11~12話
11
眼前のラスターは、構えた身体を前後に揺すっていた。眼光は鋭く、一分の隙も見当たらない
(知らない間に、嫌な間合いを取るようになりやがった。でかい態度は実力に裏打ちされてるってわけか)
警戒するシルバは、左側頭を目掛けて右足を振り上げた。上半身を引いて逃れたラスターは、即座に突進してくる。
読んでいたシルバはバランスを保ち、上げたままの膝を機敏に畳んだ。
鈍い音とともに、踵が右側頭にぶつかった。しかしラスターは頭を少し揺らしただけで、タックルを持続する。
シルバは目を見張った。とっさに足を下ろして、左膝を前に遣る。
膝がラスターの頭と衝突した。
完全に競り負けたシルバは、後ろに倒れた。マウント狙いのラスターと手や足でやり合い、なんとか横に転がって逃れる。
ごほっとシルバは咳き込んだ。若干、頭がふらつく感じもあった。
立ち上がったラスターは口角を上げ、嫌らしく笑った。
「当てが外れてびっくり仰天って面だな。あんなへなちょこキックでやられるほど柔じゃねえよ。俺はあの方の下で、ひたすら死ぬ思いで鍛えてたんだ。お前がいちゃいちゃ、ガキどもと遊んでる間になぁ」
首を回しながらのラスターの言葉は、脅すような調子だった。
(レスリング選手だけあって、首の強度が並外れてやがる。マウントを取られたら一発アウトだし、思わぬ難敵の登場か)
覚悟を固めたシルバは、身長ほどの歩幅で右足を前に出した。一回転し、ぐんっと左足をラスターの顔へと突き込む。
ラスターはまたしても、頭を後ろに遣って回避した。
すぐに姿勢を戻したシルバは、両手を斜め下に出した。ラスターの左膝をぐっと持ち全力で引っ張る。
ラスターは目に驚愕を浮かべたまま、地面に落ちていった。シルバは即座にラスターに飛び乗った。呻き声に構わず、折った膝を両横に置く。
シルバは躊躇なく、ガン、ガン。握り拳で、ラスターの顔面を殴打し始めた。ラスターは顔を歪めながら、ブリッジで逃れようとする。
だが、必死のシルバはどうにか押さえ込む。体重差の小ささも幸いしていた。
「……シルバ、てめえ。まさかのパウンドかよ。カポエィラ使いの誇りはどうした」
掠れた声が耳に届いた。シルバは殴打を止めずに、冷たく言葉を吐き出す。
「お前を転かした技はアハスタォンって名の、正真正銘、カポエィラの技術だ。まあ確かに、パウンドはカポエィラにはねえな。
だが俺は、ジュリアたちのためならどんな手だって使うんだよ。プライドでもなんでも捨ててな。よーく頭に叩き込んどけ」
言葉を切ったシルバは、連打を継続した。しばらくして、ラスターはがくりと首を折った。
演技を疑うシルバだったが、やがてラスターから身体を離した。
12
(気絶させちまったか。俺の出生について聞けなかったな。まあこれから先、どうにでもなるか)
小さな後悔を感じながら、シルバは立ち上がった。
ジュリアが晴れやかな表情で駆け寄ってきた。シルバに向ける瞳は強く輝いている。
「やった! 完全、カンペキ、大勝利! 止めのパンチは、かなーりえげつなかったけど! あと最後の決め台詞! 超うるっと来た! センセーの愛情、ごぞーろっぴに染み渡ったよ! お墓まで持ってっちゃうんで、そこんとこよろしく!」
「……今すぐ忘れてくれ」
元気一杯で親指を立てるジュリアに、シルバは小さく懇願した。
(俺としたことが、ハイになって本心を垂れ流しちまった)気恥ずかしさに、シルバはがりがりと頭を掻く。
にこにこし続けていたジュリアだったが、何かに気付いたようにはっとした。
「って、それより、リィファちゃんだよね。あたしは見てなかったんだけど、何で倒れて……」
「動くな」
ジュリアの困惑の言葉に、重々しい声が割り込んできた。
二人が振り向くと、厳格な佇まいの壮年の自警団員が群衆とシルバたちとの間に立っていた。
(夜勤警護を引き受ける時に会ったな。自警団団長、だったか)
直後、群衆の間から自警団員が続々と出てきた。あっという間に、シルバたちを囲む円が形成される。
「自警任務の妨害は、収監に当たる罪科だ。正当な理由がなければ連行するが、弁明の言はあるか」
微動だにしない団長は、粛々とした語調で問うてきた。他の自警団員は整然としている。
「先ほどの樹木の飛来事件で、ラスターは飛躍した論理を以て、犯人をリィファと決めつけました。自分が咎めたところ、二人の自警団員とともに襲い掛かってきたため、自己防衛の手段を採りました。以上が顛末です」
シルバが淡々と事実を告げると、団長は僅かに目を細めて黙り込んだ。
(俺の主張を吟味してやがる。「あの方」とか口にしてやがったが、さっきの騒動はラスター一派の独断専行で、団長は無関係なのか?)
団長から目を逸らさないまま、シルバは思考を巡らしていた。三秒ほどしてから、団長はおもむろに口を開いた。
「詳しく話を聞きたい。詰め所まで来てもらえるか。応じるかは任意だが」
団長の平静な言葉に、(まともに話を聞いてくれそうだな)と、シルバは少し安堵した。
だが返答をしないうちに、シルバの視界の隅にいくつもの小さな黒点が入ってきた。嫌な予感とともに、シルバは黒点群を注視し始めた。
怪訝な顔をした団長は、シルバと同じ方向に目を遣った。
二人に釣られて、他の者も空を見上げた。ざわめきの声が、しだいに辺りを包んでいく。
黒点群はだんだんと大きくなっていき、シュウッと大気を切り裂く音さえし始めた。群衆の何人かは慌てた様子で、どこかへと走り去っていく。
一つの黒い物体が、超高速で視野を横切った。次の瞬間、円形闘技場の直下で耳を劈く爆音が轟いた。
円形闘技場の一部ががらがらと崩れた。大多数の群衆が、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
シルバは落下地点に目を凝らす。土煙が舞う中、全身が黒の人間らしき者が悠々とした所作で歩いてきた。




