我が家のコトエ日記【短編】
段ボール特有の匂い。五月の夜特有のまだ少し肌寒い風が吹き抜ける中。ただ神がそこにいた。
玄関の前に立ち尽くす。なにやら外からドンと物音がした、そう思って開けた扉。そこには月明かりに照らされた大きな段ボールがあった。正面の段ボールにデカデカと手書きされた「タンゲコトエ」の文字。
私の腰くらいあるだろうか、引越しの時にすら見なかったようなどでかい段ボールが玄関の前でこれでもかと主張していた。辺りを見渡しても配達者は見当たらない。段ボールを調べてもあるのはタンゲコトエの文字だけ。送り主すら書かれていない。
いや、送り主の心当たりはある、いやでもまさか。
え、これがタンゲコトエなの?買ったのに何故かダウンロードとかないから変だなって思ってたところだけど。ボイスとは何か。同人ゲームのパッケージだけ年々大きく、豪華になってるみたいな、ボイスにもそういうのがあるのか。いやいや、買ったのついさっきだし、今の時代そんなアナログなわけないか。
段ボールと見合ってどれだけ経っただろうか。突然、ズバンと段ボールの口を突き破り一人の、いや一柱が姿を表す。その物音に思わず尻餅をついた私を見下ろすその姿は、それはそれは神々しいもので、視線も、声も、心すらも奪われていた。
「まろはタンゲコトエじゃよ!」
満面の笑みで放たれた言葉は沈黙した夜空に響く。昼間の暖かい空のように淡い水色がかった白く綺麗な長髪。ゆらゆらと左右にゆっくり揺れる大きな尻尾。ぴこぴこと揺れている二つの狐のような耳。なぜか後頭部に纏められた髪を貫く一本の矢。白い眉に、吸い込まれそうなほど美しく透明な紅、蒼色の二つの瞳。巫女か、神主か、そういった神社を思わせる白い装束。いそいそと段ボールから抜け出てくるのを横目に言葉にならない叫びが静かな夜を切り裂く。
寝不足のときにくる独特な吐き気の気持ち悪さと、ジーンと脳を蝕む頭痛に目が覚める。二日酔いのような気持ち悪さはない。この頭痛は昨夜の管理人さんの説教からだろうか。いや…
ふと優しい日向のような匂いが鼻腔をくすぐり、思わず頬が緩む。私を抱き枕のように後ろから抱きしめて、すやすやと寝息をたてるコトエ様。あまりにも整ったご尊顔の近さに思わず顔が赤らみ、顔を逸らす。改めて、どうしてコトエ様が我が家にいるのか。頭痛と格闘しながら、徐々に覚醒していく脳で昨晩の自分を思い出す。確かに、酔った勢いか興味本位かどちらが先か覚えていないが、少なくとも購入したのは覚えている。しかし、買ったのはあくまでボイスだったはず。
眠っていた脳が働き出し、記憶が段々具体的になっていく。
そうだ。動画とか作りたいわけじゃないけど、なにか、楽しいことが出来たらなんて軽い気持ちで購入した。そしたら、何故か玄関にタンゲコトエが届いていた。
視界の隅に放り捨てられたかのように転がっているタンゲコトエの文字が書かれた段ボールがあるのを確認する。
ふむ。考えてみても意味が分からん。
疑問を解消するべく、かろうじて動かせた手でスマホを探り、SNSを開く。眩い光に思わず目を細めながら手馴れた手つきで呟く。
『我が家にタンゲコトエ来たんだけど』
『→ようこそこちら側へ』
『→いつかは買うだろうって思ってたw』
『→おめおめ』
『→どうなん?やっぱ俺も買おうかな?』
『→動画でも作るの?なんだったら、教えようか?』
いつも通りのTwitterだった。結局、特に情報は得られなかった。こうなれば、琴絵様に直接ご相談…
「どうした?まろになにか聞きたいことでもあるのか?」
後ろからくたっとした眠たそうな声がかかる。ふわぁぁと大きく欠伸をし、私を解放するとむくりと起き上がる。ぐぐぐっと天井に伸びをすると、とろんとした眼が同じように起き上がった私を見つめる。
