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第8話 ヒロインの逆襲

 さっきから、私は音楽室の前を行ったり来たりしている。


 夏休みが終わってロイヤルアカデミーも後期課程が始まり、早くも一ヵ月が経った。季節はすっかり秋。そんな放課後の音楽室前。

 この扉の中には、ヒューイット先生がいるはずだった。

 彼が顧問をしている合唱部の活動時間はもうとっくに終わっているから、たぶん一人で何か仕事をしているんだろう。


 私はごくりと唾を飲むと、手に持った小さな籠を握り直し、思い切って扉をノックした。

 それはすぐに開いた。


「カレン先生!」


 重い防音の扉を開けたヒューイット先生は、私を見るとぱっと笑顔になった。それを見た私もほっとして頬をゆるめ、手に持った籠を彼に差し出そうとした。


「あの、これ……」

「どうしたんですか、ヒューイット先生?」


 不意に、音楽室の中から女の子の声がして、私は差し出しかけた籠をさっと背後に隠した。


 ヒューイット先生の後ろからひょこっと顔を出したのは、ユーフェミアだった。

 彼女は私を見ると、かわいらしい声で言った。


「カレン先生。こんにちは」

「こんにちは、ユーフェミア」

「ヒューイット先生に何かご用ですか? 私は外しましょうか?」

「ええと……」


 まるで私の方が部外者のような様子で彼女にそう言われ、不覚にも戸惑ってしまう。


 臨海学校でヒューイット先生に貝殻のビンをもらってからずっと、何かお返しをしなければと思っていた。

 だけど毎日の仕事が忙しいし、何をあげるかでも色々と迷ってしまい、結局彼の好きな蜂蜜入りのマフィンを焼くと決めたけどいざ渡すとなるとなんだか気恥ずかしくて渡せない……という事が続き、既に秋も深まってしまった。


 不甲斐ないのは自分でも分かっている。

 生徒達に偉そうに恋愛のアドバイスをしている私が、プレゼントのお返し一つ渡せないとは!

 だけどようやく腹を括って、今日こそは絶対に渡そうと決め、こうして音楽室までやって来た。


 それなのに、なぜユーフェミアがここにいるのか。

 彼女はヒューイット先生に寄り添うように立ち、淡い金色のセミロングの髪をふわりと揺らし、ラズベリー色の瞳でほほ笑みながら私を見上げている。細い手足の肌はミルク色できめ細かく、触りたくなる位にすべすべだ。ヒロインの名に恥じない、本当にかわいい女の子。

 私は早口で言った。


「……ちょっと相談事があったんですが、また今度にしますね」

「いや、もう終わる所だから大丈夫だよ。ユーフェミアは最近合唱部に入ったんだけど、他の部員に追いつきたいから居残り練習をしてほしいと言われて、指導していたんだ」


 すかさずユーフェミアが子犬のように彼を見上げて言った。


「ヒューイット先生、私、最後のパートがまだ上手く歌えなくて……このままじゃ他のみんなに迷惑をかけてしまうから、絶対に歌えるようになりたいんです。もう少しだけ、教えてもらえませんか?」


 私は思わず一歩後ずさった。

 これがヒロインか……こんな風に縋りつかれたら、男性なら思わず守ってあげたくなるのも頷ける。


 だけどヒューイット先生は、あのゲームでは出番も少ないモブだ。それを言うなら私もモブだけど。ヒロインてそんなに見境なく対象を攻略していくものなの? ていうか彼は攻略対象ですらないはずなんだけど?


