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更衣室

作者: そんたく

「じゃあそこで待っててね!」


 そういうと彼女は更衣室のカーテンを閉める。

 少し使い古したスニーカーが、二つ並んで行儀良く爪先をこちらに向けている。

 スニーカーをじっと眺めると、そいつらは突然喋り出した。


「これこれ、ここから先は神聖な場所ですぞ。決して立ち入ってはなりませぬ」


 2つ並んだスニーカーは双子の衛兵、姫とその城を守る兵士のようだ。


 その気になれば、俺はそいつらを一瞬で蹴散らすこともできるし、その先の薄い布切れ一枚の城門など一瞬で突破できる。

 文字通り突破だ。破る必要すらないくらい突破できる。けど、そもそもそんな必要はない。数分後には、その城門は俺のために開かれるのだ。俺のために、俺のためだけに。

 であれば、この2人の衛兵にはこのまま仕事をしていてもらった方がいいだろう。

 その方が得だし、彼らを蹴散らせば彼女も怒る。


 城門の下、つまり更衣室のカーテンの裾からは、彼女のご機嫌な足が見える。

 黒いレギンスにストライプの靴下。踵が、つま先がくるくる入れ替わるのは、中で踊りでも踊っているのだろうか?耳を澄ませば鼻歌まで聞こえてきそうだ。

 いやいや、そんなことはない。俺の推理が正しければ、彼女は鏡の前でくるりと一回転したのだろう。

 舞踏会をするには更衣室の中は狭すぎるし、エスコートをする人は城門の前で待ちぼうけだ。さしずめ今は舞踏会の準備中。

 今度は足がゆっくりと左右に揺れる。

 サイドステップを踏んでいるようだ。

 もしかして、本当に舞踏会が中で行われているのか?

 本当に鼻歌が聞こえてくる気がする。いやいや、鼻歌で舞踏会というのもありえない。きっと彼女は上半身に服を当て、様々な角度で鏡を覗き込んでいるだけだ。


 くるくると動く彼女の足を包む靴下、俺は今日初めて彼女の靴下を見た気がする。

 ……いや、もしかしたら彼女の靴下を見たこと自体が初めてじゃないか?

 付き合ってほどほどの月日が経つが、俺は彼女の靴下をはっきりと、かつ見ようとして見たのはきっと初めてだ。

 そうか、彼女はこんな靴下を履いていたのか。否、彼女は今日、こんな靴下を履いているのか。


 次に、彼女の踵が行儀良くこちらに向けられ並ぶ。

 二つ並んだ彼女の踵は、まるで小さな桃のように見える。ストライプ柄の桃、不思議と食欲をそそる。


「これこれ、不敬ですぞ。そんなにじろじろ眺めてはなりませぬ」


 つま先を向けた2つの衛兵が、姫の踵を覗くなと申す。

 うるさい奴だ、いや、奴らだ。双子のフリをしているが、お前たちが鏡合わせで双子じゃないことを知っているんだぞ、俺は。

 忌々しい双子のフリをした衛兵め。お前たちは黙って仕事をしていればいい。

 俺は今、とても忙しいんだ。

 踵がこちらを向いているということは、少し視線を上げれば彼女の臀部がそこにあるはずだ。しかし、そこは城門に阻まれて当然見えない。

 つまり彼女は、奥に身を向けて、おそらく鏡を見ているのだろう。

 丁寧に合わさった足が、小さくゆっくり左右に揺れている。

 ご満悦なのだろうか?それとも何かを考えているのだろうか。


 耳を澄ませば、微かに衣擦れの音が聞こえる。

 おそらく上に召したものを脱いでいる音であろう。

 あれ?彼女は何を試着するために更衣室に入ったんだ?


 よくよく考えれば、彼女は今日、どんな服を着ていただろう?

 スカートを履いていたのは覚えている。いや、スカートだったか?

 スキニージーンズ?いや、それは先週のデートの時だ。そもそも今見えているストライプの靴下にレギンスでは、それはキツかろう。


 そもそも彼女の足はこんな風体だっただろうか?いやいや、足を、更に言えば踵だけをこんなじっくりと見たことなどないのだから、そんな風に思えてくるのも仕方がない。


「これこれ、其方は何処のどいつだ?姫とお目通りの約束は取ってあるのかね?」


 2人の衛兵は訝しげに俺を睨む。

 もちろん取ってある。あるに決まっている。俺以外の誰が約束が出来ようか?先ほど「そこで待っててね!」と言って、彼女は中に入ったではないか。


 けど、よくよく考えればこの中にいるのは本当に彼女だろうか?俺はちらりと左右を見回す。

 そこには同じような更衣室が並んでいる。そう、おかしくない。更衣室が並んでいてもおかしくはない。


 靴もまばらに並んでいる。

 おかしくない。靴が並んでいてもおかしくない。

 パンプス、スニーカー、ミュール、スニーカー、サンダル……、さまざまな靴が並んでいる。

 おかしくない。それはおかしくない。


 よく考えろ、よく思い出せ、あのちらりと覗くレギンスは確かに見たことがあるはずだ。

 レギンスなんてどれも一緒?そんなことはない。あの色、あの艶、間違いなく彼女のレギンスだ。

 しかし、目の前のスニーカーは本当に彼女のスニーカーだっただろうか?