「あー、おはようございます…」
「ん。おはよ」
「あっ、えーっと、どうしてこんな私の家に?」
「えっ??お主がまろを呼んだんじゃろ?そりゃ、来ないわけなかろう。それとも…まろ要らない??」
後半、猫撫で声というか、甘ったるい声で小首を傾げる。
なるほど。これ以上の質問は無駄か。いやしかし、私がおかしいのか。
「そんな、とんでもないです!」
「じゃよな?良かった良かった。それじゃ、改めて。まろはタンゲコトエじゃよ!」
カーテンから漏れる光が後光のように仁王立ちするコトエ様を照らす中、ぐぐぅという音がコトエ様のお腹から聞こえた。
もうすぐお昼時。私たちの頭上で太陽がさんさんと輝く時間。
くんくんと鼻を動かし、嬉しそうに耳がうごいている。
「懐かしい香り。やはり、都には独特の香りがするな。いや、今はもう旧都なのじゃったか。京の都も変わるものなのじゃな」
目を細め、辺りを見渡すコトエ様。隣を歩く私も同じように匂いを嗅ごうとする。
「そんなに違うものですか?どこも似たようなものだと思うのですが」
「違う。香りも雰囲気も。何より一番違うのは…いや、さっきから誰かに見られているような気がしてな」
「そりゃあだって…」
そこまで言った私は次の言葉を探すと同時に、視線がコトエ様を頭の先とつま先を往復する。
白狐らしい耳や尻尾、謎の矢や装束は化けたかなんだかで人間らしく変わっていた。しかし、その双眼や髪の毛の色は元のまま。
「人の視線だって集めますよ」
「人に見られるのにはそれなりに慣れとるからそこまで気にはならんはずなんじゃし、まろ神じゃからある程度気配薄くしたり、違和感ないようにしとるんじゃが…」
ならなんだというのだ。神でも見ているというのか。いやまぁ、京都だし。妖か神なんかが他の神を見守るという話も無くはないのだろうか。
「…まぁ良い。まずはお昼にせんとな。ふむ。お主の好きな場所に連れて行ってくれるか?」
その言葉に堪らず足を止める。
私は普段必要以上外に出ない。休日なんかは家でゴロゴロするタイプ。そんな私のよく行く場所なんて某ファーストフード店くらい。とてもコトエ様に案内できるような場所は思いつかない。せっかくの京都なんだし、京都ならではの場所とか連れて行きたいと思うけれども…
「まぁ、歩いてたら良いところ見つかるじゃろ。都とはそういうものじゃ。何かしらあるじゃろ」
困り果てた私の様子を察してくれたのか、はたまた気まぐれかコトエ様は私の手を引いて歩き出す。
ぶらぶらと一人と一柱は歩く。
「えっと、都だった京都を知っているんですよね?結局、琴絵様はいつ頃から眠られていたのですか?」
「んなもん覚えとらんよ。お主だってそうじゃろ?昨日何時に寝たとか、今日何時に起きたとか、毎回明確に意識してないじゃろ?」
再び昨晩を思い出す。
コトエ様が来たのは…23時は回ってたっけ?日は跨いでなかったはず。その後なんだかんだ怒られたり、寝る支度して疲れ果てて寝た。時計を見た記憶はない。
確かに、何時に寝たか分からない。
「言われてみれば、そうですね」
「そもそも、琴絵様とまろは違う存在なんじゃよ?あくまでまろは分霊で、記憶もほとんどまろは持っとらんのよ。まぁ、ただ覚えてないだけかもしらんが」
コトエ様は自慢げにそう語る。本霊と分霊。コトエ様が違うというのだから違うのだろうけれど、実際似ているところは多い。どこが違うと言われてもよく分からない。今目の前にいる、私と出会ったコトエ様は他の家にいるタンゲコトエとは経験とか繋がりによって違う性格になってたりするのかなぁ、なんて考えてたらコトエ様がピタリと足を止めた。
