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第12話 フィナーレ

 ロイヤルアカデミーに、冬が訪れた。


 学院前の並木道にはギムネリアという銀杏に似た大きな木が植えられていて、今の時期は葉を美しい金色に色づかせている。

 毎朝馬車でそこを通って通学する生徒達も、一回生はすっかりアカデミーに馴染んだ顔をして、二回生はもうすぐ卒業という先輩の貫禄を漂わせている。


 校舎前のだだっ広いロータリーに馬車を停めて降りる彼らは、大抵が自分の婚約者を乗せていた。

 だからロータリーから続くエントランスホールでは、毎日毎日朝っぱらからカップルに遭遇する事になる。




「カレン先生、おはようございます!」


 後ろから挨拶されて振り返ると、公爵令嬢のマージェリーだった。隣にはシリル王子。朝から麗しい二人だ。


「おはよう、マージェリー、シリル。今日は寒いわね」

「あら、そういえばそうですわね……馬車の中はとても暖かかったのに……」

「僕が君をしっかり暖めていたからね。ほら、おいでマージェリー。かわいい君が風邪を引くといけない」


 シリルは自分のマフラーを外し、マージェリーに巻いてやった。


「暖かいですわ……ありがとうございます。ですが、これではシリル様が風邪を引いてしまいます」

「もしそうなったら、君につきっきりで看病してもらおうかな」

「もちろんですわ! わたくし、すべてを投げ打ってあなたの元へ参ります!」

「嬉しいよ、マージェリー。君は僕の天使だ」

「まあ、シリル様ったら……」


 二人はしばしキラキラした空気の中で見つめ合った。


「……そろそろ生徒会の打ち合わせに行かないと。それでは失礼します、カレン先生」

「ごきげんよう、カレン先生」

「ええ、またね」


 私は苦笑して彼らの後ろ姿を見送った。

 他にも気付けば周り中カップルだらけで、いちゃいちゃとエントランスホールを埋め尽くしている。


「カレンせんせ、おはよ」

「あら、ハリー。今日は一人なの?」


 高級ブランドのトレンチコートを婀娜っぽく着崩したハリーに声をかけられ、私はきょろきょろとミアの姿を探した。ハリーとミアも毎朝一緒に登校しているはずだけど、彼女はどこにも見当たらない。

 ハリーはにこやかに言った。


「ミアはテニス部の朝練があったから、ここで待ち合わせ。もうすぐ大会なんだって……あ、来た来た」


 ハリーの言う通り、ダダダダダッとこちらに駆けてくる音がしたと思ったら、テニスウェア姿のミアがものすごい勢いでハリーに抱きついた。


「ハリー! おはよう! 一緒に登校できなくて寂しかったわ!!」


 ハリーもひしと彼女を抱きしめて、愛おしそうに言った。


「俺も会いたかったよ、ミア。あ、今度の大会は俺の両親も応援に行くから。親父が心理戦での相手の打ち負かし方を教えるって張り切ってたぜ」

「ほんと? 宰相様のノウハウを伝授してもらえるなんて、もう勝ったも同然ね。私、必ずあなたとあなたのご両親に勝利をプレゼントするわ!」

「楽しみにしてる」


 ハリーはそう言うと、ちゅっとミアの頬にキスをした。

 照れるミアに、ハリーは甘いまなざしを注ぐ。

 周囲の空気がキラキラと輝き出した。


「や、やだ、ハリーったら、こんな所で……あっ、カレン先生、おはようございます! 先生も私の試合、見に来てくれますか?」

「おはよう、ミア。そうね、応援に行かせてもらおうかしら」

「やったあ! いい席を用意しておきますね」


 二人はぴったりと寄り添いながら去って行った。





 職員室での朝のミーティングを終え、保健室へ向かう。

 保健室の前の廊下で、ユーフェミアが待っていた。

 彼女はあの盗難騒ぎを引き起こした罰として、マクドゥーガル学院長から半年間の慈善活動を命じられた。

 それ以来、朝と放課後に、保健室で私の手伝いをしてくれている。


「おはよう、ユーフェミア」


 保健室の鍵を開けながら言うと、ユーフェミアはつまらなそうにぼそっと返した。


「おはようございます」

「いつも早いわね。ご苦労様」

「何それ、嫌味ですか? やっぱり悪役ですか? ヒューイット先生に嫌われちゃいますよ」

「ただの挨拶よ。それにヒューイット先生は関係ないでしょう」

「はい、別に全然興味も関係もないです。アラサーの先生の恋愛事情とかほんとどうでもいいです」

「誰がアラサーよ」


 中に入り朝の準備をしながら、いつも通り彼女の憎まれ口を軽くいなす。


「……ああ、そうだ。昨日まとめてもらった全校アンケートの結果、すごくわかりやすかったわ。添付してくれたグラフも丁寧に色分けしてくれて見やすかったし。ありがとう、ユーフェミア」


