第4話 楽屋にて
私の記憶では、あのゲームにおいてのマージェリーとユーフェミアの初回のバトルは、ヒューイット先生が指揮するオーケストラのコンサート直前に行われる。
それまではヒロインであるユーフェミアの、良く言えば天真爛漫、悪く言えば傍若無人なふるまいにもマージェリーは気丈に耐え、公正に振る舞っていた。
だけど、そのコンサートでユーフェミアがうっかり席を間違えてシリル王子の横に座ろうとした事で、王子の婚約者であるマージェリーの怒りが爆発する。
演奏開始前の客席で、マージェリーは衆目の中、ユーフェミアを突き飛ばしてケガをさせてしまうんだ。
ケガをしたユーフェミアを連れて、シリルは急いで保健室に駆け込むんだけど、その途中の会話でシリルはユーフェミアの不幸な境遇を知り、それにもかかわらず明るく健気な彼女に魅かれて恋に落ちる……というシナリオだ。
ゲームの中の出来事だったから、私には実際にマージェリーがユーフェミアを突き飛ばしたのかどうか、よくわからない。
でもゲームの中のマージェリーは、「わたくしはやっていません。あなたの席はこちらよ、とお教えするつもりで手を伸ばしたら、彼女が勝手に転んだのです!」と断言していた。
だけど結局それは悪い方へと転ぶ。
この事件をきっかけに、徐々にマージェリーの評判は下がっていき、反比例するようにユーフェミアの人気は上がっていくんだ。
「……でもどうしたって、実際のマージェリーはそんな嘘をつくような子には見えないのよね……」
保健室のデスクで私はそう呟き、引き出しからある物を取り出した。
それを白衣のポケットにしまって保健室を出る。まだマクドゥーガル学院長が留守番に来てくれる時間じゃないけど、ちょっと用事を済ませなければいけない。廊下の札を「不在中」にして手早く戸締りすると、私は急いで音楽堂に向かった。
◇
二百年前からここに建っているという重厚な音楽堂では、ちょうど今日最初のプログラムである、一回生と二回生合同の女声コーラスが終わったところだった。
指揮者は、二回生担当の女性の音楽教師。
このコーラスには、確かマージェリーも参加していたはずだ。
ホールからは、お客達の割れんばかりの拍手が聞こえていた。
裏口は関係者以外立ち入り禁止だったけど、校医の特権を生かして、扉を開けて顔パスでずんずん中へと入っていく。
楽屋の中は、コーラスの発表が終わり、高揚した顔つきで賑やかにおしゃべりしている女生徒たちの声で満ちていた。その中でマージェリーは一人、浮かない顔をして、隅の方でイスに座っている。私は彼女の前まで行くと、しゃがんで目線を合わせ、ほほ笑みかけた。
「マージェリー、ちょっといいかしら?」
「……カレン先生?」
マージェリーはオリーブ色の瞳を見開いた。
「どうしてここに? わたくしに、何かご用ですか?」
「ええ。少し話がしたいんだけど、一緒に来てくれる?」
女生徒の数名が、ちらちらとこっちを見ている。その中にユーフェミアはいない。彼女は次のプログラム、ハンドベルのコンサートに出演する予定だった。ミアも中庭の野外コンサートに出るので、ここにはいない。
マージェリーは何かを察したのか、軽く唇を噛んでから、頷いた。
「承知いたしました」
私は彼女を連れて楽屋を出た。
いくつかある控え室のうち一つの扉を開け、無人である事を確かめ、彼女と中に入る。
パタン、と扉を閉めると、不安そうな顔をしているマージェリーと向き合った。
「マージェリー、シリルの事だけど……」
ロイヤルアカデミー内では、たとえ相手が王族といえど、教師は生徒を呼び捨てて構わない事になっている。
マージェリーは口の端をわずかに歪め、自嘲するような表情を浮かべた。
「やっぱりその事でしたのね。ミアが今までさんざんわたくしに、早くカレン先生のところに相談に行きなさい、とせっついてきましたの」
