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15~16話

       15


 二日後の午後六時過ぎ、授業とカポエィラの指導を終えたシルバは寮に帰った。廊下を通り抜けて、自室の扉を開く。

 余りの二人用の部屋を充てがわれていたため、両奥には古びた木製ベッドが二つ並んでいる。仕事用の木の机と小さな箪笥以外には目立った物はなかった。

 壁と天井は面が滑らかで、薄黄色や薄緑などの班になっていた。床には、赤茶色の地に花や葉の柄の付いた絨毯が一面に敷かれている。

 全体的に、薄暗い印象の部屋である。

 左方にある小窓を拭いていたリィファが、シルバに遠慮深げな顔を向けた。

「……お帰りなさい。窓拭き、わたしなりにしてみました。これでどうですか」

 控えめな、怯えているとも取れる話し方だった。

 シルバはろくに窓も見ず、「ありがとう、助かった。問題ねえよ。もう上がってくれ」と角が立たないように注意して答える。十二、三の女子に無茶な労働をさせるつもりはなかった。

 荷物を置いたシルバは机に着いて、仕事の日報を書き始めた。

 視界の端では、リィファがベッドにちょこんと座っていた。ジュリアから借りた子供向けの小説を、胸の前で持って読んでいる。

 日報を終えたシルバは、羽ペンを置いた。リィファに話し掛けようと面を上げるが、なんとなく話しづらくやがて元に戻った。

(どうも会話がねえな。ジュリアなら向こうから勝手にぺちゃくちゃ喋ってきて、話が続くんだが。他の奴らは、どうしてるんだ? 性格が合う生徒とばかりじゃないってのに)

 シルバが悩んでいると、扉がばたんと開いた。

「リーィファちゃん!」と、歌うような大声とともにジュリアが入ってきた。リィファへ向ける目は力強く輝いている。

「ジュリアさん、嬉しい! 今日も来てくれたんだ」

 起立したリィファは、ジュリアと視線を合わせた。高めの声は、僅かながらも弾んでいた。

 リィファはジュリアとは打ち解けていて、昨日も放課後に二人で出掛けていた。シルバは密かに、ジュリアの社交性の高さを羨んでいた。

 突然ジュリアは、むっとした面持ちになった。

「まーた『さん』付けをしたよね。うーん水くさい! 水くさいったらありゃしないよ、リィファちゃん。なーんか距離を置かれてるみたいでやだなー。お互いのハート、ぴたっと密着させていこーよ」

 不満げなジュリアに、リィファは決意を感じる眼差しを向けた。

「わかった。ぴたっと密着、だね。わたし、頑張るよ。ほんとに今日はありがとう。これから何をしよう?」

 軽い問い掛けを受けて、ジュリアは笑窪を作った。

「リィファちゃん、そろそろ身体の調子は良くなった?」

「お陰様で、もう全然大丈夫だよ」リィファは穏やかに微笑み、深い感謝を感じさせる口調で答えた。

「ならさ、ならさ、あれをやってよ。センセーとバトってた時の、ちょっと変わった格闘技。あたし、ずーっと気になっててさ。夜もお目々ぱっちりだったんだよ」

 前のめりなジュリアだったが、ふっと真顔になる。

「もしかして、あの時も勝手に身体が動いてた? だったら覚えてるわけがないか。ざーんねん」

 がっかりするジュリアに、リィファは笑顔を向けた。初めて見る企むような表情に、シルバは小さく驚く。

「安心してジュリアちゃん。あの拳法はね。なんでか、身体に染み付いてるの。今からして見せるよ。二人とも外に出よう」

 強く誘ったリィファは、早足で扉に歩き始めた。


       16


 シルバは寮のすぐ裏の小高い丘を、披露の場所に決定した。

 一分ほどで登り切り、シルバたちは足を止めた。あたりはほぼ真っ暗で、強い風がざわざわと草原を揺らしている。眼下に目を遣ると、四方に点在する家々から微かな灯りが漏れてきていた。

