17~18話
17
翌日、シルバは夜間警護だったが、敵の地球からの飛来はなかった。早朝に寮に戻り、リィファに軽く挨拶を交わして、睡眠を取った。
起床は午後一時に近かった。起きるなりシルバは着替えを始める。
「ずっと一人にしといて悪かったな。俺が寝てる間、何をしてた?」
カポエィラ用の上着を腕に通しながらシルバは話題を提供した。できるだけ優しく聞こえるように、気をつけたつもりだった。
リィファは小さく、どこか寂しげな笑みを浮かべた。
「ジュリアさんが貸してくれた本を読んでました。わたしなりに楽しく過ごしてましたので、大丈夫ですよ。気にしないでください」
(知らない場所で目覚めて、年上の男と同居。燥ぎ屋のジュリアでもない限り、すぐには慣れねえよな。ゆっくりやってくか)
おどおどした小声を耳にしながら、シルバは決意を再確認をしていた。
ほとんど会話のない昼食の後、二人は昨日の丘に向かった。昼の丘は日の光に満ちており、遠くの山々は美しく、雄大な自然を感じさせる。
準備運動が終了した。シルバは立位でジュリアと向き合い、両目をじっと見据える。
「八卦掌の要は、敵の死角を突く足捌き。門外漢なりの分析だが、どう思う?」
平静に尋ねると、リィファは後ろ手を組んだ。背筋は伸び切っており、シルバを見返す視線には熱が込められていた。
「八卦掌の歩法には、爪先を内に向ける扣歩と外に向ける擺歩があって、相手の背面への移動に使われます。どっちもとっても重要ですので、先生の言う通りだと思います」
訊いてもいない内容を、リィファは必死げにはきはきと説明した。
(やる気は『買い』だな)と、シルバはひそかに納得する。
「ありがとう。そこで、だ。正確に速く歩くには、安定した身体の制御が大事になってくる。だから初めに鍛えていく。俺の真似をして、手を広げて片足立ちになれ」
すっと言葉を切り、シルバは右足一本で立った。伸ばした両手は、肩の高さに持っていっていた。
「はい! 先生」
びしっとした即答の後に、リィファも同じ体勢になった。ふらつかずに綺麗な姿勢を保っている。
「両目を閉じて、立ち続けろ。できるだけ長くな」
シルバが端的に命じると、リィファは閉眼した。上半身がぐらつくが、地面上の右足を細かく動かしてなんとか片足立ちを保っている。きゅっと引き結んだ口からは、本気がひしひしと伝わってきた。
(真面目で素直、か。もう二、三個は上の、妙にかっこつけたがる年頃じゃこうはいかないよな。ジュリアにリィファ。つくづく俺の周りには、見習うべき年下がいる)
以後もシルバは、バランス訓練を課していった。リィファは終始、真剣に行っていた。
18
鍛錬は、午後四時に終わった。二人はその足で役所に向かい、武闘会への参加手続きをした。
シルバの予想通り、やる気の全然なさげな職員はリィファの事情を尋ねず、通り一遍の説明をするだけだった。入校の時期に関しては、武闘会後になるという話だった。
役所を辞した二人は、帰途に就いた。一度、通って道がわかったのか、リィファはシルバの右斜め前を行っていた。右足、左足、左足、右足の順で擺歩、扣歩を繰り返し、半円状にくるくると身体を回しながら。
リィファが左を向いた時、シルバは顔を眺めた。幼い印象だが集中で澄んだ表情をしていた。
(常に訓練を意識、か。良いじゃねえか。すぐ試したがる辺りは子供っぽいが、純粋なのは長所だな)
リィファの動きを注視しつつ、シルバは思索をしていた。
五秒ほど歩いていると、びりっとリィファの足下から小さく音がした。リィファは、「あっ」と口を開いてしゃがんだ。
「すみません、シルバ先生。わたし、靴を壊しちゃいました。ジュリアさんが、せっかく貸してくれたのに。どうしましょう」
申し訳なさそうに告白したリィファは、悲しげにシルバを見上げてくる。
(初めて名前を呼ばれたな。ちょっとは信頼されてんのか?)
シルバは、リィファの靴に視線を落とした。小さな茶色の革靴は、内側の先の部分が僅かに破れていた。
「死にそうな顔をすんな。ジュリアはアバウトだから、直して返せば許してくれる。……いや、違うな。『ごめんね、すぐ破れちゃう靴なんか貸しちゃって。怪我はなかった?』っつって、逆にお節介を焼かれると見た。変なところで気を揉むからな」
シルバが冷静に予想を告げると、リィファは納得するかのように小さく微笑んだ。
「シルバ先生とジュリアさんって、本当に仲良しですよね。こないだ出掛けた時もジュリアさんは、ずうっと先生の話をしてましたし。なんか羨ましいです。深い絆を感じて」
優しげなリィファの指摘に、シルバは意表を突かれた思いだった。
「六年以上の付き合いだからな。仲が良いかは知らんが、ジュリアについちゃあ色々理解してるつもりだよ」
苦し紛れに返事をする。だが、リィファは訳知り顔でシルバを暖かく見詰め続けている。
「靴屋に持ってって修理してもらおう。ちょうど職人街は、帰り道にあるから」むず痒い思いを抱きながら、シルバはリィファを追い越した。