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第2話 養護教諭の日常

 その数日後、音楽教師クリス・ヒューイットは再びケガをして保健室にやって来た。


 それまでにも彼はちょいちょいケガをしては保健室を訪れていたけど、今回はちょっと痛そうだった。

 音楽堂でのコーラスの授業で指揮に熱が入り過ぎ、足を踏み外して指揮台から転げ落ち、肩が脱臼してしまったというのだ。


 彼を担ぎ込んできた男子生徒達にも協力してもらって肩をはめ、保健室のベッドに寝かせて、痛そうだったので気付けのブランデーを少し飲ませると、だいぶましになったようだった。


「ごめん、カレン先生。面倒ばかりかけて恥ずかしいよ」

「構いませんよ。私の仕事ですから」


 恐縮するヒューイット先生に、私はほほ笑んだ。


 ヒロインでも悪役令嬢でもない下位貴族の私が一人で生きていくためには、なんとしても手に職が必要だ。

 養護教諭という職業は安定しているけれど、その基盤をゆるぎないものにするためには職場の円滑な人間関係が不可欠だった。

 そのため、私はたまに先生方に健康食品などを差し入れていた。自家製の青汁は年輩の先生方に「まずい!」と言われつつも体調がすっきりすると人気があったし、調合したハーブティーは体が温まるとか寝つきが良くなると言われ、主に女性教師に好評だった。

 そうした地道な努力をしつつ、私はなるべく誰にでも愛想よく接するように心がけていた。


「最近はずっと音楽祭の準備で忙しそうでしたし、疲れがたまっていたんでしょう。どうぞゆっくり休んで行ってくださいね」

「……ありがとう、カレン先生」


 ヒューイット先生はブランデーのせいか少し上気した顔で私を見つめ、それから横になってぐっすりと眠った。





 ロイヤルアカデミーの音楽祭は、毎年六月に予定されている前期のメインイベントだ。

 アカデミーを挙げて開催される華やかな行事で、生徒達の演奏会はもちろん、レベルの高い合唱部やオーケストラ部のコンサートも一般に公開され、王都中からOB・OGをはじめとしたお客さんたちがやって来る。

 もちろん音楽教師のヒューイット先生はアカデミーの威信をかけたこの行事の準備に忙殺されていたし、生徒達も準備や練習に追われている。


 ……そうした忙しい時期のはずなのに、恋愛相談のために保健室に駆け込んでくる女子生徒の数は、なぜか増えていく一方だった。




「聞いてくださいカレン先生、ユーフェミアが私の婚約者のアレックスに言い寄ってくるんですっ!」


「カレン先生、フィリップがユーフェミアと委員会の買い物に行くって言うんです~っ!」


「シドがまた温室でユーフェミアと密会してたんです! どうすればいいんですか、カレン先生っ!?」


 次から次へと舞い込む相談に、私は前世のゲーム知識を思い出し、時には大人としての人生経験を織り交ぜながら、懇切丁寧にアドバイスをした。

 女子生徒達――大抵はゲーム中の悪役令嬢だ――は、大なり小なり欠点はあるけど、基本的にはみんないい子だった。欠点のない人間なんていないのだし、目の前に自分を頼ってくる子がいたら、助けてあげたいと思うのは人情だろう。

 それが養護教諭の仕事かと聞かれたら、少しばかり違う気もするけど。


 ともかく私は毎日のように、悩める女の子達の相談に乗ってあげた。

 時には、婚約者とユーフェミアの板挟みになって困っている、と言う男子生徒も訪れた。


「カレン先生……僕の婚約者のエレナがユーフェミアと張り合って、二人で競い合うようにアカデミーの温室で僕が育てている植物に水をやろうとするんです。それでアロエが水浸しになっちゃって……」


 暗い顔をして相談に来たのは、植物を愛する心優しい伯爵令息シドだ。

 話を聞いて、私は申し訳ない気持ちになった。

 エレナに「シドは植物が好きだから、一緒にお世話をすればいいんじゃない?」とアドバイスしたのは私だからだ。まさか罪のないアロエがとばっちりを受けるとは思いもしなかった。


「……それは困ったわね……そうだ、エレナは字がきれいだから、一緒に植物の管理表を作ったら? 温室に貼っておいて、水やりをしたり肥料をあげたら、その日時と、やった人の名前を書いておくの。そうすれば水やりもだぶらないでしょう?」

「いいアイデアですね! さっそくエレナに頼んでみます」


 シドは明るい顔になって帰って行った。

 私はほっと胸を撫で下ろした。





 実際に近くにいたら、恋愛ゲームのヒロインというのはとてつもなく迷惑な存在だ、という事実を私はここ最近学んだ。

 ほとんどの攻略対象には既に婚約者がいる。

 それなのに、ヒロインはお構いなしに彼らに近付き、好感度を上げ、仲良くなって、かっさらおうとするのだ。


 あまりにも見境がない。


 ユーフェミアは、めぼしい男子生徒にはとりあえず全員手を付けているようだった。婚約者である悪役令嬢達の悲鳴など、ヒロインにとっては痛くも痒くもないのだろうか。


 ユーフェミアとは、私はまだ一度も話した事がない。

 ゲーム中では、ヒロインのユーフェミアは恋愛に悩むと保健室にやってきて、養護教諭、つまり私に色々なアドバイスを受ける、という設定だった。

 だけどこのアカデミーのユーフェミアは、私のアドバイスなどまるで必要としていないように感じる。現に他の令嬢達がこれほど保健室に相談に来ているのに、彼女はまだ一度も来ていない。まあ、別に無理して来る必要もないんだけど。


 自分には見えない場所でユーフェミアが日々アカデミーでの存在感を増していく事に、私はなんとなく落ち着かない気分を感じていた。





 そうこうしている内に、音楽祭の日が迫って来た。


 この時期はロイヤルアカデミーのあちこちから賑やかな練習の音が聞こえてくる。

 けれど、私は音楽祭の間も保健室に待機し、もしも気分が悪くなった生徒がいたら対応しなければならない。ヒューイット先生が文字通り体を張って指導したコーラスもオーケストラも、ちょっと残念だけど、私は会場で聴く事は出来ない。


 まあ仕方がない、仕事だものね、と気持ちを切り替えて、山ほどある雑務を片付けようとデスクに向かった。

 毎日の業務にまぎれて、私はすっかり忘れていたのだ。


 来るべき音楽祭で、あの恐ろしい事件が起こるという事を。

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