 ヒューイット先生は、やれやれ、といった顔で頭を掻き、すまなそうに私に言った。


「……ごめん、カレン先生。なるべく早く終わらせるから、後で僕が保健室に行くのでもいいかな?」

「いいえ。たいした事ではないので気にしないでください。それじゃ」


 私は笑顔でそう言って音楽室の扉を閉めると、保健室に戻り帰り支度をして校舎を出た。

 蜂蜜マフィンは、帰りがけに職員室に寄り、まだ残って仕事をしていた職員室の先生方に「みなさんで召し上がってください」と言って置いてきた。





 その一件で、私はもうすっかりヒューイット先生に何かお返ししようという気力を失ってしまった。

 それから数日が経ったある日の事。


 ノックの後で保健室の扉を開けた人物を見て、私は目を疑った。

 そこに立っていたのはユーフェミアだったからだ。


「あら……ユーフェミア。どこか具合が悪いの?」


 私は動揺を隠してそう言った。

 入学からこのかた、彼女が保健室に来た事など一度もない。


 ユーフェミアは目を伏せ、儚げな足取りで中まで入ってくると、勧められてもいないのにすとん、とイスに座った。


「ちょっと、頭痛がして……休ませてもらってもいいですか?」

「頭痛ね。まずは熱を測らせてくれる?」


 体温計で熱を測ると、平熱だった。

 ユーフェミアは相変わらず具合の悪そうな顔をしている。


「頭が……痛いです……」

「……わかったわ。それじゃ、ベッドで少し休んでいきなさい」


 彼女は消え入りそうな声で、はい、と呟くと、ベッドまで行ってシーツに潜り込んだ。

 しばらくすると、ベッドの中から彼女が話しかけてきた。


「カレン先生……」

「……何かしら?」

「先生は、恋愛の相談に乗ってくれるんですよね?」


 私は返答に窮した。

 確かに私は生徒達の心身の健康のため、悩んでいる子には出来るだけ相談に乗るようにしている。その結果、この保健室は生徒達の恋のカウンセリングルームのようになってしまい、悪役令嬢に限らず相談にやってくる生徒は後を絶たない。


 だけど、今私の目の前にいるのはユーフェミアだ。

 前期の間、私が悪役令嬢達に様々なアドバイスを与え、さんざん対象の攻略を邪魔してきた相手。

 ユーフェミアの相談に乗るという事は、今度は私が悪役令嬢達の邪魔をする事になるかもしれないという事だ。


 それでもユーフェミアがこのアカデミーの生徒である事には変わりないし、養護教諭である私が生徒のえこひいきなどしてはいけない。

 私は腹を決め、作り笑顔を浮かべて言った。


「あなたの役に立てるかはわからないけど、悩みがあるなら聞くわよ?」


 ユーフェミアはベッドから起き上がり、じっと私を見た。


「カレン先生はヒューイット先生が好きなんでしょう?」

「はあっ!? ち、違うわよ!」


 いきなりとんでもない事を言われて私はぶんぶんと首を振った。ユーフェミアは首を傾げた。


「へえ、そうなんですか? 気があるように見えたけど。もしそうなら私も先生を手伝ってもいいですよ。交換条件です」

「交換条件、って……そんな取引はしないわ。あなたの悩みなら聞くけど」


 私は腕を組んできっぱりと言った。なんなんだこの子は。生徒と恋の交換条件なんて、いい大人がする訳ないだろう。

 ユーフェミアはあっさりと話を変えた。


「ふうん。まあいいです。先生、私、シリル王子が好きなんです。本気なんです。だけど、いつもマージェリーが邪魔をして……」

「……婚約者だものね」


 マージェリーはこの間保健室に来て、恥ずかしそうにシリルとうまくいっている事を教えてくれ、私に丁寧にお礼を言った。仲が良さそうでほほえましい。後で私の家に彼女の両親からのお礼の品を届けさせる、とも言われたけど、それは固く辞退しておいた。


 ユーフェミアは険しい顔をして言った。


「そういうの、変です。まだ十七歳なのに、親が決めた婚約者としか結婚できないなんて」

「それはそうかもしれないけど、シリルとマージェリーはお互いの事を好きよ?」

「私、恋愛は自由であるべきだと思います」


 きっぱりとユーフェミアが言う。私の話、聞いてないのか。


「婚約なんていう貴族の政略結婚の手立てでしかないものに振り回されて、この恋をあきらめたくないんです。お願いです、カレン先生。私に協力してください!」


 ……つまり、シリルが誰と好き合っていようが婚約していようが、そんなの関係なく彼を自分に振り向かせたいと、そういう事だろうか。略奪宣言にしか聞こえないんだけど、大丈夫だろうか。


「ねえ、ユーフェミア……人を好きになることも大事だけど、だからといって恋人がいる相手をわざわざ選ばなくてもいいんじゃない? あなたは男子生徒からとても人気があるみたいだし、あなたに好意を持っている人は他にも……」

「そんなスペックの低い連中なんて興味ないわ」


 ぼそっとユーフェミアが呟いた。


「え? 今なんて……」

「とにかく、カレン先生だけが頼りなんです。どうすればシリルと恋人になれますか?」

「だから、シリルの恋人はマージェリーで、」

「それ、カレン先生のせいですよね? シリルは最初、マージェリーよりも私と仲が良かったんですよ? どうしていつも私の邪魔をするんですか?」


 気が付いたら、ユーフェミアの雰囲気ががらりと変わっていた。

 目が据わり、怖い顔をして私をにらんでいる。


「どうして、って、私はただ……」

「ただ女子生徒達にアドバイスをしただけ? そのアドバイスがほんとに癪に障るんですけど。これじゃあマージェリーじゃなくて、カレン先生が悪役みたい」

「あ、悪役?」

「もういいです。私、頭痛が治ったのでこれで失礼します」


 ユーフェミアはさっとベッドから降りると、すたすたと保健室を出て行った。




 私はあっけに取られて、開いたままの扉を見つめた。

 だけど、これは彼女が用意した舞台の、単なる幕開けでしかなかった。

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