 よくよく考えれば、彼女がいるのは隣の更衣室じゃないか?


 いやいや、そんなはずはない。彼女は確かにこの部屋に入って行った。「そこを動かないで!」と言いながら、入って行ったはずだ。入って行ったはずだ。


 けど、もし違ったらどうしよう?ちょっと目を離した隙に彼女が入れ替わっていたら?

 いや、俺はちょっとも目を離してはいないはずだ。では瞬きは?

 いやいや瞬き如きでは入れ替わることなどできる筈がない。

 けど、もしかしたら彼女は最初からこの更衣室に入っていない可能性はないだろうか?本当にこのスニーカーを脱いで、この中に入ったのだろうか?

 そういえば、彼女はこんなスニーカーを持っていなかったような気がする。

 いや、持っていた気もする。

 しかしこいつらは、俺をまるで初めての人を見るような、更に言えば不審者を見るように俺を見ていないか?

 俺もこいつらを、初めて見るように見てはいないか?いやいや、そんなことはない。こいつらには確かに見覚えがある。話しかけられたのは初めてだが、見覚えはあるんだ。声には聞き覚えがないが、見覚えはある。


 ばさり……


 何の音だ?

 音の方に目を向けると、彼女の踵が隠れている。

 あれは何だろうか?いや、考えるまでもない。いや、考えなければわからないことはわかっているのだが。あれは彼女のスカートだ。彼女が今日履いていたスカートだ。

 そうだ、間違いなく彼女が今日履いていたスカート。

 つまりはこの更衣室の主は彼女で間違いない。


 春らしいピンクの、プリーツが幾重にも入った彼女のスカート。

 間違いなく彼女のスカート。

 すっと上から手が伸び、それを掴む。最初は左足、ついで右足と持ち上げられ輪になったそれを足から取り出した。


 今の手は本当に彼女だろうか?

 なんていうかちょっと、いつも見ていた手と違うような……、いや、そもそもいつも手なんて見ているか?俺は。

 そうだ、彼女は右利きだ。それは間違いない。であれば、今さっきスカートを摘んだ手が右手だったか左手だったか、それで多少は絞れるのではないだろうか。

 確かに右利きの方が割合が多い。けど、多少でも絞れれば確信に繋がる。

 さて、さっき一瞬見えた手は右手だったろうか?左手だったろうか?

 ……わからない。


 さっきまで確かに手を繋いでいた。手の平の感触、指先の感覚も覚えている。

 けど、今の手はどうだった?いや待て、そんなことよりも今彼女はスカートを履いていないということではないだろうか?

 こんな薄いカーテンの向こうで、下着一枚でいるなんて、何という不用心!

 いや、レギンスを履いているから大丈夫?そういう問題でもないだろう。あれ?そもそもレギンスってどういう構造だっけ?

 そんなことより、ちょっと中を覗いたら怒られるかな?


「これこれ、もう一歩下がられよ。それ以上近づくのは流石に看過できぬ」


 うるさいよ。わかってるよ。人の目もある。彼女も怒るだろうさ、そんなことしたら。そもそもこの中にいるのが彼女かどうかの自信も持てない。お前らに言われなくても下がるさ。下がるとも。


 彼女の足が、左足が宙に浮くのが見えた。そしてその足が降りたと思えば右足が浮き、そしてまた降りる。

 何だ?何が起きた?また中でダンスを踊っているのか?

 いやいや、そんなはずはない。賢明な俺はわかっている。彼女はスカートを履き替えたんだ。それはそうだ。彼女は試着をしているんだから。確かにちょっとドキッとしたさ。なんていうか、見慣れないからね。


 そう、なんてことはない。試着だから。けどさ、見渡す限り更衣室のこの場所の、見渡す限り並ぶ小部屋の中ではみんな試着をしているんだな。

 試着をしていない俺の方が、むしろ異常だ。


 けど仕方がない。俺は彼女に「ここから一歩も動かずに待ってて!」って言われたんだから。

 そうだ、俺は一歩も動いていないからね。この中に彼女がいるのは間違いない。

 そう、一歩も動いていないんだから、間違いないさ。


 けど、ほんとうにそうだろうか?

 もしかしたら、更衣室の方が動いているのかもしれない。いやいや、床が動いて俺が移動させられている可能性もある。それならば先ほど否定した、瞬きの間でも彼女が隣の更衣室と入れ替わることは可能だろうか?


 何となく、左隣りの左隣りの左隣りの更衣室の前に置いてあるスニーカーの方が、彼女には似合う気がする。似合うという意味でいえば、右隣の右隣のローファー、あっちの方が彼女には似合うんじゃないか?

 それにあのローファー、なんだか見覚えがあるような……。

 本当にこの中にいるのは彼女なのか?

 いや、この更衣室は彼女が入った更衣室ではない、もしくは彼女が入ったのはこの更衣室でも、中にいるのは彼女じゃない!

 確かに目の前のスニーカー、生意気な双子、いや、2人のスニーカーも見覚えがある気がする。しかし、どっちかといえばあのローファーの方が


「お待たせ!どう?変じゃないかな?」


 シャッと軽い音をたて、更衣室のカーテンが開く。


「うん、似合ってると思うよ。いいね!」


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― 新着の感想 ―
[良い点] これまた個性的な作品ですね。作者様から文学的なセンスを感じました。
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