39:関係ありませんけど。
能天使ですっ! なんと私以外の能天使がいました! これは凄いことです!
しかも私たちとは違って男の子! ……こほんっ。いえ、性別の違いにはそれほど大きな意味はありませんが。
当のアレックスさんは否定してますけど、悪人を浄化する能力の持ち主なんて能天使の他にはいないと思いますし、まず間違いありません。
私の一族以外にも能天使はいる、というお話は以前お祖母様から聞かされていましたが、そのお祖母様ご本人も、またお祖母様のお母様も、そしてもちろん私のお母様も、実際に出会ったことはないそうです。
ですから、アレックスさんは少なくともここ100年ほどで唯一の、「グッドシーダー」の名を継ぐ者が出会った能天使という事になります。
フィオナさんが力天使でないと分かった時はかなり気落ちしてしまいましたけど、アレックスさんのお陰で今はそれをすっかり取り戻したような気持ちです。
私の一族は、王国建国の昔からずっと、人知れず悪と戦い続けてきました。
そのための能力を受け継ぐ者は、なぜか必ず本家の長女と決められています。ですから私も小さな頃から次代の能天使として育てられ、特殊な訓練を受けてきました。
そして私がその力を認められ、「グッドシーダー」の名とそれに付随する数々の権限をお母様から委譲されたのは、11歳の時です。なんとあの厳格なお祖母様からも異例の若さだとお褒めの言葉を頂きました。えへん。
お祖母様からお母様、そしてお母様から私へと代々受け継いできたように、次代に能力と名を継承すると、その人はもう能天使ではなく只の人となります。……と言っても悪人浄化と聖邪を見抜く能力を失うだけなので、お母様は相変わらず私よりもお強いですけれど。
そうして、継承によって能力を失った者が一族の当主となる慣わしなので、一族の現当主はお母様であり、私の家系では初代からずっと女当主が続いています。
……と、私の一族ではそうなっているのですが、アレックスさんの場合はまた事情が違うようです。
まず、その能力が誰かから受け継いだものではないと言うこと。
諜報部からの報告では、アレックスさんはアルテアで冒険者を始める前には、リゼックという街の孤児院で暮らしていたそうです。ご両親は、アレックスさんが物心つく前にお亡くなりになっています。
仮にご両親のどちらかが能天使だったとしても、まさか2歳や3歳の子供に能力を継承したりはしないでしょう。
……あ、ちなみにメリッサさんもこの同じ孤児院のご出身のようですね。関係ありませんけど。
それに、悪事を暴き、正す、というような明確な目的をお持ちでないこと。
せっかく悪を倒す特別な能力を授かっているのですから、それを十全に活かさない手はないと思うのですけれど、これはもしかして私の一族の方が特殊なのでしょうか?
どうやらアレックスさんの第一の目的はフィオナさんの身の安全を守ることで、悪を倒すことはその手段に過ぎないように思えます。
やはり殿方には、私のように剣を持って戦う女よりフィオナさんのように物静かな女の子の方が好まれるものなのでしょうか? ……これも関係ありませんけど。
……そうです! かく言う私も、ロバートの一件ではアレックスさんに危ないところを救っていただきました!
それまではアレックスさんのことはギリギリ初級を卒業したあたりの中級剣士だと思っていましたが、あの大男を相手にした時の身のこなしや技の冴えは、間違いなく私に匹敵するほどのものでした。
その姿は思わず見惚れてしまうほど格好良…… こほんっ。……いえ、そうではなく、惚れ惚れするような…… けふんけふんっ。
と、とにかく、アレックスさんの実力は上級剣士レベルで間違いありません。
またお人柄についても、あれほどの剣の技量をお持ちでありながら決して奢ることなく、控えめな言動に徹しておられるところにとても好感が持てます。
今はまだ想像もできませんが、私もいずれお母様のように次代の能天使を産み、育てる事になるはずです。
ですから、もしも叶うならば、そのお相手には………… きゃああああぁぁーっ!