「そんじゃあ、リィファちゃん。お願いします!」ジュリアが、さっぱりとした口振りでリィファに話し掛けた。

 リィファはゆっくりと二人から離れて、力感のない直立姿勢を取った。

「では、行きます。八卦散手掌」

 張り詰めた風に宣言して、肘を曲げた両手を、高さを揃えずに体の前に据えた。掌はシルバとの戦闘時と同じ、手刀を軽く丸めた形だ。

 探るような足取りで円形の軌道上を歩き始めた。半周したところで右、左。鋭く手を突き出す。

 かくりと方向転換。右手が上、左手が下の縦の構えを取った。左手を外に払い、同時に左足で蹴りを入れる。

 シルバたちが息を呑む中、リィファは演武を続けた。静かな迫力が身体を纏っており、手や足が出されるたびに、しゅんっと空気を切る音がしていた。

 リィファの所作には緩急があり、手は時折、様々な軌道で、滑らかな螺旋を描いた。

 リズミカルで畳み掛けるようなカポエィラとは異なる、質実剛健で巧妙かつ神秘的な動きだった。

 斜め上方に右手を突いて、時計回りにするりと身体を回す。数歩、円上を歩いた後に、そっと手足を前に出した。

 開始時と同じ体勢で、ぴたりと静止する。

「すごいすごい! しゅばっ! びしばし! って感じで。そんでも、ゆったりにも思えて! んー、悔しい! うまく言えないなぁ! まあ、いいや! とにかくすごい! カッコいいよ、リィファちゃん!」

 興奮状態のジュリアは、ぱちぱちと限界速度で一人、拍手を続けている。

 構えを解いたリィファは、晴れ晴れとした顔をジュリアに向けた。

「する前は緊張したけど、始めるとすーっと落ち着けて。自然に身体が動かせた気がして楽しかった。見てくれてどうもありがとう」

 少し昂ぶった台詞の後に、リィファはおしとやかに両手を前に組み深々と礼をした。

「八卦散手掌。つまり、さっきの格闘技の名前は、八卦掌か。相当に練習しないとできない演武だよな。どこで身に付けたかも覚えてないのか?」

 感嘆するシルバは、まだ頭を下げているリィファに柔らかく訊いた。

 身体を起こしたリィファは、沈んだ面持ちだった。

「技の知識と立ち回りだけがなぜか頭にあります。それ以外は、何も……。八卦掌が、どう生まれてどう伝わってきたかも、全くわからないんです」

 リィファが静かに嘆くと、沈黙が訪れた。やがて「そうだ!」と、ジュリアがぱんっと両手を合わせた。

「再来週に、十二歳以下しか出られない少年少女武闘会があるじゃんか! あたしも出るんだけど、リィファちゃんも出場しなよ! ばんばん勝ち抜いていっぱい試合をしてけば、ぜーったい、八卦掌を知ってる人が出てくるよ!」

 ジュリアは活発に捲し立てた。リィファに近づき、ぎゅっと両手で両手を握る。

「それと優勝して、堂々と話せばいーよ! 『地球から来たリィファです。今度アストーリ校に入ります! 皆さん、これからよろしくお願いしまーす』ってさ!

 みんな、『おおっ! それ見たことか! あの子、超かっこかわいいじゃん!』ってなって、最高のアストーリ・デビューになるよ! あたしたちも、ばっちりお助けしちゃうから! ね? そうしよ!」

 ぶんぶんと上下に両手を振り回しながら、ジュリアは喚いた。

 リィファの瞳は、ジュリアに劣らない煌きを帯び始める。

「武闘会があるんだ! わたし、出たい! えへへ、ジュリアちゃん冴えてる! ナイスアイデア!」

 リィファの声は高く、芯が通っていた。手を掴んだまま、ジュリアはシルバに向き直った。

「センセー! ここは、センセーのセンセー・パワーの発揮しどこだよね! リィファちゃんも鍛えたげてよ! 教え子二人が、鮮やかにワンツー・フィニッシュ! 教師ミョーリ(冥利)に尽きまくっちゃうでしょ!」

 二人から熱い視線が飛んできた。一呼吸を置いて、シルバは重々しく話し始める。

「わかった。二人とも、訓練してやる。けど馴れ合いはなしだ。一回でも手を抜いたら、即刻、練習は取り止める。肝に命じとけ」

 言葉を終えないうちに、ジュリアは「やった!」と、飛び跳ね始めた。

(俺の思惑の外で、事態がどんどん展開してくな。まあ良い機会だ。こいつらの成長にも繋がりそうだし、悪い流れじゃねえ。本気で教えてみるか)

 静かに決意をするシルバの視線の先では、ジュリアに引き摺られたリィファの身体が上下していた。

 整った両目は、嬉しそうに見開かれていた。


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