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月の庭の格闘家《ピエロ》  作者: 雪銀かいと@「演/媛もたけなわ!」電子コミックサイトで商業連載中
第一章 巨月《ラージムーン》のアストーリ

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10/40

19~20話

       19


 草地の間の道をしばらく行き、二人は三角屋根の家々がひしめき合う一帯に入った。家屋は一様に細長く、白に近い煉瓦製だった。

 時間は夕方で人通りが多く、落ち着いた賑わいを見せていた。はるか前方では大工が家の骨組み上で作業をしており、荒々しい声が響いてきていた。

 二階建ての宿屋を通り越して、シルバは靴屋の店先の勘定台で足を止めた。

 店の奥には靴を並べた棚や、木型や工具でいっぱいの作業机の姿があった。年季の入った木製の物が多く、風情が感じられた。

 気付いた店員が、小走りで勘定台に出てきた。眉が濃い茶髪の中年の男性だった。黄土色の作業着の袖を捲っており、両腕は太くて逞しかった。

「この子の靴が壊れたので、修理を頼めますか」シルバの言葉を受けて、リィファはいそいそと靴を脱いだ。けんけんで近づいてきて、両手で靴を店員に渡す。

 受け取った店員は、左手で靴を持って眺め回した。

「わかったよお嬢ちゃん。あっという間だから、まあ見てんだな」

 大らかに笑った店員は、腰の道具入れを漁った。糸と針を台に置き、指先の空いた右手用の手袋を填める。

 店員は慣れた手付きで、すいすいと靴を縫い始めた。十秒ほどで作業を終えて、とんっと靴を台の上に置いた。

「一丁上がり! こんぐらいなら、お代は要らんよ。その代わり次ん時も、うちの店をご贔屓に頼むぞ」

 威勢が良い店員に、リィファは「どうもありがとう」と気圧され気味に返した。

「おう!」と、店員は大声で返事をして、奥へと戻っていった。

 リィファのお辞儀の後に、「すみません」とシルバは低い声で続いた。靴を手に取って、リィファに渡す。

 小さな手で靴を持つリィファは眉を寄せて、修理箇所に目を凝らしている。

「すごい。完全完璧に元通りになってます。あの人、かなりの腕ですよね。元々才能があったのかしら」

 リィファの声は普段より低く、感服した様子だった。

「職人の連中は小さい内から弟子入りして、親方の元でずっと一つの技術を磨いていく。才能についちゃあ知らんが、素人から見たら手の届かない技量だよな」

 少し考え込んだリィファは、おもむろに口を開く。

「同じ仕事をずっと続けて、同じように毎日を暮らして。それでその先に、いったい何が待ってるんでしょう。職人さんを馬鹿にしたいんじゃあないんですけど、わたしには、よくわかりません」

「そうだな。……自分のやれる務めを果たして、日々の生活を続ける。そこに意味があるんだろ。俺もまだガキだから、知ったかぶりに過ぎんけどな」

 自嘲気味に結論を述べると、リィファはぴたりと静止した。シルバの言葉を自分の中で反芻するかのように、思い詰めた面持ちだった。

 リィファを置いていかないよう、シルバはゆっくりと歩き始めた。

「すみません。どうしても、行きたいところがあるんです。寄ってもらえませんか? 時間があれば、で構いませんから」

 リィファから小さくはあるが意志を秘めた声がして、シルバは歩みを止めた。


       20


 リィファの「行きたいところ」は、自らの落下現場だった。道を知るシルバがリィファを先導して向かった。

 リィファの背丈の二倍近くの門を抜けて、二人は敷地の外に出た。

 周囲の森は、十歩ほど先から始まっている。既に闇が訪れているために森の空気は厳かで、人間を寄せ付けないものがあった。

「ちょうどこの辺りだな。お前は銀一色の服装で地球から落ちてきて、八卦掌で俺たちを攻撃してきた――って、ぼんやりとは覚えてるんだったか」

 静かに告げたシルバは、隣に立つリィファに顔を向けた。リィファは、神妙な面持ちで頭上の地球を眺めている。

「やっぱり不安だよな。自分のルーツがわからないと」

 同情を籠めて呟くと、リィファは「はい」と、囁くような返事をした。

 シルバもゆっくりと空を見上げた。たくさんの星が、静謐な輝きを見せている。

「話してなかったが、俺は孤児だ。お前みたいに特殊な出自じゃないが、親が誰かははっきりしない」

 リィファはさっと振り向いた。シルバに向ける両目は、普段より僅かに見開かれている。

「でもみんな、同じなんだよ。自分がどこから来て、何のために存在するのかわからない。それでも生活を続けてって、周囲と関わり合って、年齢を重ねて。最後には死ぬ。その中で、生きてく意味を見出していく。そういうもんだ」

 二人は見詰め合ったまま動きを止めた。遠くから、梟の鳴く声が聞こえる。

「また知ったような口を聞いちまったか。どうも、雰囲気に中てられるな。さっきの台詞は忘れてくれ。人生講釈なら、もっと年上の人間から受けたほうが良い」

 視界の端で、リィファが薄く笑った気がした。

「うふふ。先生って謙虚なんですね。とってもためになりましたよ。それになんとなく、これからやっていけそうな気もしてきました。ジュリアさん風に言うと、『センセー・パワーの発揮』ってやつですね」

 穏やかな口振りのリィファから、茶化すかのような返答が来た。

「パワーうんぬんはともかく、元気が出たんなら良かった。これから色々あるが、俺もジュリア、トウゴさんも付いてる。まあどうにかなるだろ」

 シルバは、やや楽観を混ぜて答えた。

 寂しげな風の音が、耳に響いてくる。

「にしても、地球はどうなってるんだろな。人間はみんな、月に逃げて来たって話だが、あの単一色の服の連中はそこまでの脅威とは思えない。俺たちの予想も付かない何かが、地球に起こったのかもな」

 言葉を切ったが、リィファからは返事が来ない。

「それじゃあ、そろそろ……」と、シルバが帰宅を促そうとすると、「――あそこ」と、リィファは小声とともに指を差した。シルバが見遣ると、二十歩ほど離れた位置で、少女が天空を仰ぎ見ていた。


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