第10話 翼
「それじゃ、ユーフェミアはカレン先生のデスクには触ってないんですね?」
私の部屋のアームチェアに優雅に座ったシリルが、探偵のようにそう確認する。
ベッドに座った私の両隣にミアとマージェリーが腰をかけ、ハリーは鏡台の前のスツールで長い足を組んでいる。
「ええ、そうよ。保健室にいる間、彼女はデスクには近付かなかった」
「カレン先生の目を盗んで、こっそり引き出しに入れたりとかは?」
ミアが尋ねたけど、私は首を振った。
「無理だと思うわ」
ハリーが腕を頭の後ろで組んで、呟いた。
「そしたら、ユーフェミアが来る前か後って事か。カレンせんせ、今日保健室に来たやつら、全員教えてよ」
「ええ……今日はまず一時間目に貧血の女子生徒が保健室に来て、すぐに家に帰したわ。それから二時間目にユーフェミアが来て、最後は五時間目に男子生徒が二人。一人は腹痛だと言って、一人はその付き添いで」
「一時間目の貧血の方がデスクに財布を入れた可能性はありそうですの?」
「いいえ、本当に具合が悪そうだったし、そのまますぐに馬車を呼んでその子の家に帰したわ」
「その時、保健室を留守にしましたか?」
シリルが尋ねたけど、私は首を振った。
「ちょうど用務員さんが通りかかったから、彼女を馬車まで送ってもらって、私は保健室から出なかった。それ以外の時間も、お昼にカフェテリアに行った時以外は保健室にいたし、その時もしっかり施錠を確認してから行ったわ」
「それじゃあ、五時間目の男子生徒達が怪しいわね。うちのクラスですか?」
「いいえ。隣のクラスの、ケビンとマックスよ」
「……その方達、ユーフェミアのファンクラブの会員ですわ!」
マージェリーが鋭く言うと、他のみんなも頷いた。
「それ、十中八九ぐるだよな。一人が診てもらってる間に、もう一人がデスクにユーフェミアの財布を放り込んだとか? カレンせんせ、その時の状況は?」
「ええと……腹痛を起こしたのはケビンよ。彼を診察している間、マックスは私の背後にいたわ」
「怪しいですわね。ケビンは仮病で、マックスがデスクに財布を入れたのかも……」
「よっしゃ! じゃ、早速吐かせに行こーぜ」
「待て、ハリー。二手に分かれよう。個別に追い詰めた方が吐かせやすい」
シリルがさらりと不穏な事を言った。さすがは第二王子、こういう事態には慣れているのかもしれない。
でも校医としては生徒達の身が心配だった。
「私もあなた達と一緒に行くわ」
四人は顔を見合わせた。
ハリーがにこやかに言った。
「気持ちは嬉しいけど、今日は引率はいらないよ?」
「そうそう、安心してここで待っててください、カレン先生! うちで雇ってる傭兵団、まるごと連れて行っていいってパパが言ってましたから」
ミアが笑顔で物騒な台詞を吐く。
「そうですわ、心配ご無用です。わたくしの母も、必要なら王宮で近衛騎士をしている七人の従兄弟達を全員呼んでいいと申しておりました」
マージェリーもにっこり笑って言った。
危険なのはむしろ、ケビンとマックスの命のようだ。
私は念の為に言った。
「……ケビンとマックスにも、ケガはさせないようにね?」
四人は再び顔を見合わせ、取って付けたような笑顔で「はーい」と返事をした。
◇
彼らが帰ってしばらく経った頃、家の外から、ガサッと物音がした。
私は窓の外を覗いた。
薄闇の庭に、一人の男のシルエットが見える。
その男は、庭を行ったり来たりして怪しげにうろつき、うちを訪ねるようなそぶりは見せない。
「泥棒……? それとも、ロクシー家の手先かしら……あっ!」
よく見ると、その茶色い髪の男はヒュ-イット先生だった。
私は急いで家の外に出た。
彼は私の姿を見ると、ぎくりと体を強張らせた。
「ヒューイット先生? どうしたんですか?」
「あ……ごめん、家の周りをうろついたりして。なかなか呼び鈴を押す勇気が出なくて」
「勇気? ……もしかして、私がロイヤルアカデミーをクビになったと伝えに……?」
「違うよ、そんな事にはなってない! 学院長は手を尽くして、君を助けようと動いてくれているよ」
「学院長が……」
にわかには信じられなかった。
厳格の権化のようなあのマクドゥーガル学院長が、私を助けようとしてくれているだなんて。怖そうに見えるけど、本当はとても公正な人なんだ。今度から野菜チップスにカボチャを増量してあげよう。もしアカデミーに戻れたらだけど。
ヒューイット先生は私にまっすぐに向き合い、真剣な顔で言った。
「もちろん僕も君の味方だ。絶対になんとかするから、心配しないで待ってて」
「ヒューイット先生……」
それを言うためにわざわざ来てくれたんだろうか。
ぽっと火が灯ったように胸が熱くなり、翼が生えたみたいに体中がふわりと軽くなった。
この人が私を信じてくれるなら、もう何があっても大丈夫だと、そんな気がした。
私は心からほほ笑んで言った。
「ありがとうございます、ヒューイット先生」
「好きだ」
唐突にヒューイット先生が言った。
私は目を丸くした。
「ごめん、君が困っている時にこんな事を言うのはどうかと思ったんだけど……君の顔を見たら我慢出来なくて。初めて手当てしてもらった時から好きだった。大好きだ。僕と結婚を前提に付き合ってほしい」
「…………あの……」
「待って、今は返事しなくていいから! 君の冤罪が晴れた後でいい。その時まで、考えておいてくれるかい?」
私は彼を見上げた。
辺りはとても静かで、お互いの胸の鼓動まで聞こえてきそうな夜の中、私の声だけがやけに大きく響いた。
「はい」
ヒューイット先生は照れたようにほほ笑むと、それじゃあ、と言って帰って行った。
星空の下の後ろ姿を、いつまでも見送る。
後でいいと言われたけど、私の返事は、もう決まっていた。