37:なによ、イヤなの?
並んで歩くと無意識にメリッサとフィオナの匂いを嗅いでしまいそうだったので、僕だけわざと少し前を歩いて、アパートの部屋へ戻る。
けれど部屋に入った途端、そんな僕の涙ぐましい努力は無意味だったことを思い知った。
とにかく部屋が狭いから、3人で中に入ればもう、どうしたって彼女たちのいい香りからは逃げられない。
いや、いい香りなんだから別に逃げられなくたって僕にとって損はないって言うか、ぶっちゃけどちらかと言えば嬉しいんだけど、ついつい大きく息を吸ったりとかしちゃって恥ずかしい、みたいな…… ね?
そんな僕のドキドキを知ってか知らずか、フィオナは部屋に入るとさっさといつものベッドの上に座り、自分の太ももをぺちぺちと両手で叩いた。
「アレックス、いつもの。……来て」
えええぇっ!? ひょっとして今日もするの!?
そしてフィオナのその姿を見て、メリッサが強ばった笑顔で僕に尋ねる。
「……アル? いつもの、って、何?」
「えぇーっと…… 一応日課みたいなものなんだけど、治療行為って言うか…… フィオナの治癒魔法?」
「えっ、それってまさか【完全治癒】のこと!? 日課って…… 大商人や貴族でもなければ術者に会う機会もない最高位の神聖魔法を、毎日掛けてるの!? 怪我もしてないのに!」
「……まぁ、そういう事になるかな?」
「治す怪我はなくても、治療すると疲れが取れる。それに、アレックスが気持ちよくなってぐっすり寝られる」
「そんな理由で……? セシリアの強さもそうだけど、なんかもうデタラメよね、あんたたちって……」
メリッサが呆れ顔で肩を落としている。
確かに、僕ももう慣れちゃって感覚が麻痺してるけど、本来この【完全治癒】は極端に術者が少なく、それ相応のコネとお金がなければ掛けてもらうことのできない治癒魔法だ。
それを疲労回復と安眠のために毎晩、時には一日に何度も掛けてもらっているって言うのは、とんでもないことだよね。
だけどメリッサ、デタラメさでセシリアと比べるのはやめてよ。
僕たちもそれなりに非常識なのは認めるけど、それでもあそこまでじゃないと思うんだ。
「……まあいいわ。これも滅多にない機会だし、せっかくだから見学でもさせてもらうわよ。……ってちょっと! なんで膝枕!?」
あっ、しまった!
考え事をしてたらついうっかり、いつものようにフィオナの太ももに頭を乗せて横になってしまっていた。
「……こうすると、魔法を掛けやすい」
「………………そうなの?」
「そう」
フィオナが真顔でそう言い切った。でも絶対嘘だ。
それに対してメリッサが胡乱そうな表情で何か言ってるけど、その時にはもうフィオナの魔法が発動していて、僕はとろんとした心地良さの中で眠りに落ちて行くところだった。
◇◆◇
……朝だ。今日もフィオナのおかげでよく寝られた。
うぅん、と一つ伸びをして寝返りを打ち、横向きの姿勢になる。フィオナは今朝は僕のお腹を枕にはしていなかったようだ。
彼女を起こさないようにそっとベッドから降りようとして目を開けると、僕のすぐ目の前に鮮やかな赤い癖っ毛が散らばっていて、碧い大きな瞳とばっちり目が合った。
「わっ。……め、メリッサ!?」
「あ。……うー、えっと、……お、おはよう、アル」
ええっ、メリッサも同じベッドで寝てたの!?
