第9話 謹慎
「カレン先生、お話があります」
ユーフェミアが保健室を出て行ってから数時間後。
放課後で生徒達もあらかた帰った頃、マクドゥーガル学院長が見知らぬ中年男性を伴い、保健室に入ってきた。
「なんですか? マクドゥーガル学院長」
そう尋ねながらも、二人の表情から嫌な予感がしていた。
学院長の後ろの中年男性が、私に荒々しい声をぶつけた。
「あんたがアメリア・カレンか? 校医のくせに、我がロクシー家の娘であるユーフェミアの財布を盗むとは、なんという恥知らずだ!」
「は?」
マクドゥーガル学院長が割って入った。
「ロクシー様、私からお話しします。カレン先生、今日ユーフェミアが保健室に来ましたね?」
学院長がロクシーと呼んだ中年男は、それではユーフェミア・ロクシーの養父だという侯爵か。恰幅の良い白髪混じりの男性で、私を苦々しげに見下している。
私は慎重に、学院長の質問に答えた。
「……ええ、頭痛がすると言って、少しだけ休んで行きました」
「その時にあなたに財布を盗まれたと、彼女が言っています」
「はあっ? ……すみません。でもそんな事絶対にありえません! ユーフェミアがここにいたのはほんの十分程度だし、彼女は一睡もしませんでした。それに私は彼女の財布なんて見た事もありません!」
憤慨してまくし立てる私を、学院長は一にらみで黙らせた。
「ともかく、保健室内を調べさせてもらいますよ。カレン先生は何も触らないように。ロクシー様はそこでご覧になっていてください」
「ああ、わかった。あんた達が隠蔽をしないように、しっかり見張らせてもらおう」
棚や引き出しを改めていく学院長を、私は怒りを押し殺しながら腕組みして、ただ眺めていた。
何も見つかるわけないと思うけど、嫌な予感は次第に膨らんでいく。
あのユーフェミアが、単に私への嫌がらせのためだけにそんな事を言い出すとは思えない。
という事はつまり……。
「……これでしょうか、ロクシー様」
学院長のその言葉を聞くと、私は頭から冷水を浴びせられたような気がした。
「ああ、それだ、その財布だ! 私が娘に買ってやった、オーダーメイドの最高級品だ!」
ロクシーは、学院長が私のデスクの引き出しから取り出したピンクの長財布を見ると、勝ち誇ったように叫んだ。
「見ろ、やはりこの女が盗んだんじゃないか! 学院長、すぐに警察をここへ!」
「……落ち着いてください、ロクシー様。今はテスト期間も間近ですし、警察沙汰になれば生徒達、ひいてはユーフェミアにも悪影響が及びます。ここは私に任せていただけませんか?」
「しかし……いや、わかった。あんたがそう言うなら任せよう。うちの娘に変な噂が立っても困る。だがその女については厳格に処分してほしい。なにしろ、名門貴族である我がロクシー家の者から金品を盗んだのだからな!」
「罪を犯した者に対しては、もちろん相応の処分をいたします」
学院長が重々しく答える。
青ざめて立ち尽くす私をにらみ付け、ロクシーは足音も荒く帰って行った。
「……学院長……」
マクドゥーガル学院長はいくつもの皺が刻まれた顔と、年齢により白濁した瞳を私に向けた。
この人はよく私が職員室に差し入れる野菜チップスが大好物だ。
差し入れるといつも無表情のまま真っ先にポリポリと食べ始め、特にカボチャのチップスがお気に入りでそれだけすぐに食べ尽くしてしまう。他の教師達は学院長に遠慮して、暗黙の了解でカボチャにだけは絶対に手を出さない。
そんな学院長だったけど、もちろん野菜チップスをくれる相手だからといって忖度するような人じゃない。
彼女は崖から突き落とすような非情さで言った。
「カレン先生。あなたの処分については追って連絡します。それまでは自宅で謹慎していてください」
「…………でも私は本当に、」
「荷物をまとめ、すぐに謹慎に入るように」
「……はい」
◇
馬車に乗り、私は自分の家に帰った。
