第3話 音楽祭
六月、音楽祭の日がやって来た。
ロイヤルアカデミーの正門は生花とリボンで華やかに飾り付けられ、メインホールとなる音楽堂も、野外コンサートの開かれる中庭も、お客を迎える準備は万端だ。
朝、いつも通りに私が馬車から降りてアカデミーの正面玄関へ向かうと、近くを歩いていたミア・ローエンシュタインが声をかけてきた。今日は生徒達も直前リハーサルのため、いつもより早くに登校する子が多い。
「おはようございます、カレン先生!」
「おはよう、ミア。それにハリー」
ミアが腕をからめ仲良さそうに歩いているのは、彼女の婚約者のハリー・ギャラガーだ。そのハリーも私ににっこりと笑いかけた。
「おはよう、カレンせんせ」
……今日も朝っぱらから、色香がムンムンしている。
爽やかな朝の空気の中でも、ハリーの甘い顔立ちやちょっとした仕草は強烈な色気を放っていた。口角の下のホクロもセクシーなら、癖のある赤毛も、悪戯っぽく細めた青い瞳も蠱惑的だ。大胆に制服のシャツの胸元をはだけているけれど、これは注意するべきなのか否か悩みどころだ。
周囲を歩いている女子生徒達も、なんだか恥ずかしげにハリーをチラ見しているように見える。その中で堂々と彼と腕を組んでいるミアはさすがの度胸だった。
でも、良かった。心配していたけど、なんだかんだでうまくやっているようで一安心だ。
「今日の音楽祭、楽しんでね」
私が何の気なしに二人にそう言うと、ミアは意外にも顔を曇らせた。
「カレン先生……あの、今ちょっといいですか?」
「……何かしら?」
「マージェリーの事で……ごめん、ハリー、先に行っててくれる?」
呼び捨てた!
この間は確かハリー様、と言っていた。私が思っているより、ミアは婚約者とだいぶ仲良くやっているようだ。
ハリーは軽やかに手を上げて言った。
「わかった。でも、すぐ来るんだぜ? ミア」
「もちろんよ。すぐ行くから待っててね」
笑顔でハリーにぶんぶん手を振っていたミアは、私の視線に気付くと恥ずかしげに頬を染めた。
「あ、先生のアドバイスのおかげで、あれからハリーとすごく仲良くなれました。ありがとうございます!」
「そう、良かったわね」
彼女の幸せそうな姿に私も嬉しくなって、にっこり笑う。
ミアも、ぱっと顔を輝かせた。それから周囲を見渡し、私を連れて人の少ない花壇の方へと移動した。
「どうしたの? ……マージェリーが何か?」
水を向けると、ミアは真剣な表情で頷いた。
「はい。ユーフェミアが、今度はシリル王子を狙っているんです」
「……なるほどね」
ヒロインが、ついに本丸の攻略に乗り出した、という訳だ。
シリル・ウィンベリーは、このパルミア王国の第二王子。
ゲームでは彼の攻略が正規ルートとなる。
銀色のさらさらの髪に紫の瞳を持つ神秘的な美青年で、かなりの自信家なんだけどそれに見合った明晰な頭脳と公正な心を持つ、ハイスペックな王子様だ。
そして、その第二王子の婚約者が、マージェリー・フェアフィールド。
赤銅色の髪にオリーブ色の瞳の、ちょっと高飛車でゴージャスな美人で、見た目はまんま悪役令嬢といった雰囲気。
マージェリーは幼い頃からシリルと婚約者同士だったんだけど、ユーフェミアの乱入によってそれが揺らいでしまう。
そしてマージェリーがユーフェミアをいじめているという状況証拠が積み上がっていき、最終的に来年の卒業式のダンスパーティーで、シリルはマージェリーに婚約破棄を突きつけるんだ。
だけど、実際のマージェリーは他の令嬢達のように、ユーフェミアに何かされたと言って保健室に駆け込んできたことはこれまで一度もなかった。
生粋の令嬢であるがゆえに、そんな事はプライドが許さないんだろう。
たった一度だけ、マージェリーが手を擦りむいてこの保健室に来た時は、消毒の痛みに顔をしかめる事もなく、処置を終えた私に美しくほほ笑んで、丁寧にお礼を言った。しかも翌日、お礼状までしたためて届けてくれた。
