第6話 臨海学校
夏だ。
臨海学校だ。
ロイヤルアカデミーの高貴な生徒も教職員も、ここぞとばかりに遊ぶイベントだ。
という訳で、夏休みに入って間もない頃、私達はロイヤルアカデミーからほど近い海にやって来た。
ちなみに臨海学校があるのは一回生だけで、二回生は秋に修学旅行へ行く事になっている。
現地集合なので、海辺の高級宿屋の前には朝から高級な馬車が次々と乗りつけていた。
山程の荷物と侍女や従者と共に、リゾートスタイルの生徒や教師達が馬車から降りては宿の中に吸い込まれてゆき、今度は華やかな水着姿に変身してビーチへと闊歩していく。
保健室の先生である私は、臨時救護所の待機要員として、生徒達より一足先にビーチに来ていた。
宿の人や他の教師達に手伝ってもらいながら、まだ人の少ないビーチに大きな天幕を立て、ゆったりと寝そべる事の出来る二台のビーチチェアを広げ、他の荷物も運び込んでもらう。
もちろん様々な場面に対応できるよう、救急セットも傍らに用意してある。
救護所の準備が整い手伝いの人達が引き上げると、私は一人でそこで待機した。
泳がないので水着ではなく、半袖ブラウスにフレアスカートにサンダル、それからいつもの赤フレーム眼鏡に、片側でまとめたお団子ヘアに麦わら帽子という格好だ。
眩しく光る水平線を眺めていると、砂浜に次々とロイヤルアカデミーの生徒達が集まってきた。
「あれー? カレンせんせ、水着じゃないんですかー?」
もうだいぶみんなが砂浜に集まった頃、今日も色気たっぷりのハリーがミアと連れ立って現れて、天幕の下の私に声をかけた。
そう言う彼自身もミアも、もちろんド派手な水着姿だ。大きなビーチボールまで脇に抱えている。遊ぶ気満々だ。
「おはよう、ハリー、ミア。私は保健室の先生だからね。泳がないわよ」
「ええー、残念。カレン先生と遊びたかったのに!」
ミアが頬を膨らませた。私は苦笑して言った。
「嬉しいけど、他の先生を誘ってあげたら? ……ほら、みんなもう集合してるわよ。行ってらっしゃい」
「はーい。でも夕方の自由時間になったら一緒に遊んでくださいね?」
「ええ」
二人は集合場所へと向かいかけたけど、ミアだけが私の所へ戻って来て、小声で言った。
「……カレン先生、実は最近、ユーフェミアがまたシリル王子にちょっかい出してるんです。それで王子とマージェリーの間もなんか微妙な空気になっちゃって……」
「え? ユーフェミアが?」
私は驚いて聞き返した。
音楽祭の一件でシリルの事は諦めたと思っていたのに、ユーフェミアもなかなか執念深い。
ちなみに、あのコンサートの後のお茶でユーフェミアはみんなとすっかり打ち解けた……なんていう都合のいい展開にはなっておらず、彼女は今も女子達から孤立したままだ。
ミアは鬱憤を晴らすように一気に喋った。
「そうなんです! しかもユーフェミア、この頃は隣のクラスの男子達にも愛想良くして、ファンクラブみたいなのまで出来ちゃって、ほんと調子に乗ってるんです!! シリル王子にも堂々と手を出そうとするし!! なのにマージェリーったら、なんにもしなくて……カレン先生、なんとかしてくれませんか!?」
「なんとかって言っても……一応気にしてはみるけど、何も保証は出来ないわよ?」
「それでいいです! よろしくお願いしますねー」
ミアは途端に元気になって、軽やかにハリーの方へ駆けて行った。
◇
一応は学校行事なので、臨海学校にも課題はある。
ライフセービングとスイカ割りだ。
前者は、貴族たるもの溺れた人を助けるのは当然、という名目で。
後者は、日頃鍛えた剣技を学友の前で披露するため、……という名目なんだけど、こっちはかなりお遊びの色が濃い。
つつがなくライフセービングの訓練が終わり、スイカ割りも砂浜を熱狂の渦に包みながら挙行された。
十個のスイカが用意され、あらかじめ選抜されていた十人の挑戦者の中で、一番鮮やかにスイカを割ったのはシリル王子だった。
黄色い歓声が飛び交う中、ユーフェミアはシリル王子のすぐ側でひときわ甲高い声を上げている。
ミアの言った通り、ユーフェミアの背後には隣のクラスの男性生徒達がガードするように立っていて、彼女が自分達の推しアイドルであるかのようにじっと見守っている。なんだかすごい光景だ。
そしてマージェリーは、婚約者であるシリルの雄姿を最前列で応援することはせず、彼から離れた場所に一人で佇んでいた。
◇
「カレン先生」
早々に課題が終わり、ビーチでの自由時間が始まってから小一時間後。
水も滴る水着姿のヒューイット先生が、救護所にやって来た。
「大活躍ですね、ヒューイット先生。休憩に来たんですか?」
「いやあ、あはは」
