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月の庭の格闘家《ピエロ》  作者: 雪銀かいと@「演/媛もたけなわ!」電子コミックサイトで商業連載中
第二章 異変

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27/40

19~20話

       19


 聖堂の裏手の一際、広大な草地には、百以上の墓石が等間隔に並んでいた。納棺の儀の直後、多くの参列者たちが見守る中でジュリアは埋葬された。

 主教が安らかな語調で儀式を締め括ると、参列者たちはゆっくりと去り始めた。

 しかしトウゴは、依然としてジュリアの墓に目を落としていた。僅か後方に位置するシルバは、同様に黙り込んでいる。

「娘が死んだ。単純明快な事実なのに、どうもふわふわと現実感がない。果てしない悲しみを、遥か上から見下ろしている感じというか、な。起きた事件が、あまりにも突拍子もなかったからか。いや、ジュリアが自分より先に死ぬなんて、想像すらしてなかったからかな」

 背を向けたまま、トウゴは呟いた。口振りは平静にも拘わらず、シルバの耳にはとてつもなく重く響いた。僅かに風が吹き、墓石の間の緑が揺れる。

「大事な人を救おうとして、命を落とす。ジュリアにとっちゃあ、理想の生涯の閉じ方だったのかもな。でもこんなに若い、いや幼いうちに……。死ぬことなんて……」

「申し訳ありません。何をどう償えばいいか。……俺がもっと強ければ、ジュリアが俺を助ける展開にはならなかった。もしくはもっと厳しく言い聞かせて、俺がどうなろうともジュリアには逃げるようにしてれば。くそっ! 俺は……。俺は自分の弱さが……。弱さと判断の悪さが憎い!」

 沈鬱な気持ちのシルバは、地面に目を落とした。

「いいや、シルバ君には責任がないさ。もうやめてくれ。娘が死ぬだけで辛いのに、君までそんなに塞ぎ込んではもう俺はどうしていいのかわからないよ」

 トウゴの淡々とした嘆きは、薄寒い大気に溶けていった。シルバはトウゴの言葉の一つ一つを反芻し、未来永劫忘れまいと己に誓っていた。


       20


 石の城門のすぐ近くで、シルバは立っていた。身体はやけに軽く、強く跳躍すればそのまま巨月を脱出できそうな気さえする。

 視線の先には、赤のカポエィラのユニホームを纏ったジュリアがいた。表情からは何の感情も読み取れず、佇まいにはそこはかとない寂寥があった。

 すぐ近くから広がる森の木々の、葉が大きく揺れていた。にも拘わらず、辺りは完全な無音だった。

 ジュリアがおもむろに動き始めた。滑るようにシルバに接近してきて、ふわりと回転。半円状の蹴りを放った。

 シルバは反射的に、伏せるように回避。身体の上下を反転させて、右足の甲で蹴り上げた。ジュリアはブリッジで難なく躱す。

 何かに導かれるかのように、シルバはジュリアとのジョーゴを続けた。ジュリアの手並みは舞踏のようで、シルバは陶酔に近い一体感を得ていた。

 どれほど経っただろうか、ジンガの姿勢のジュリアがすうっと構えを解いた。シルバの後ろに、揺れない眼差しを向けている。

 シルバはとっさに振り返った。

 すると、透き通った白色のローブを纏う少女が、天空を見上げていた。リィファだった。直感的に、地球を見入っているのだとわかった。

「巨月の世界は彼らの箱庭。彼らとわたしたちは、創造主と被造物。それぞれの体を成すcarbonとsiliconeは、似て非なる物質。

 先の戦は、彼らのtest。わたしたちのmartialartsは、辛うじて及第点を得た。宿命の打破には、一縷の望みがある」

 流れるような声の直後に、周囲に漆黒の闇が訪れ始めた。

 気が付くとシルバは、円形闘技場の中央にいた。目の前の地面には黄土色の下り階段があった。一人分の幅で、先は全く見通せなかった。

 足を掛けた瞬間、シルバは目覚めた。頭上には、見慣れた自室の天井。ベッドの下には、昨日の納棺の儀で着た黒の礼服が脱ぎ捨てられている。

 シルバは素早く立ち上がり、身支度を整えた。一連の事象は夢だと知れた。だが、あまりにも生々しかった。

 早い足取りで、無人の廊下を通り抜けていく。時刻は午前七時。皆そろそろ、起き出す頃だった。

 ぎいっと音を立てて、扉を開いた。踊り場を抜けて、階段を下りる。草地を貫く道の向こうにリィファの姿があった。

「リィファ! 診療所を抜けてきたのか?」

 問い掛けは、図らずも詰問のようになった。

 泣きそうな表情で、リィファは駆け寄ってきた。組んだ両手をシルバの胸に当て、ひくひくとしゃくり上げ始める。

「ついさっき目覚めて、こっそり出てきました。……それよりもシルバ先生。お願いですから、正直に答えてください。ジュリアちゃん、昨日の事件で……。し……死んじゃったんですよね」

 潤んだ声音の質問に、シルバは目を剥いた。

「……リィファ、お前、何で知ってんだ。ここまで誰にも会わなかったんだろ。いったいどこで……」

 言葉が終わらないうちに、複数の足音が小さく聞こえ始めた。

 シルバが面を上げると、十人以上の者が二人を囲むように歩いてきていた。ジュリアと年の変わらない少女から背の曲がった老婆まで、あらゆる年代の者が責めるような顔をしていた。

 シルバが狼狽えていると、ぱんぱんと乾いた拍手が後ろから聞こえた。

「涙、涙の感動の再会、ってか。めでてぇこった。まあでも、空気は読まねえといけねえよな。そっちのガキと違って、シルバ君はもう大人なんだからよ」

 心底、くだらなさげな声に、シルバは左に視線を移した。

 広葉樹の直下、右手で松葉杖を突くラスターが、冷え切った目でシルバたちを睨んでいた。


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