「あら、そうだったの」
さりげなくそう言ったけど、内心では先行きが思いやられていた。
女友達の助言にも関わらず、私のところへ一度も相談に来なかったというのは、マージェリーのプライドがそれだけ高いという事だ。人の助けなどいらない、自分でなんとかする、と意固地になっているのかもしれない。
でも、そんな心配をする必要はなかった。
マージェリーはまっすぐに私を見ると、憔悴した様子で言った。
「……もっと早くそうしていれば良かったですわ。わたくしの力では、もうどうしていいか……カレン先生、どうかわたくしにお力をお貸しください」
「マージェリー……」
涙をこらえつつ、マージェリーはこれまでの事を私に話し出した。
春、期待に胸を膨らませてロイヤルアカデミーに入学したマージェリーは、昔から好意を寄せていたシリルと同じクラスになって幸せいっぱいだった。しかもシリルとは婚約者同士でもある。最初はすべてがバラ色に見えた。
だけど、同じクラスには新顔、ユーフェミア・ロクシーもいた。
昨年、侯爵家の養女に迎えられたばかりの、平民上がりの女の子だ。
市井で育ったためなのか、天然と言うか無邪気と言うか、とにかくユーフェミアの行動は令嬢達の常識とはかけ離れていた。
貴族社会の暗黙の了解などもちろん通用しない。
当然、そんな彼女に好感を持つ者も、敵意を持つ者も増えていった。
ミアの婚約者ハリー・ギャラガーとマージェリーの婚約者シリル・ウィンベリーは、平民上がりのユーフェミアにも好意的だった。
学級委員のマージェリーも元々面倒見のいい性格だったので、最初は貴族社会に不慣れなユーフェミアに、あれこれと世話を焼いてあげていた。
だけど徐々に、ユーフェミアの傍若無人なふるまいが目につき始めた。
ユーフェミアは、婚約者のいる男子生徒にもお構いなしでどんどん近づき、話しかけ、誘い出したりちょっとした贈り物をしたりして、たちまち仲良くなってしまう。
そういう軽率な行為は慎むようにとマージェリーが再三注意したにも関わらず、彼女が行動を改めないため、ついにはマージェリーも愛想を尽かしてユーフェミアから距離を置くようになった。
すると、学級委員であり第二王子の婚約者であるマージェリーが離れたのだからと、他の令嬢達もそれに倣い、ユーフェミアから離れて行った。
そうでなくても男子生徒にやたらと馴れ馴れしいユーフェミアは、女子生徒達の反感を蓄積させていたのだ。
そして、教室はユーフェミアの独壇場となった。
「……彼女、わたくしが友人達と共謀して仲間外れにしている、と、悲しげな顔をして男子生徒達に言いふらしているんです。それでシリル様もすっかり彼女に同情してしまって……」
「……かなり手ごわい相手のようね」
私は唸らざるをえなかった。
記憶では、ゲームのユーフェミアはただの無邪気な天然キャラだったんだけど、この世界のユーフェミアはどうも様子が違うようだ。
実際に彼女と話した事は一度もないけど、ゲームよりももっと、なんていうか……計算高く、狡猾な印象を受ける。
「だけど、ハリーは? 彼はシリルの親友だしミアの婚約者でもあるんだから、あなたは悪くないってシリルに教えてあげられるんじゃない?」
「いいえ。ハリーは嘘はつきませんが、余計な事もしない主義なんです。宰相の家系だからそういう危機管理は徹底していて、女同士のゴタゴタになんて絶対に口を挟みません」
「……すごいわね」
今朝会ったハリーの甘い顔立ちを思い出し、私はちょっと感心した。あんなに軽そうに見えて、実は結構芯が通ってるのか。
マージェリーは痛切な表情でうつむいた。
すっかり同情した私は、白衣のポケットに手をつっこんである物を取り出し、彼女に差し出した。
「マージェリー、これをあげるわ」
「これは……?」
私は軽く片目をつぶった。
「これはね、魔法のハンカチよ」