9:完全治癒
残酷・不快な表現があります。
苦手な方はご注意下さい。
空色の髪を長く伸ばした少女が、虚ろな表情で膝を抱え、冷たい石の床に座りこんでいる。
ほとんど手入れをした形跡のない髪は艶もなくあちこちに跳ね散らかり、顔も手足も、着ている粗末な服も汚れ放題。
靴は履いておらず、裸足のその細い足首には枷が嵌められて、重そうな鎖で壁に繋がれている。狭く、殺風景で薄暗いその部屋は、まるで牢獄のようだ。
不意にガチャリと錠前の外れる音がして、部屋の扉が開いた。
部屋に入ってきたのは、4人。
痩せていていかにも冷酷そうな顔つきの30代の男、それより少し若くて逞しい体格の大男、それに40歳ほどの身形の良い商人風の男。
もう一人はまだ15歳にも届かないほどの少女で、大男の肩に担がれている。
「フィオナ、仕事だ」
「…………!」
痩せた男が言うと、空色の髪の少女の肩がぴくりと跳ねた。
同時に大男が、肩に担いでいた少女を無造作に硬い石の床へ投げ落とす。
酷く乱暴な扱いを受けた少女は、しかし悲鳴ひとつ上げることはない。いや、もう悲鳴すら上げられるような状態ではない、と言った方がいい。
下着一枚も身につけていない、全裸のその少女の体のあちこちには痛々しい痣があり、血の滲むミミズ腫れがあり、果てはぱっくりと開いた切り傷すら見える。
細い指は何本か折れてあらぬ方向を向いていて、爪もほとんどない。目の焦点はどこにも合わず、ただ浅く速い呼吸を繰り返している。
また少女の左肩には複雑な魔法陣が刻まれている。『隷属紋』と呼ばれるこの刻印は、魔法によって人の意志を縛り奴隷化するもので、ほとんどの国家で違法と定められている。もちろん、この国でもそうだ。
つまり少女はこの隷属紋によって自由を奪われ、異常者たちの倒錯的で凶暴な欲望の捌け口にされているのだった。
フィオナ、と呼ばれた空色の髪の少女は、少しだけ顔を上げて目の前に転がされた無惨な状態の少女を見る。
しかしその表情は変わらず、虚ろなままだ。
「こいつはまだ元が取れていない。いま死なれると大損だ。早く治せ」
痩せた男のその声に反応を見せたのは、フィオナではなく、全裸の少女の方だった。
その唇がかすかに動いて、フィオナに何かを伝えようとしている。衰弱しきっているために声は出なかったが、それでもフィオナには彼女が何を言おうとしたのか、はっきりと分かっていた。
……このまま、死なせて。
フィオナには、幼い頃から特別な能力があった。
それは、【完全治癒】という魔法を使えることだ。
効果は文字通り、あらゆる怪我や病気を、程度に関わらず完全に治癒させるというもの。手足はもとより大部分の内臓の欠損まで回復させることのできるこの魔法は、当然ながら治癒魔法の最上位に位置する。
ただし、神聖魔法に属するこの【完全治癒】は、使い手が極端に少ない。
この魔法を覚える者自体が少ないのはもちろんだが、そもそも神聖魔法というものは、魔法を覚えたあとも清廉潔白に生きていかなければたちまち使い手としての資格を失ってしまうからだ。
だから、聖職者になって厳しい戒律の元で生活を送らない限りは、10代の早い段階で神聖魔法を使えなくなることが多い。
辺境の小さな村で生まれ育ったフィオナは、10歳の頃にこの【完全治癒】を覚えた。
両親をはじめ村人はこぞって「聖女の誕生だ」と大騒ぎし、彼女は12歳になれば近くの街の修道院に入ることが決まっていた。
神聖魔法の使い手として聖職者になることは大変な名誉であり、また生活や地位も保証される。寒村の農民の娘として生まれた彼女には、これは願ってもない事だった。
しかしフィオナが12歳を目前に迎えた年の春、彼女の村に災厄が訪れた。盗賊団の襲撃だ。
彼らは村の大人たちを容赦なく殺し、無抵抗な女と子供は非合法な奴隷として売買するために捕えられた。