◇
頭から毛布を被って身悶えしているうちに、朝になってしまいました。
さすがに少し寝不足です。……けれど朝のお稽古は欠かせませんので、頑張って起きることにします。
顔を洗い、着替えてお屋敷の中庭で剣を振っていると、国軍特務千人隊長のギャバンさんが慌てた様子で駆けてきて、私の前に膝をつきました。
「姫様! 至急ご報告致したい事が……」
「ギャバン隊長、落ち着いてください。私がこの姿でいる間は、その呼び方は禁止のはずですよ」
「失礼しました! グッドシーダー卿、実は昨夜のことですが……」
部下を使わず、隊長であるギャバンさん本人が大急ぎで伝えに来て下さった情報は、国軍が押さえていたロバートの身柄に関するものでした。
領主キャストール伯爵による、犯罪者ロバートの領軍への引渡し要求。その要求自体は正当なものです。
ですが、同時にギャバンさんが報告してくれた内容を踏まえると…… これは大急ぎで奪還に向かう必要がありそうです!
「この件について、オズワルドに気付かれないよう伯爵に確認を! 私は協力者のところへ行ってきます!」
「はっ! 直ちに!」
思わず言ってしまってから自分でも驚いたんですが、協力者って、アレックスさんのことですよね!?
……ま、まぁ確かに彼は戦力としてとても頼もしいですし、それになんと言っても私と同じ能天使なんですから、オズワルドの悪辣さを知れば快く協力して下さるはずです!
そう、そうです! そうですよっ! だからお誘いするんです! 決してもう一度お会いしたいからとかそんなつもりではありませんっ!
でも折角ですから、この機会にもう少しだけでもその、……お話とか、できればいいですよねっ!?
◇◆◇
「やあロバート、救出が間に合ったようで何よりだ」
「申し訳ありません、オズワルド様。お手数をお掛けしました」
キャストール伯爵城の奥まった一室で、痩せた冷酷そうな目つきの男ロバートが、深々と頭を下げた。
時間はまだ夜明け前。ロバートはたった今、国軍から解放されてこの城に移送されたばかりだ。
「なに、警戒することはないよ。別に私は口封じのために君を国軍から取り寄せたわけじゃない。君が多少の拷問を受けたくらいで簡単に顧客の情報を垂れ流すような人物だとは思っていないよ。私の目的は、君の持つあの魔道具の入手経路だ。これからまだまだ数が必要になるからね」
「畏れ入ります」
「それにしても、国軍も無茶なことをするものだ。聞けば、ろくに物証もないのにいきなり踏み込んできたそうじゃないか。とてもあの生真面目な組織のすることとは思えないね」
「それが…… 国軍部隊の出動は商業地区で起きた抗争の鎮圧のため、というのが建前のようでして…… 私どもがしてやられた相手は、能天使です」
ロバートが苦笑を浮かべてそう答えた。
実は昨日のロバートの娼館襲撃は、ロバートたちと対立する反社会組織との抗争、という形にされてしまっている。
そしてその鎮圧に国軍部隊が赴いたところ、たまたま建物内で禁制の魔道具や奴隷化された少女たちが発見されてその違法行為が明らかになった、と言うわけだ。
したがって公式な報告書の中に、最初に娼館を襲った3人の少年少女たちに関する記録はない。
「能天使? 聞かない名前だけれど、それは国軍の特殊部隊か何かかな?」
「詳しいことは私も存じません。ただ、旧くから私どもの業界にこんな箴言があるのです。……曰く、能天使を名乗る者とは決して事を構えるな、と。……とは言うものの、ああも問答無用に襲い掛かられたのでは、避けようもありませんでしたが」
「なるほどね。それは私も心に留めておくことにしよう。……時にロバート、私が君から購入したあの魔道具を何に使っているかは知っているかい?」
「……いえ。オズワルド様のようなお客様に対しては、そのような詮索はしないよう心掛けておりますので」
「それは賢明なことだね。だけど今日はそこを曲げて見てもらおう。私の自慢の作品たちだよ。……入っておいで」
オズワルドが声をかけると、部屋の奥の扉が開いて10人ほどの少女たちが入ってきた。年齢は全員15歳から20歳ほどで、皆一様に無表情で瞳に光がなく、そして一糸まとわぬ全裸だ。
その光景に、彼女たちの左右を囲む5人の若い兵士たちが目のやり場に困って視線を泳がせている。
