで口をきいたことがなかったから。
それに伴い、訊かれた内容に関しても驚いた。
そうだ、私、名のったことない……。
ふと思い出せば怒涛の日々の中、一人で『アーデン様、アーデン様』と言いながら世話をしていた。
一方的に話して行動を起こし、仕事に向かってとその繰り返し。
目は合わせていたものの、会話という会話をしないから名のることを忘れていた!
「も、申し訳ありません! 私はセシリア・フェルトンと申します。セシリアとお呼びください」
慌ててアーデン様に向き合うとスカートの裾を摘まみ、貴族らしいカテーシーをする。
「一応、子爵家の娘ですが、訳あってグリフィス公爵家の侍女として勤めさせてもらっております。まだこちらでは3カ月ほどになりますので不慣れな点があると思いますが、可能な限りアーデン様のお世話をさせていただきますので改めてよろしくお願いします」
頭を上げるとじっと見つめるアメジスト色の瞳。何だろう、疑われてるのかな。
何かを見透かすような妖しげな眼差し。5~6歳にしては目力強いよね。
考えてみれば見たことのない女がいきなり世話をしてるのもおかしな話。
確か小説ではお母さんであるルイーザも夫人の嫉妬が原因で既に亡くなっており、どこでも冷遇された扱い。
しかも今はブランディンの策略で公爵にも目が届かないままフロンテ領で悲惨な日々を過ごしていた。
それをぽっと出の得体のしれない女がこんな辺鄙な場所で懐柔しているようにも見えなくない。
もしかすると何か企んでいるように見えたりするのかな、私。
違うんです。おねーさんは人として、人としてできる限りのことをしてるだけ。
多分、放って置いても生き延びるとは知ってるけど、人として見過ごすのは無理。
クビにならなければせめて王都に戻る年までは最低限見守ると決意してお世話させていただいておりますよ!
とはいえ、中途半端な形は否めない。
立派な部屋も用意することすらできず、洋服すら私の手製。
食事も貴族らしいものなんて何一つない。使用人用に作られた庶民メシだし。
権力も財力もない崖っぷち貴族。できる範囲でのはったりでやり繰りしてるだけ。
私のことをブランディンに告げ口されたなら身の上がバレてすぐにでも消されると思う。
危ない綱渡りの中、ハーパーさんたちと共存できてるのは今まで通り逆らわないから。
グリフィス公爵家(ブランディン支持者)にとってアーデン様は秘匿したい存在。
それを知っているからこそ、目につかないように気を使っているからどうにかなっている。
あんな場所に閉じ込めておく人たちだからこそ、見せないようにしているのだ。
とはいえ、アーデン様にとっては軟禁状態に近い気もする。
今は歩くこともままならないけれどいずれは健康を取り戻させるつもりだ。
それ以前に警戒されても困るけど嘘はつきたくない。
「信じてもらえないかもしれませんが、私はアーデン様を幸せにしたいだけ、です」
アーデン様の前にしゃがみ込むとしっかりと目を見据えてはっきりと意思を伝えた。