さっきからずっと、ヒューイット先生はビーチバレーや素潜りや遠泳をする生徒達から引っ張りだこだった。一つ終わったかと思うと、またすぐに別のグループから声がかかる。付き合いのいい彼は呼ばれれば断ったりはせず、一緒になって全力で遊んでいるようだった。
関係ないけど、普段は細く見えるのに、彼は脱ぐとなかなかいい腹筋をしている。演奏や合唱で腹式呼吸をするから鍛えているんだろう。さすが音楽教師だ。
まだ前髪から水滴を垂らしながら、ヒューイット先生が尋ねた。
「カレン先生は泳がないの?」
「私はここに待機してないといけないので」
「そうか……今日は学院長も来てないしなあ。職務怠慢だ」
本気か冗談かわかりづらい口調でヒューイット先生が呟いた。一体この人は、学院長の弱味でも握っているのだろうか。
音楽祭の時にヒューイット先生が大胆にも保健室の留守番を頼んだマクドゥーガル学院長は、今回の臨海学校には来ていない。
あの厳しい老婦人が、たとえば極寒の雪原をすたすたと歩いている場面は容易に想像できるけど、真夏のビーチをエンジョイしている姿はどうしても思い浮かばないから、やっぱり本人もこういう場所は苦手なのかもしれない。
他の先生はみんなそれぞれ、生徒達の相手で忙しそうだ。
ヒューイット先生はまだ難しい顔をして私の代役を思案している。
私は氷の詰まったバスケットの中から皮袋に入った塩レモン水を取り出してグラスに注ぎ、彼に差し出した。
後でみんなに配るために、たっぷりと用意してきたものだ。
「はい、どうぞ。炎天下は汗をかくので、水分を補給してくださいね」
「あ……ありがとう」
ヒューイット先生は冷たいグラスを受け取り、ごくごくと一気に飲み干した。
やっぱり発汗で体内の水分が欠乏していたんだろう。もう少ししたら全員に給水タイムを、と思っていたけど、この分ではみんなもう喉がカラカラなはずだ。給水は、予定より早めに行う事にしよう。
「はー、うまかった! ありがとう、カレン先生」
「いいえ、こちらこそ。ヒューイット先生が来てくれてよかったです」
空になったグラスを受け取りながら、私はほほ笑みを浮かべ、心からそう言った。彼のおかげで、浜辺にいる人達が熱中症になる前に水分補給させる事が出来る。
ヒューイット先生は何か言いたそうな顔をして口を開きかけたけど、その前に男子生徒達から声がかかった。
「ヒューイット先生、まだですかー? 早くクロール対決しましょうよー!」
「あっ、ごめん! 今行く!」
彼はくるりと私を振り向いた。
「……カレン先生、それじゃまた後で」
「ええ、また」
◇
私は天幕の近くにいた生徒達に声をかけて手伝ってもらい、用意してきた塩レモン水をグラスに注いで、砂浜で遊んでいる生徒や教師達に配った。
やっぱりみんな喉が渇いていたみたいで、おいしそうに飲んでいた。
もちろん自前で飲み物を用意してくるようにと事前に通達はしてあったんだけど、忘れてくる子もいるし、水分補給せずに遊び続けて倒れてしまう子も毎年いるから、給水タイムは必須だ。
「ふう、これで全員に配り終えたかしら……あら」
ぐるりと砂浜を見渡したら、遠くの方に一人で立っている男子生徒がいた。
シリルだ。
珍しい光景だった。彼はアカデミーでは一、二を争う人気者で、男女問わず友人も多く、いつも人に囲まれているイメージだったから。
確か、彼にはまだ配っていないはずだった。
それに、彼とマージェリーの事も気がかりだ。
私はグラスを持って彼のいる方へ向かった。
「シリル」
声をかけると、シリルは私を見て、軽くほほ笑んだ。
「カレン先生」
うっ……。
改めて近くで見ると、シリルはやっぱり強烈な破壊力を持つ美青年だった。
陽に輝くさらさらの銀髪、透明感のある肌、アメシストのような紫色の瞳。
その美貌の王子が、私の名を呼び、ほほ笑みかけている。
ついうっかり胸が高鳴りそうになるのを抑え、私は養護教諭らしく、てきぱきと言った。
「飲み物を持ってきたわ。こまめに水分を取らなきゃ駄目よ」
「ありがとうございます」
シリルはグラスを受け取った後も、じっと私を見つめていた。
「……どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「いえ……女子生徒達があなたの事を恋愛のエキスパートだって噂してたから。僕の考えている事も、もしかして即座に見抜けるのかなって」
「な……何言ってるのよ。そんなこと出来る訳ないじゃない」
そんな特技があれば、占い師にでもなって大儲けが出来るだろう。
シリルは別に本気で期待などはしていなかったようで、「ですよね」と言って、優雅にグラスに口をつけた。
「何か悩み事でもあるの?」
私はなるべくさりげなくそう尋ねた。
シリルは感情の読み取りづらい顔を海へ向けた。
「まあ、そんな所です。……マージェリーとの婚約を、解消しようかと思って」