両親を殺され囚われの身となったフィオナも、もちろんそうなる運命だったが、傷を負った村人たちを神聖治癒魔法で治療しているところを盗賊団の頭目に目撃されたため、彼女だけは『特別な商品』として扱われることになった。
それから今までおよそ3年の間、彼女はここでこうして異常者たちに玩具にされ、ぼろ布のように扱われた少女たちの治療をしているのだ。
……彼女たちに、また次の客の相手をさせるために。
「さっさとやれ、この愚図が!!」
「……ッ!」
いっこうに動こうとしないフィオナの態度に業を煮やした痩せた男が、床に転がされた傷だらけの少女を容赦なく蹴りつけた。
痩せた男は続けて2度、3度と裸の少女を足蹴にする。それを見た商人風の男が、心配そうに口を開いた。
「おいおいロバートさん、そのくらいにしないと本当に死んでしまうぞ?」
「なに、心配いりません。こうするのが一番手っ取り早いんですよ。それにお客さん、あんたがこの娘にした事に比べればこの程度、どうって事ないでしょう?」
「……まあそれは確かに、そうとも言えるか」
そう言って痩せた男と商人風の男は、今にも息絶えそうな少女の姿をニヤニヤと厭らしい薄笑いを浮かべながら見下ろしている。
その後も痩せた男、ロバートの不条理な暴行は続く。そしていよいよ少女の瞳から光が失われようとしたその時、フィオナが少女の体に覆い被さって彼女を庇った。
「……治すから、もう……やめて」
「最初っから素直にそうしておけばいいんだ。まったく、余計な手間をかけさせやがって」
ようやく暴行を止めたロバートが、ペッと唾を吐いて退がる。
フィオナは少女の隣に座り直し、その額にそっと手を触れて強く念じた。……あるべき姿を取り戻せ、と。
その瞬間、フィオナの全身をくまなく激痛が襲う。彼女は治癒を行う際、その相手の苦痛を共有してしまうからだ。
いつものことだ。これまでここで何百回も繰り返してきたこと。……とは言うものの、この苦痛に慣れることはない。
身体中をバラバラに引き裂かれてしまいそうな痛みに顔を歪めるが、それでも、彼女が感じているのはこの少女の今現在の苦痛だけだ。傷付けられた直後の痛みや恐怖は、もっと遥かに大きいに違いない。そう思い、歯を食いしばって激しい苦痛に耐える。
「……っく、んんぅ…… ふぅっ、……ん……ぅぅ…… くぁっ……」
泣き叫びたいのを堪えて額に汗を滲ませ、目尻にはじわりと涙が浮かぶ。そして全身を苛む痛みに身悶えしながら、小さく声を漏らし続ける。
その姿は、一部の特殊な性癖の持ち主にはたまらなく扇情的に見えるらしい。
「おおっ、これは堪らんな。声を聞くだけでぞくぞくする。無愛想なのも痩せぎすなのもまさに好み通りだ。ロバートさん、この青髪の娘は客を取らんのか?」
「そいつは勘弁してください。こいつは神聖魔法の使い手ですよ、穢れはご法度です。そのために隷属紋も刻んでないんですから」
「ふぅむ、そいつは残念だ。……おお、もうすっかり治って綺麗になったぞ、凄いものだな。……では青髪の娘の代わりに、もう一度この娘で遊ぶとしよう。それならいいかね?」
「構いませんが、今度はもうちょっと丁寧に扱ってくださいよ。ここに連れてくるまでに死なれちゃ困りますんでね」
「分かった分かった。さ、それじゃ頼むよ」
商人風の男の合図で、大男が砂袋でも担ぐようにぞんざいに裸の少女を持ち上げた。その体にはもはや擦り傷ひとつすら残っていないが、瞳は依然として焦点を結んでいない。
治療を終え、床に座ったまま項垂れるフィオナを残して3人の男が部屋を去り、ガチャリと鍵の閉まる音がする。
「……んくっ、ふぅうっ、……ぅえっ、……ご、ごめ、……ごめんなさいぃ……」
その足音が十分に遠ざかってから、フィオナは涙を流し、嗚咽を漏らした。
お読みいただき、ありがとうございます!
もしもこの作品を読んで面白そう、と思われた方は、
ブックマークやこの下の★★★★★マークで応援して下さい!