確かに気品が溢れ過ぎてお高くとまっているように見えるけど、本当はただ礼儀正しいだけの、きちんとしたいい子に見える。
そんな彼女が婚約破棄の憂き目に遭うのは、あまりにもかわいそうだ。
ミアも同じ気持ちなんだろう、親友であるマージェリーを心配しているのがひしひしと伝わって来た。
「カレン先生、お願いです! 私を助けてくださったように、マージェリーも助けてあげて!!」
「……保証はできないけど、彼女と話をしてみるわ」
「ありがとうございますっ!!」
ミアはこれでもう安心、とばかりに満面の笑顔になった。
「そんなに期待されても困るんだけど……」
私は苦笑した。
「何言ってるんですか、カレン先生が一肌脱いでくださるんなら絶対に大丈夫ですよ! それじゃ私、ハリーを待たせてるので失礼します!」
ミアは心配事がなくなってさっぱりしたという顔で私に手を振り、教室へ駆けて行った。
ふうっ、と息を吐いて私も歩き出そうとしたら。再び誰かに呼び止められた。
「カレン先生!」
振り返ると、ヒューイット先生が小走りでやって来た。
「おはようございます、ヒューイット先生」
「おはよう。ああ、会えて良かった! 今日のオーケストラのコンサート、カレン先生にもぜひ聴きに来てほしくて」
「……でも、私は保健室に待機していないと」
これまでにも何度か、ヒューイット先生は私を、彼が指揮する音楽祭のコンサートに誘ってくれていた。
たびたび保健室で治療を受けているから、恩義でも感じているのかもしれない。義理堅い人だ。
だけどその度に、私は保健室で待機する必要があるからと、断っていたんだけど……。
「その事なら大丈夫! コンサートの間、代わりにマクドゥーガル学院長に保健室にいてくれるように頼んでおいたから」
「学院長に!?」
私は思わず大きな声を出してしまった。
マクドゥーガル学院長は、北極の氷河のように厳しい老婦人だ。
雪のような真っ白い髪を後頭部でひっつめ、窪んだ目で生徒や教師を見渡し、何か落ち度があると容赦なく手に持ったステッキで床を打ち鳴らして注意や罰を与える。
私もこれまでに彼女から三度は注意を受けた。その度に少なくとも一ヶ月分は寿命が縮んだのは間違いない。
その学院長が保健室での留守番なんて雑用を引き受けたのも驚きだったけど、運悪くその時間に保健室の扉を開けてしまった誰かの健康も心配だ。治療を受けるどころか、びっくりして心臓が止まってもおかしくない。
ヒューイット先生は笑って言った。
「心配しなくても大丈夫だよ。学院長はああ見えて優しい方だし、ちょっとした傷の手当ぐらいなら出来るって請け合ってくれたから」
「や、優しい……?」
私は畏敬の念に打たれてヒューイット先生を見た。
害のなさそうな穏やかな外見とは裏腹に、この人は意外と奥の深い人なのかもしれない。なにしろあの学院長に留守番をさせる、なんていう離れ業をやってのけるんだから。
「それで、どうかな? コンサートに来てくれる?」
「あ、はい。そういう事なら、聴きに行かせてもらいますね」
「やった!」
ヒューイット先生は力いっぱいガッツポーズをした。
そんなに嬉しいのか……本当に義理堅い人だ。きっと生徒からも人望が厚い事だろう。
「それじゃ、また後で、カレン先生。最高の演奏にするから!」
「楽しみにしています」
ヒューイット先生は少年のようにきらきらした目をして私に片手を上げ、また小走りで音楽堂の方へ戻って行った。
その後ろ姿を見送りながら、私の頭は全然別の事でいっぱいだった。
そのイベントは、オーケストラのコンサート直前に始まるはずだ。
マージェリーによる、最初のユーフェミアいじめは。
それをどう防げばいいのかと急いで考えを巡らせながら、私は校舎の中へ入っていった。