表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/40

1~2話

第一章 巨月(ラージムーン)のアストーリ


       1


 城壁を囲む深い森が、微かな葉音を立てた。

 アーチ状の石の城門の下、シルバはおもむろに夜空に目を遣った。遙か天上では無数の星が清らかに輝いており、悠久を強く感じさせた。

 ひときわ巨大で、深い青に朧げな白を纏う惑星。地球である。

(ったく、来るなら早く来いってぇの。雑魚と遊んでる暇は、一秒たりともないんだからよ)

 心の中で毒突いていると、地球の中心に小さな点が見えた。シルバは視線を逸らさないまま、組んだ両手首を回し始めた。

 接近する赤い点は加速度的に大きくなり、シルバの目にも全容が見えてきた。

 人型の物体だ。綺麗な起立の姿勢で、頭から飛来してきていた。

 ごうっ、と人型の物体は空気を切り裂いた。鈍い音を立てて、シルバの眼前の草地に頭をぶつける。

 物体は土煙の中、死んだかのように俯せで倒れ込んでいた。

 だがまもなく、ぎぎぎと両手がぎこちない動きを見せ始め、物体は手を突いてむくりと起き上がった。

 落下速度と地面の抉れを考えると、ありえない頑丈さだった。

 人型の物体は、ぴったりとした赤色の服を身に着けていた。継ぎ目は存在せず、手袋・靴下の白色と目の位置の黒色、胸の真ん中に宝石のような球体の水色が際立っていた。

(今日は赤でお出ましかよ。こないだは桃色だったが、つくづく子供のお絵描きみてえな色のセンスだ。こいつら案外、身体がでかいだけの幼児だったりしてな)

 シルバが憮然としていると、赤服はしゅばっと右足を前に出して軽く屈んだ。両手は手刀で、僅かに右が高い位置にある。

 小さく息を吐いて精神統一したシルバは、両足を開いて重心を前に置いた。右腕は、顔を庇う位置である。シルバの用いる格闘技、カポエィラの構えだった。

 赤服を見据えたシルバは、右手と左足を引いた。両足を三角形の軌道で動かしつつ、ガードの手を変えながら、ゆらゆらと赤服に近づいていく。カポエィラの基礎動作、ジンガだった。

 接近を許した赤服は、慌てた様子でハイ・キックを放った。

 シルバは右手を突いて、ぐっと上半身を左前に倒した。赤服のキックが空を切る。

 シルバは右手を起点に跳び、斜めに回転。踵落としを決める。

 肩に食らった赤服の姿勢は、がくりと下へと崩れた。すばやく立ち上がったシルバは、その場でスピン。勢いを付けて跳躍し、左、右と足の甲を赤服に見舞う。

 脇を蹴られた赤服の身体は、ぐんと飛んでいった。ジンガの体勢に戻ったシルバは、五歩ほどの距離の赤服を注視する。

 赤服は、頭から落ちていた。普通の人間であれば、大ダメージは免れない。

 しばらく倒れていた赤服だったが、やがて、すうっと立った。次の瞬間、初めと寸分も違わぬ構えを取る。

(相っ変わらず弱いくせに、信じられないぐらいしぶてえな。動作の妙な機敏さといい、薄気味が悪りいったらねえ)

 シルバは、どんっと地面を蹴って赤服に一気に近づいた。急停止の後に前蹴りを放つ。

 赤服の胸部にキックが入った。尻餅を搗くが、またしても平然と立ってくる。

 以降もシルバは、多彩な蹴りを次々と繰り出した。しかし、赤服にはダメージが行った様子はない。

 三分弱が経過して、ピコンピコンという高音とともに、赤服の胸の球体が赤く点滅を始めた。

 お構いなしのシルバは、高速の膝蹴り。鳩尾に受けた赤服は、二歩分ほど後ろに倒れた。間髪を入れずに追撃する。

 だが赤服は、唐突にふわりと浮いた。そのまま上昇を続けて、シルバの身長の倍ほどの高さへと至った。

(あれだけズタボロにしてやっても、逃げ回った時と同じオチ。つくづくくっだらねえ。サービス精神、皆無ってか。遣り甲斐も蹴り甲斐も、あったもんじゃねえな)