 ユーフェミアは薬剤の棚の方を向いたまま固まった。

 見ると、白い頬がほんのりと赤く染まっている。

 私が見ているのに気付くと、眉を逆立てて怒ったように言った。


「そっ、そんなの、いちいち褒めてくれなくていいです! こっちは仕方なくやってるんですから! なんなんですか、もう」

「ふふ……あなたがいてくれて、本当に助かるわ」

「!!」


 ユーフェミアはすごい勢いで九十度顔を背けた。


 たぶん彼女は、根は真面目ないい子なんだ。

 養父のどす黒いプレッシャーに負けずにがんばってほしい。


「……仕事が終わったので、失礼します」

「ええ、どうもありがとう」


 デスクから顔を上げてにっこり笑うと、扉から出ようとしていたユーフェミアはぴたりと動きを止め、じっと私を見た。


「カレン先生……ヒューイット先生がいらないなら、私が奪っちゃいますよ?」

「えっ?」


 ユーフェミアはそれだけ言うと、ふっと笑い、扉から出て行った。

 ……やっぱり一筋縄ではいかない子だ。




 それからは、まったく仕事に集中出来なかった。

 別にユーフェミアに言われたからじゃないけど、ヒューイット先生に会って、ずるずると先延ばしになっていた告白の返事をしないといけない。


 断りの返事を。





 その日の夕方、私はヒューイット先生を学院前の並木道の横にある公園に呼び出した。

 公園と言っても、ベンチだけが置かれたささやかな広場だ。

 下校時刻はとっくに過ぎているから道を行き交う馬車はなく、通行人の姿もない。あるのは、空高く金色の葉をなびかせて立つギムネリアの並木だけだ。


「きれいだね。今度ここで合唱部の練習をしようかな」


 ヒューイット先生が大きく伸びをする。


「いいですね」


 私はほほえんだ。ここに合唱部の生徒達を連れてきて、わいわいと楽しそうに練習するヒューイット先生の姿が目に浮かぶ。

 ふいに沈黙が訪れ、私は急いで口を開いた。


「ヒューイット先生、先日はロクシー理事への対応、本当にありがとうございました。おかげでクビにならずに済みました」

「いいよ、お礼なんて。当然の事をしただけだから。それに僕も、カレン先生がいなくなったら困るし」


 ヒューイット先生が笑って言った。

 私に向けるまなざしは優しくて、その奥に、期待と不安が少しずつ混じり合っている。

 私はごくりと唾を飲み込んだ。


「……私を好きだと言ってくださった事も、嬉しかったです」

「うん」

「ですが、私は保健室の先生の仕事が好きで、続けたいんです。だから」

「ぜひ続けてくれ」

「へっ?」

「相手の話を親身に聞いたり、助けようと努力する君はとても素敵だ。君がそうしたいなら、もちろん結婚後もここで働いてほしい」


 予想外の言葉に、私は目を点にした。


 ヒューイット先生は国王の甥。

 末端貴族の私など本来なら一生お目にかかれないような、やんごとなき方だ。

 そんな雲の上の大貴族と結婚なんてしたら、絶対に仕事は続けられない――そう思っていたのに。


 何も言えずにいる私に、ヒューイット先生は初心者の生徒に楽器の弾き方を教えるように、辛抱強く言った。 


「僕は三男で家を継ぐ必要はないし、この通り音楽教師という好きな仕事をさせてもらってる。父も母もかなりおおらかな人なんだ。だからその点は安心して。堅苦しい事は一切言われないから」

「それは……でも……あの…………すみません、ちょっと混乱してます」

「うん、大丈夫。待ってるから」


 額を押さえた私にいたわるようなほほ笑みを向けると、ヒューイット先生は言葉通りポケットに手を突っ込んで空を見上げたりしていた。

 その間に私は急いで頭の中を整理する。




 「保健室の先生」を続けたいから、ヒューイット先生の告白は最初から断るつもりだった。


 これでも小さい頃から努力を重ねてきた。勉強はあまり好きじゃなかったけど、必死にがんばっていい成績をキープしてきた。絶対に手に職をつけて将来は家を出ようと心に決めていた。