しかも僕が急にメリッサの側に寝返りを打ったせいか、彼女の顔はもうほんの十数cmくらいの近さにあって、身体の方はほとんど密着しちゃっている。
突然のことに驚いて硬直していると、見つめ合ったままのメリッサの顔が見る間にカァッと真っ赤になった。それと同時に彼女の髪の甘い花のような香りが意識に入ってきて、僕の頬も熱くなる。
「あ、あのね、アル。ベッドから落ちそうなの。もうちょっとそっちに行ってもいい?」
「そ、そうだね、狭いもんね」
場所を開けるために横になったままずりずりと後ろへ動くと、すぐに僕の背中が柔らかなものに当たって止まる。
この感触は、見るまでもなくフィオナだ。
「んぅ。アレックス……」
そのフィオナが寝ぼけて後ろから僕に抱きついてきた。さっきよりもっと柔らかな感触の何かが背中に押し当てられている。
そして前からはメリッサが、僕の胸に潜り込むようにもぞもぞとくっついてくる。うわぁ。うわわぁ……
「もうちょっとだけ寝ていたいから、それまでアルもここにいて?」
「う、うん」
メリッサが深呼吸をして温かい吐息が僕の胸をくすぐり、背中からはフィオナの体温が伝わってくる。上になっている僕の脇腹では、メリッサとフィオナがお互いの腕をはね除けようと小競り合いを始めた。
何なのこれ、二人とも起きてるの? 僕はどうすればいいの? ヤバい、ヤバいよ。自制心、自制心……
◇
「はい、アル。あーんして」
「あーん」
「アレックス、次はわたし。……あーん」
「あーん」
小さなベッドの上でメリッサとフィオナに挟まれ、必死に平常心を保つこと30分。
彼女たちがようやく起きる気になってくれて、その状況から開放された後には、また二人から食べさせてもらう朝食の時間がやってきた。
でもさ、昨日の晩ご飯はもう準備したあとだったから仕方ないとして、今朝は最初から3人だって事は分かってたよね?
なのに何で食器は二人分しか準備されてないのかな? それって何か、ちょっとおかしくない?
そのへんをやや遠回しに訊いてみると、
「なによ、イヤなの?」
「こうして食べると、いつもより美味しい」
そんな答えが返ってきて、僕に選択権はないことが分かった。
また、今朝のあの状況に関しては、やっぱり昨日の晩ご飯の時に二人の間で取り引きがあったらしい。
その内容は要するに、メリッサはフィオナが僕にご飯を食べさせることを邪魔しない。その代わりに、フィオナはメリッサが僕と同じベッドで寝ることを邪魔しない、と言うものだ。
それにしてもよく分からないのは、どうしてメリッサがそうまでして僕と一緒のベッドで寝たかったのかってことなんだけど、もしかすると彼女も久しぶりに昔を思い出して懐かしい気分にでもなったんだろうか?
でも、あの頃はメリッサも僕もずっと小さかったから良かったけど、今は二人ともかなり…… その、色んなところが変わっちゃったから、あんなにくっつかれると落ち着かないよ。
……まあ、だからってもちろん嫌なわけじゃないけどさ。メリッサは美人だし、ドキドキするようないい香りがするし。いや、いい香りと言えばフィオナだってメリッサとはちょっと違うけど、なんだかホッとするような匂いが…… って、なに考えてんだ僕は。
メリッサとフィオナに朝ご飯を食べさせてもらいながら、つらつらとそんな事を考えていると、突然勢いよく部屋の扉が開いた。
そこから慌てた様子で駆け込んできたのは、ちょっと変わった銀髪の少女、セシリアだ。
「アレックスさん、大変ですっ! ロバートきゃああああぁぁっ!?」
彼女は部屋の中の様子…… 僕が二人に「あーん」されているところを目にすると、悲鳴をあげて急ターン。あっという間に再び外に出て、扉を閉めてしまった。
……ずいぶんな驚きようだったけど、むしろ見られて悲鳴をあげたいのは僕の方だよ。恥ずかしい……
突然の騒ぎにメリッサとフィオナの手もぴたりと止まり、そこから数秒の沈黙。
すると今度はまるで何事もなかったかのように丁寧に扉がノックされ、僕の返事を待ってからそろそろと扉が開き、その隙間からセシリアが恐る恐るという感じで中を覗きこんできた。
「……お、お取り込み中、誠に失礼を致しました。お邪魔してもいいですか?」
「あー。大丈夫だよ、そんなに取り込んではいなかったから」
「邪魔ね」
「うん、迷惑」
「ひっ。す、すみませんっ!」
容赦なく本音を浴びせるメリッサとフィオナに、セシリアが恐縮のあまり挙動不審になっている。
あの空気を読まないセシリアでも、こんな風になることがあるんだな。これは新しい発見だ。
「いや、大丈夫だから。それで、ロバートがどうしたって?」
「あっ。そうでした! 大変ですアレックスさん! 昨日国軍が捕えたロバートの身柄を、領軍に横取りされてしまいました! どうやら、何か裏での繋がりがあったようですっ!」
「ええっ!? それってつまり、逃げられたってこと? そ、それで、どうするの?」
「はいっ。ですから、今から私とアレックスさんで領主のところへ乗りこんで、奪い返しましょうっ!」
「無茶言わないでよっ!?」
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