しかしその艶かしい姿の女たちを見て、ロバートの冷酷そうな目はより一層鋭く細められた。
「へぇ、流石だね。見ただけで分かるかい?」
「いえ。しかし、そのような事が可能であるという話は耳にした憶えがあります。……強化人間、でございますか?」
「あははっ。それはなんとも無粋な名だね。私は死を導く乙女と呼んでいるよ」
オズワルドはそう愉快そうに笑い、続いて彼女たちに施した加工について得意げに語り始めた。
奴隷化の魔道具というのはそもそも、人の無意識の領域に働きかける作用を持つものだ。隷属紋を刻まれた者は無意識レベルで主人への抵抗心を失い、その命令に対して絶対服従となる。
その作用を利用して、人が本能的に自分自身に対して掛けている幾つかの制限を外してしまおうという試みが、強化人間、または死を導く乙女の下地となる。
他人を害する事、そして自分自身を傷つけることへの忌避感を取り払い、痛みや恐怖をなくし、人が本来的に持っている嗜虐性を増幅させて表面に出す。
それと同時に通常であれば危険なレベルの魔法による身体強化を施せば、自分自身が発揮する力で靭帯や腱を切り、骨を潰すことも厭わずに敵を攻撃し続ける狂戦士の誕生となる。
またその上で、隷属紋の効果として主人に対しては従順という、理想の兵士が完成するわけだ。
素体がすべて若い女で、しかも全裸であるのは、高い俊敏性の確保と同時に敵からの攻撃の躊躇を誘うためのものらしい。
まったく良い趣味をしておいでだ、と、ロバートは注意深く面には出さずに溜め息を吐いた。
「ここにいるのが半数、残りの半数は既に城内各所に配置済みだ。彼女らが100人もいれば、王宮を陥落させることも不可能じゃないと考えているよ。……だけど先ずは無害なだけが取り柄の我が兄上と、そんな無能を伯爵家の後継者に選んだ父を始末して、この城を手に入れるとしようか」
「…………」
恍惚とした表情でそう締め括ったオズワルドを、ロバートはただ静かに見つめていた。
◇
「何だ、何なんだよアレはっ!?」
「伯爵様をお守りしろ!!」
「どうあってもここより先へは通すな!」
「見た目に惑わされるんじゃない! 魔物の一種と思えっ!!」
鎧を着込み、剣と盾を装備した何人もの勇猛な重装兵が、異様な敵を前にしてジリジリと後退を続けている。
不気味にゆらゆらと左右に揺れながら近付いてくるのは、表情の抜け落ちた全裸の少女たちだった。その数は5人。
彼女らの体のあちこちの皮膚が裂け、血を流しているのは、兵士たちの攻撃が奏功したためではなく、その細い手足を硬い鋼の鎧に容赦なく叩きつけることで幾人もの兵士を屠ってきたせいだ。
「わあぁっ!」
「ヒッ!?」
全裸の少女たちが、突然後ろから何者かに突き飛ばされたような不自然な動きで、一気に兵士たちとの間を詰める。
その動きは恐ろしく速くまた不規則で、迎え打つ剣は掠りもしない。
そして直後、耳を覆いたくなるような不快な音と共に、彼女たちの生身の腕や脚が兵士たちを襲う。ぐしゃり、べちゃ、と音が鳴るたびに鋼鉄の盾や鎧がひしゃげてゆく。信じ難い光景だ。
驚きや恐怖に思わず動きを止めてしまった兵士には、兜の僅かな隙間から細い指が差し込まれ、それが迷いなく急所を抉って確実な死がもたらされた。
そうしてひとつ、またひとつと重装兵たちの死体が床に転がってゆき、結局少女たちの数を一人も減らせないまま、彼らは全滅した。
「お、おのれオズワルドめ、何を血迷って…… ヒィっ!? ち、近寄るなぁっ!」
部屋の奥にただ一人残った立派な身形の男が、動転したのか机の上に置かれていたランプを目の前の床に叩きつけた。
火の着いたままのランプは壊れ、油が流れ出して毛足の長い高級そうな絨毯を燃やす。男はその火種に次々と物を投げ込んで火勢を強めようと足掻くが、しかしその程度の炎で少女たちが怯むはずもない。
一人の少女があっさりとそれを踏み越え、それ以上ろくな抵抗もできない男の両眼を抉り、頸動脈を噛み切った。
男は両眼と首筋から大量の血を流しながら床に倒れ、すぐに動かなくなる。
それが、現当主キャストール伯爵の最期だった。
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