カレン家の領地は遠い辺境の地にあるので、今私が住んでいるのは王都郊外の小さな家だ。そこに私と、侍女兼ハウスキーパーのレイチェルの二人だけで暮らしている。たまに父や兄が宮廷に用事があって王都に滞在する時はここに泊まるけど、普段はひっそりとして静かだ。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、アメリア様。今日は早かったのですね」
レイチェルがいつも通りに迎えてくれるけど、私には早い理由を説明する気力もなかった。
「今日は夕食はいらないわ。もう寝るから、あなたも仕事を上がっていいわよ」
「え? アメリア様っ?」
困惑した様子のレイチェルを残し、私は二階の自分の部屋へ入るとベッドに倒れ込んだ。
申し訳ないけど、このままでは今日だけではなく、今後彼女の仕事はなくなってしまいそうだ。
もしロイヤルアカデミーをクビになったら、私がこれ以上王都に留まる理由はない。辺境の領地に呼び戻され、適当な相手と見合いをさせられて結婚する事になるだろう。
元々私の両親は娘を早く結婚させたがっていて、私が教師を志す事にも、ロイヤルアカデミーの養護教諭になる事にもいい顔をしていなかった。その上こんな不祥事を起こして連れ戻されたとなれば、絶対に領地内の学校で働かせてなどもらえない。
あの両親が選んだ見知らぬ男と結婚させられ、一生家に閉じ込められる……なんて暗い未来だろう。
その時、ベッドボードの上に置いてある貝殻のビンが目に入った。
手に取って眺めてみる。
すぐにあの海辺で見たヒューイット先生の笑顔や、幸せそうなマージェリー達の顔が目に浮かんで、胸の中が温かくなった。
……そうだ。一人で落ち込んでる場合じゃない。
ユーフェミアが私をアカデミーから追い出したのは、ただの下準備に過ぎない。
彼女の狙いはシリルだ。間違いなく邪魔者のマージェリーにも何か仕掛けてくるだろう。それも、手段を選ばずに。もしかしたら仲の良いミア達にも被害が及ぶかもしれない。
先生が生徒をひいきしてはいけないけど、ユーフェミアのやり方はあまりにも悪質だ。
マージェリー達に注意を促しに行こう。それも今すぐに。
ベッドから起き上がると、不意にノックの音とレイチェルの声がした。
「アメリア様、お客様がお見えです」
「お客様?」
「ええ、ロイヤルアカデミーの……きゃっ」
「ごめんなさい、通してっ! カレン先生っ!!」
レイチェルを押しのけるようにして飛び込んできたのは、ミアだった。
彼女の後から、ハリーとマージェリー、それからシリルまでもが、ぞろぞろと私の部屋に入ってくる。
「カレンせんせ、大丈夫? 陣中見舞いに来たよー」
「お邪魔いたしますわ。噂を聞いて、急いで参りましたの。ユーフェミアの悪辣な行為、もう許せませんわ!」
「大勢で押しかけてすみません。僕達が力になれるかもしれないと思って……話を聞かせてもらえませんか?」
驚いて、すぐには言葉が出なかった。
会いに行こうと思っていた相手が、みんなで来てくれたのだから。
四人はめいめい好きな場所に座り、いつもと変わらない顔を向けてくる。
そこには私を疑っている様子なんて、みじんも感じられなかった。
この仕事をやっていてよかった。
心からそう思い、柄にもなく涙ぐみそうになったのをこらえて、私もいつも通りの調子で言った。
「ありがとう、みんな。わざわざ来てくれて」
「いいんですよ! 先生のためなら、どんなに狭い家だって気にしません!」
「ミア、失礼よ……ほんの少し手狭で不便なだけで、素敵なお家じゃない」
「二人とも、悪気なく失礼過ぎない? ……ごめんね、カレンせんせ」
「え、ええ。全然気にしてないわ」
「こほん。カレン先生、ユーフェミアが保健室で先生に財布を盗まれたと言っているらしいですが、その時の状況を僕達に教えてください」
ミアが持ってきてくれた手土産の紅茶を、レイチェルが全員に淹れてくれた。
それを飲みながら、私は今日起こった出来事を彼らに話した。
紅茶は王室御用達の最高級品で、この世のものとは思えないほど美味しかった。