特別任務 3 / 15
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壁外警備にあたるレイとトーブが、シエンナの軽い鎧を身に纏い馬をゆっくり歩速で進ませていた。大河に沿って伸びる東の大街道に人影はなく、雪の降りそうなどんよりした雲が、寂しく気の滅入る雰囲気を作り出している。体にあたる風は冷たく、レイは叙任式でもらったマントを引き寄せた。防風効果の優れているのが有り難かった。
「それにしても驚いたなー」とレイにトーブが話かける。
「ブル隊長の代わりにクレテイス様が隊長だってよ」
「ああ」
「栗色のふわっとした髪だったな」
「ああ」
「いいなー」
「……」
トーブはにやけた顔を隠そうともせず、腑抜けた声をあげた。
「なあ、レイ、知ってるか? クレテイス様、医療部隊にいたが、その前は隠密部隊にいて相当活躍したらしいぞ。すげえな」
どこからその情報を仕入れてくるんだと、レイは呆れていた。
「あのラクフを捕まえたのも納得だ」とトーブが呟いた時、「お前ら、早く来い!」と二人の少し前で馬を進ませていたディックが声をかけた。
「お前ら喋りすぎ。特にトーブ。お前」
ディックがトーブを見下したような目で見た。
「情報通ぶってるが、そんなの隠密部隊に比べれば大したことないからな」
「……」
「クレテイス隊長のこと話してたようだが、お前、クレテイス隊長はストラスブル隊長と同期で盾仲間だと言うことをしってるか?」
トーブは微かに顔を背けた。
「さらにいい事を教えといてやろう。そんな二人が付き合ってるって噂もあるんだぞ」
「なっ!」
デイックは、トーブが目を見開き驚いたあとガクッと肩を落とした姿をみて満足したのか、笑いながら言葉を続けた。
「バーカ。噂だ。噂。でも、まあ、あながちないとも言い切れん。ハハハハハ」
「……ラクフに負けた癖に」とトーブが舌打ちしながらボソッと言った。
「ああ? なんだと! 俺は負けたんじゃねえ。俺より先にクレテイス隊長が捕まえただけだ」
レイは慌てて一触即発しそうな二人の間に馬を割り込ませた。トーブは少し離れたところで、「……ラクフに負けた癖に」と聞こえぬように呟いていた。まったく、と思うレイをだったが特に何かできるわけでもなく、ディックとトーブの間でただただ気まずい時間を過ごすこととなった。
レイは馬を進めながら、ラクフのことを考えていた。やつは結局、武器商人との交渉のうえ取引され釈放されたらしい。今頃、どこでどうしているのか……
一向は押し黙ったまま、東の街道を北の詰所へと向かう。途中、取水口のある禁足地の林を警戒し、すれ違った商隊の身元確認などを行った。
城塞都市に戻ると、亜麻色の長い髪が特徴的な見慣れぬ女の子が待っていた。背は低くノアと同じぐらいだろうか。シエンナ騎士団のワンピースを着ていたが、およそ騎士団の一員には見えなかった。
「あなたトーブ?」
「いや、俺はレイだ。トーブはあそこに」
壁外警備部隊の待機場所で馬に水をあげていたレイは、少し離れて馬の世話をしていたトーブを指差した。女の子は「ありがとう」と言うと、トーブの元へと小走りに走って行った。そして、なにか話し込んでいたようだった。
警備の報告作業が終わったディックがやってきた。
「馬の世話は終わったか?」
「ああ。ええ」
レイは桶を所定の位置に直しながら、チラッとトーブの方に目をやった。
「彼女は魔法部隊の者だ。トーブはあちらでの訓練に入る」
ディックはそう言うと立ち去って言った。
昼食時の食堂。パスタ、ボンゴレロッソを食べながら浮かれているトーブがいた。
「レイ、悪いな、俺は魔法部隊に移動だ」
「ああ、聞いたよ」
「そうかすまんな」
「別に謝ることじゃないさ」
トーブはそれを聞いて安心したのか「よし! がんばるか」とパスタを一気に頬張った。
「嬉しそうだな」
「まあ、レイには悪いがディックと離れられると思うとな。俺はあいつとソリがあわねえ。それに、あの亜麻色の髪の子も魔法部隊だそうじゃねえか、ヒヒ」
「おい、パスタこぼすな」
「ああ、すまん。亜麻色の髪の彼女、アルマーマちゃんって言うらしい」
「……ちゃん?」
「クレテイス様に会えなくなるのは辛いが。ヒヒヒヒヒ」
「トーブ。お前、また痛い目見るぞ。そしてパスタこぼすな」
レイは浮かれてにやけているトーブを見てため息をついた。
昼食後、昼からの壁外警備がない時は、班ごとに訓練が行われる。レイは「そうか、ディックと1対1か」と思いながら身構えた。
「レイ、お前レスリングの技術はどうだ?」
「あまりありません」
「ようしレイ。勝負だ」
勝負だって…… いま、無いって言ったばっかりだろ。レイはそう思いながらも、実践経験がつめることを嬉しく思った。前任の班長シーネスは面倒見の良い人格者だったが、あまり実践的な試合とかは行わなかったのだ。それにストラスブルに鍛え上げられた体が勝負と聞いてうずうずしていた。
「決闘において剣での決着がつかない時、組み合ってレスリングになることが多い。これで生死が決まることもあるからな」
そう言ってディックは身構えた。レイより背も高い分リーチも長い。レイはわずかばかりの知識しか持ってなかったが、呼吸を整え身構えたあと、素早くディックの懐に入り込み組み合った。お互いに相手の肩と腕をグリップし力を試す。ギシギシと音が出そうなほど、その力を込めた。
「さすがに早ええし力もつええ。いいねー」
と言ってディックも真っ赤な顔をして組み合った。
レイはさらに力を込め押し倒そうとしたが、ディックが頭を抱え込むようなヘッドプルをしけけてきたのでバランスを崩してしまった。ヘッドプルには、かろうじて抵抗したものの 次の瞬間、膝を取られ気づいた時には仰向けに転ばされていた。
「どうだ。俺の方が強ええ!」
ディックはレイを見下ろしすと満足げにそう言った。
レイはそんな言葉気にせず、すぐに立ち上がると再び組みに行った。それから、何十回と転ばされたが、だんだんレスリングの要領をつかむことができてきた。
「レイ、力だけでいってもダメだ。相手の重心を崩してから力を入れろ。こうやって、相手の重心を後ろに引かせた状態で、膝を抱えたまま体をおこし肩を押し回転させる」
ドスンと音を立てレイはまた激しく倒れた。
「相手のバランスをいかに崩すかだ」息を切らしながらディックが言う。「よし、次はリアヒップテイクダウンをおしえてやる」
どちらも「やめる」と言わないまま、二人の格闘は延々と続いた。転ばされた回数もわからなくなったころ、レイはディックといい勝負ができるようになっていた。1回も勝たしてはもらえなかったが…… ディックはいろいろ言いながらも実践に基づく指導を的確に行い続けた。
「まだまだだレイ。明日はもっと複雑な技を教えてやる」
「……は、はい」
二人はヨロヨロと広場の地面に横たわった。
弱い夕日に照らされた広場は急に気温が下がり、身を削るような風が吹いたが、体から白い湯気を立ち上らせていた二人には気持ちがよかった。レイは久々に、持てる全ての力を出し尽くしたことに満足して、しばらく寝転んだまま暗くなる空を眺めていた。