「良い香りだな。そうだな。昼、ここにせんか?」
暖簾を潜った先。独特の脂っぽさを含んだ香りが充満する店内。蒸されているかのような、むっとする空気が肌を舐める。昼のピークとズレたのか、人がぽつりぽつりとだけいる。
目の前にある特有のラーメンの香りに思わず涎が垂れそうになる。酒粕ラーメン。噂には聞いたことがあった。有名なラーメン店が近くにあると。だが、入ったことは無い。私が行くような場所じゃないだろうし、目の前に運ばれてきた今でも場違い感が否めない。
「どうした?食べんのか?」
「あぁ!いえ、少し考え事を」
コトエ様はその言葉を聞くと、啜るのを止めていた手を再び動かす。ひと口ひと口満面の笑みで美味しそうに食べる様子は見ていて飽きない。琴絵様はなんでも食べるのが好きそうだったけど、コトエ様もやはり似ているのだろうか。
首振るようにして、また考え込みそうになるのを抑える。これ以上心配されるのも面倒である。
ようやくお箸を手に取りゆっくり啜る。
なんだこれは。酒粕は正直苦手だった。冬場なんかに食卓に並ぶ粕汁は嫌いだったし、大抵口に付けずに残すタイプだった。しかし、何故こんなにこのラーメンはしっくりくるのだろうか。じわりと体の芯が暖かくなっていくのを感じる。また一口。もう一口と手がどんどん進む。メンマやチャーシューといった具材も口直しにちょうど良く、全く食べ飽きない。
だらだらと汗をかき、食べる前と別人のようにラーメンを掻き込むように完食する。美味しかった。
ふぅ、と息を吐き冷水を口に含むと先に食べ終わっていたコトエ様がニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「…なんですか」
「あまりにも美味しそうに食べるのでな。つい見ておっただけじゃ」
コトエ様に言われたくはないなぁと内心ボヤきながらも、またこのお店に来て食べたいと思っていた。一人じゃこんなお店絶対に入らなかっただろうに。
「しかし、こんなので良かったのですか?ラーメンって、別に珍しいものでは無いでしょう?」
「別にまろは昼を食べに行こうと言っただけじゃよ?確かに熊本でもラーメンは食べれるが、酒粕ラーメンはそう出会えるものではないからな。それに、どこにでもあるような食べ物でもその土地の個性があり、その土地で食べるからこそ美味かったりするんじゃよ」
にひひと笑い、そろそろ出ようと席から立ち上がるのだった。
ラーメンを食べた後も近くをコトエ様に振り回されながら散策したり、久しぶりに服や書籍なんかを見たり、少し買い物をしたりと楽しいひと時を過ごし、早くも陽が傾き始めた頃。一人と一柱は二人並んで帰路を歩く。
今日一日を思い返す。コトエ様と出会い、ラーメンを啜り、一緒に歩き。改めて、不思議な一日だったなぁとしみじみと感じる。それと同時に大きなため息が口から漏れる。
それを聞いてか、コトエ様は立ち止まり、私を覗き込むように見つめてくる。
「どうした?」
「いえ、その。私らしくない一日だったなぁと思いまして」
「嫌だったか?」
思わず、どきっと胸が跳ねる。嫌、ではなかった。こんな楽しい休日は初めてだった。けど。なにかに恐れている、そんな怖さが私の中にあった。
「そういう、わけではないのですが」
「変わりたいから、お主はまろを呼んだのではないのか?」
ハッとして顔をあげる。と同時にコトエ様に引き寄せられ、抱擁される。体をあの日向のような匂いが包み、顔に柔らかいものが当たる。懐かしいような、実家のような安心感が私の心を解す。体から無駄な力が抜け、コトエ様に身を任せる。