 腰に手を当てたシルバが、苛立ちを顔に出した。

 すると、転んだ体勢だった赤服の身体は、飛来時と同じ様になった。そのままごうっと天空の地球に向かって、音のような速度でまっすぐに飛び去っていった。


       2


 夜勤の警備を終えたシルバは、年季の入った木の門扉を抉じ開けた。十人は通れる幅の門を抜けて鍵を掛け、静まり返った町並みを行く。

 寮の自室で二時間の仮眠を取る。午前八時、目覚めたシルバは、昨日の残りの麦粥とスープを掻き込んだ。この手の簡易食を好んで食べているわけではないが、それだけ朝は慌ただしかった。

 シルバは眠気を振り払いながら、白の半袖シャツと、青のコルダォン(腰から膝下まで垂らした帯)の付いた白の長ズボンを着ていった。カポエィラのユニホームである。

 支度を終えたシルバは靴を履き、廊下へと出ていった。

 廊下は幅が広く、クリーム色の天井は身長の倍ほどの高さで美しいアーチを成している。

 壁は茶や焦げ茶のレンガでできており、爽やかな光が大きな窓から射し込んでいた。窓枠に施されている彫刻は、どれも緻密である。

 前方から、二人の男子生徒が親しげな雰囲気で話しながら歩いてきた。年齢は、十六、七あたりで、素朴な赤茶色のズボンと羽織りの上着を身に付けている。

「おはようございます、シルバ先生」

 二人はシルバに目もくれずに、気のない調子で挨拶をした。

「おう、おはよう」と小さく返事をした。

(軽く見過ぎつぅか、舐め過ぎだろ。年が割と近いから、わからんでもないけどよ。教師に向ける態度じゃねえよな)

 シルバは首を捻る。

 この星、巨月は、百五十年ほど前、地球の環境悪化に苦しむ人類が作り、移住してきた人口の星とされている。重力、気候、大きさなども地球と同じ。

 アストーリ国は、巨月に存在するたった一つの国とされていた。周囲には高々とした石の城壁があった。

 人種の概念はずっと昔に失われており、様々な容姿の人々が住んでいた。

 敷地内には一般人の住居などに加えて、唯一の学校であるアストーリ校の施設があった。

 国中の十二歳から十七歳が通うアストーリ校には、一般的な教養に加えて、地球時代の数少ない遺産である種々の格闘技も教えられていた。シルバはそこで教師をしていた。

 寮の建物を出たシルバは、扉に続く石の階段と踊り場を下りて道を歩き始めた。

 周囲の芝生には青々とした広葉樹が点々と生えており、寒さの残る風に揺れていた。

 生徒とすれ違いながら、五分ほど歩く。やがて、開けた草地に辿り着いて足を止めた。

 草地の周りには、三角屋根で煉瓦造りの建物が隙間なく並んでいた。染物屋、仕立て屋などの店先では、店員がきびきびと動いており、人々の生活の営みを感じさせる。

 草地の中央では二十人ほどの生徒が三列に並んで、賑々しく話し込んでいた。だがシルバに気付いた者が他をつついて、シルバが草地に入るころには、すっかり静かになっていた。

(つくづく十二、三のガキどもは、誰かに命令されてんのかってぐらい群れたがるよな。俺は絶対にああじゃなかった。子供のうちは鬱陶しいぐらい活発なほうが、あとあと良いのかもしんねえがよ)

 漠然と考えたシルバは草地の端から、「授業開始だ。いつも通りに広がれ」と、厳しく聞こえないように叫んだ。

「了解です! シルバ大センセー! あたし、全力で広がっちゃいます!」

 列の端から甲高い声がするや否や、一人の女子生徒が飛び出した。腕を大きく振って伸びやかに走っていく。

(まあ、こいつに関しちゃ、あらゆる意味で地に足を着けるべきだがな)

 言葉を失ったシルバが固まっていると、女子生徒は身体を横向きにして大きく踏み込んだ。両足を大きく開いた側転宙返りを決め、シルバに向き直った。 悪気を全く感じさせない、渾身の笑顔だった。

「センセー、どーぉ!? アウー・セン・マォン、うまくなったよね! センセー、夜勤って聞いたから、こりゃ負けてらんないなって思って、あたし、昨日、徹夜で練習したんだよ! もうさもうさ。達人級と言っても過言じゃないでしょ!」

 女子生徒の声は馬鹿でかく、生徒の中には耳を塞ぐ者までいた。負けじとシルバは声を大きくする。

「ああ、達人達人。ジュリア、お前は、やかましさの達人だ。だーれもお前には敵わねえよ。好きなだけ誇れ」

 ジュリアは前に出した両手を握り込んだ。抑揚を付けた「センセー、ひどーい」の後に、ぷくーっと頬を膨らます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