「私」は前世は天涯孤独だったけど、「アメリア」として生まれたこの人生では、幼い頃から両親の仲が最悪だった。


 辺境の領地にある屋敷の中は、いつも息苦しかった。父と母がいつケンカを始めるか、私と兄は毎日気が気じゃなかった。父も母も相手にあてつけるようによそに恋人を作って外泊して、顔を合わせれば激しいいさかいを繰り返した。

 離婚すればいいのにとずっと思っていたけど、両親はロクシーのように体面ばかり気にする性格で、夫婦仲は冷え切っているのに決して別れようとはしなかった。

 結果、私達きょうだいは、だだっ広い屋敷になかば放置されて育った。田舎だし使用人はみんな見て見ぬふりで、頼れるのは医師のメイシー先生だけだった。


 女性だけど医師のメイシー先生は、独身のきびきびした先生で、カレン家の主治医でもあり、私と兄の通っていた学校の校医でもあった。

 彼女はきちんと私の目を見て対等に話してくれた。色々な事を教えてくれた。楽しそうに仕事をする姿はかっこよかった。私は彼女に憧れて、子どもたちの健康を守る仕事に就きたいと、保健室の先生になった。


 だから音楽堂でロクシーの横に立ち唇を噛むユーフェミアを見て、私は自分の昔の姿を思い出し、彼女に手を差し伸べたくなったんだ。メイシー先生が私にそうしてくれたように。


 そしてメイシー先生と同じように、私も結婚はしないつもりだった。

 前世でも今生でも、「先生」である事は他にこれといった取り柄のない私の唯一の矜持だったし、養護教諭の仕事も生徒達の事も好きだった。結婚して仕事を辞めるのは嫌だった。両親のようになるのはもっと嫌だった。




 だけどもしも、仕事を続けながら大好きな人とずっと一緒にいられる――そんな、嘘みたいに幸せな未来があるとしたら?


 私にそんな未来を与えられる男性なんて、たった一人しかいない。


 差し出してくれたあの手を取りたいと、本当は心の底で、ずっと願っていたから。




「ヒューイット先生」


 私は思い切って名前を呼んだ。

 振り返った彼は、キャラメル色の瞳で私を見つめた。


 その瞬間。

 キラキラとしたあの甘い空気が辺りに立ちこめるのを感じた。

 今朝エントランスホールで何度も受動喫煙のように吸わされた、あの空気だ。

 生徒達に何度吸わされようと、私自身はこの空気に免疫ゼロだった。


 わわ……顔が熱い……体も熱い……冬なのになぜ?

 今すぐあのギムネリアの木の影に隠れたい。ていうか走って逃げたい。いや逃げちゃダメだ。大人なんだから。


「あ……あの……私……」

「うん」

「……その……ええと…………」

「…………」

「…………」

「…………………………いい、天気ですね……」

「……そうだね……」


 自分の恋愛経験値の低さを今ほど呪った事はない。

 ヒューイット先生はそんな私を見て眉根を寄せ、一歩近づき、問いかけた。


「断ろうとして困ってる?」


 私はぶんぶんと首を横に振った。

 ヒューイット先生は心底ほっとしたという風に息を吐くと、再び質問した。


「僕の事が好き?」


 全身を火で炙られたようになりながら、私は消え入りそうなたった一言を、なんとか絞り出した。


「……はい……」

「っ!! カレン先生……君は本当に、なんてかわいいんだ……」


 ヒューイット先生はアカデミーでは絶対に見せないような無防備な顔になり、ぎこちなく固まったままの私を引き寄せ、そっと抱きしめた。

 耳元に、低く甘い声が囁く。


「大好きだよ、カレン先生。僕のアメリア……」


 不意打ちで名前を呼ばれて心臓が止まりそうになる。

 そんな私を間近で見つめ、ヒューイット先生はとても幸せそうにほほ笑んだ。


 それは、私が大好きな笑顔だった。




 気持ちのいい風が吹いて、青い空から無数の金色の葉が、ひらひらと祝福の紙吹雪のように舞い落ちてきた。




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