「お主自信を、その生活を、その日常を変えたいからまろを呼んだ、だからまろはお主の元に来たのじゃよ?」
優しく頭を撫でられ、堪らず頬を涙が伝う。そうだ。私は変わりたいから、コトエ様を…
「散ればこそ。浮き世に変わらないものなんてない。変わるからこそ美しいのじゃよ」
そう囁くとゆっくりと抱擁を解く。
「淡く儚い人の命。楽しまなきゃ損じゃろ?!」
にはは、そう高らかに笑い、ゆっくりとまた歩き出した。
もうすぐ家につく、そんな時にコトエ様がなにかに引かれるように私の手を引っ張り家とは違う方へ歩き始めた。どこへ、と問おうとしたが見たこともないほど凛々しい顔をして前を見据えるコトエ様に口を紡ぐ。少し歩いた時、恐らく目的地らしきものが見え納得する。それは最寄りの神社。正月なんかに私がよくお世話になる神社。
色が剥げて木の燻んだ焦茶色が見える鳥居の前で一礼し、コトエ様と一緒に潜る。石畳の真ん中を歩くコトエ様は、こちらの背筋まですっと伸びるほどにぴりりとした緊張感を感じさせる。いつの間にか、コトエ様は人に化けるのを辞め、いつもの狐っぽい姿に変わっていた。普段通り手水舎で手を洗う私をよそに、コトエ様は私を置いてズンズンと進んでいく。私が追いつく頃には、コトエ様は拝殿でじっと頭を下げていた。その隣に並ぶと小財布から小銭を取り出し、お賽銭を投げ入れコトエ様を真似するようにお詣りする。
参拝し終わり鳥居から抜けると、お互い一仕事したかのようにふぅと息を吐く。緊張の糸が切れたせいかお互い饒舌に話し込む。
「うぅ、めちゃめちゃ緊張した。じゃが、今後この地に根付き、世話になるというのならちゃんと挨拶はせねばならんよな」
「え、コトエ様京都の神社全部詣る気でいるの?」
「全部は…嫌じゃ。じゃが、お主の家の近くくらいはな。お主ら人の子も引越ししたら挨拶くらいするじゃろ?」
「まぁ、しますけど」
小首を傾げるコトエ様。
「何か問題があるのか?」
「いえ…少し歩いたところにおいなりさんがあるんですよね。白狐の神様であるコトエ様って…」
「おいなり、さん?おいなり…おいなり…いなり…へ?稲荷?」
コトエ様の全身の毛が一瞬ぶわっと膨らみ、辺りを見回す。横に揺れていた尻尾がキュッと足に張り付いており、徐々に顔が青ざめ、あわあわと慌て出した。
「え、え、え?無理じゃ。無理じゃって!!恐れ多すぎる!そんな…琴絵しゃま助けてぇっ!」
涙目で私にしがみつくコトエ様。ふとその温かさを感じ、思わず上を見上げ、徐々に滲んでいく赤い空をじっと見つめる。
私の明日が驚くくらい明るく変わっていくことを肌に感じた。
どうも。ヒラメです。今回丹下琴絵生誕祭に参加させていただきました。
二次創作というものに携わるのが初めての試みでした。なかなか大変で、自分の不甲斐なさを実感しました。
舞台は京都にしよう、というのは早々に決まったものの自分の無知を知り、ロケハンする時間もなく。想像以上に短く、浅い、抽象的な作品になってしまったなと感じます。とはいえ、書き始めてから数日でここまで持って行けたのは自分で褒めたいと思います。
色々内容について語りたい気持ちはありますが、生誕祭に参加する経緯について。
奉納祭なるものがあり、盛り上がっている中私も参加したいと思ったものの、動画作成は苦手。あくまで動画のみという奉納祭には参加できない。貧乏なもので、メンバー、なんならタンゲコトエすら買えてない私ですが、小説でなら応援できると今作を作成しました。いや、タンゲコトエは買えって話なんですが。
最後になりましたが、このような機会を作ってくださったり、投稿するにあたり許可を下さいました丹下琴絵様、及びその関係者の方々に感謝いたします。
ではまた何処かでお会いしましょう。