25:アレックスだけは違う
翌日の朝食は、女将さんの予告通りにとんでもないご馳走だった。
渡された弁当の包みも半端じゃない大きさだ。他の宿泊客からの注目がすごい。
そしてまだ少し眠そうなマリーが付きっきりであれこれと給仕をしてくれて、僕とフィオナはどうにかその豪勢な朝食を食べ切った。
お、お腹が重い。さっきまで「おいしい」連発で匙を口に運んでいたフィオナも、今はちょっと放心状態になっている。
もうこれ以上は何も入らないよ。お昼の弁当は少し遅めの時間にしよう。
食事を終えると、僕とフィオナは大きな荷物を担ぎ、女将さんとマリーの見送りを受けて出発した。
ここリトエイナの街からは一日で100kmを走る駅馬車に乗ることもできるけど、やっぱりここから目的地のランデルビアまで3区間の運賃を二人分となると、予算的にちょっと厳しい。
どこかで1区間くらいは乗ってみてもいいかも知れないけど、体力のあるうちは極力歩きで距離を稼ごう。
フィオナとも相談の上でそう決めて、僕たちはまた広い街道の端っこを歩き始めた。
◇
街道を歩いているといろんな馬車とすれ違ったり、追い越されたりする。
3騎の騎兵が先導する4頭立てや6頭立ての大きな駅馬車や、それより少し小さい乗合馬車、そして大きな商会が運営する護衛付きの輸送隊に、小さな行商人の荷馬車。
数の上で圧倒的に多いのは、行商人の荷馬車だ。1頭立てか、大きくても2頭立て。小回りとスピード重視の彼らは、宿場町での投宿に拘らず日没までに走れるところまで走る。
だから、走行速度では宿場町ごとに馬を交換して高速運行する駅馬車の方が断然速いけど、一日に走る距離で比べると、行商人の方が長い距離を進む。それは、場合によっては駅馬車の1.5倍にもなるそうだ。
ちょうど今も、そうした2頭立ての幌馬車が、ガラガラと車輪の音を響かせながら僕たちを追い抜いて行った。
ちらりと見えた御者台には30過ぎほどの恰幅のいい男と、その息子らしい10歳ほどの少年が並んで座っていた。
「あ。危ない」
幌馬車が僕たちを追い越して200mほど走ったあたりで、フィオナがぽつりと呟く。
見ると街道の石畳の上に、レンガ一枚ほどの大きさの石が落ちている。馬車はそれに気づかない様子で運悪くその石に車輪を乗り上げ、ガチャンとけたたましい音を立てながら大きく跳ねた。
「うわっ!?」
今度は僕が叫ぶ。馬車が傾いた衝撃でバランスを崩したのか、御者台から少年が転げ落ちた。少年は石畳の上に投げ出され、さらに悪いことに4つある馬車の車輪のうち2つが、彼のお腹あたりを容赦なく踏みつけていった。
大変だ! 今のは即死していてもおかしくない轢かれ方だった。
その時、僕は自分でも意識せず咄嗟にフィオナへと視線を送った。彼女はそれに無言のまま、ひとつ頷いて答える。それだけのやり取りのあとで僕たちは急いで少年に駆け寄った。急停車した馬車からは、手綱を握っていた恰幅のいい男も飛び降りてくる。
「ああっ! トムっ! ああぁっ、なんて事だ!」
トムと呼ばれた少年は、口と鼻から大量の血を噴いて気を失っている。
重い荷馬車に二度も踏まれた腹部は、切断されてこそいないものの妙な形にねじ曲がってしまっていた。
正直に言って、もう手の施しようのない状態だ。……普通なら。
「うああぁっ! 私の不注意で、こんな…… あああああぁっ!」
父親らしき恰幅のいい男性が、倒れて動かない少年に縋りついて大声で泣き始める。
そこへようやく僕たちも到着し、フィオナが父親を押し退けるようにして少年の側に膝をついた。
「……な、何だあんたたちは! 息子に触らないでくれ!」
「まだ間に合う。離れてて」
「彼女は回復術士です。息子さんを治療できるかも知れません」
「回復術士…… 本当に、治せるのですか!?」
「ここは彼女に任せてください」
「ど、どうかお願いします。息子を助けてくださいっ!」
やる気は十分だけど言葉の足りないフィオナに代わって、父親に説明をする。すると彼は急いで一歩下がり、フィオナを拝むように膝をついて手を組んだ。
そのフィオナは僕に対していつもするように、少年の額にそっと手のひらを触れさせる。
「…………きゃうっ!?」
その途端、彼女は高い悲鳴をあげて体をくの字に折り曲げ、激しい痛みに耐えるようにきゅうっと息を詰まらせる。
「どうした、フィオナ。大丈夫か?」
「……だ、大丈夫。うっかり忘れてた」
恐る恐る背中をさすると、彼女はそう答えてからもう一度、神妙な面持ちで少年の額に手を当てた。
そのまま眉根を寄せ、唇を引き結んで、数十秒が過ぎ去る。
すると突然、潰れていた少年のお腹が、まるで空気でも吹き込んだみたいにぽこぽこと元の形を取り戻し始めた。同時に真っ白だった頬にも赤みが差し、小さく身動ぎしながらううん、と呻き声をあげる。
「おお…… き、奇跡だ……」
「終わった。もう悪いところはない。今は寝てるだけ」
「お疲れさま、フィオナ。ありがとう」
いつもとは違って少し疲れた様子のフィオナにそう声をかけると、彼女は満足そうにうん、とだけ答えて微笑んだ。
◇
「えっ。じゃあオレ、本当に死にかけてたの!?」
「ああ。お前が今生きてるのは、そのフィオナさんのお陰なんだぞ。ちゃんと礼を言っておきなさい」
「フィオナ姉ちゃん、ありがとう!」
「うん」
フィオナが馬車に轢かれた少年、トムを治療したあと、僕たちはその父親である行商人のアンディさんにめちゃくちゃ感謝されまくった。
そして治療費にとアンディさんが差し出した10枚の大金貨を、フィオナが「いらない」と一蹴したので、それならばせめてものお礼にと、僕たちはいまアンディさんの馬車に同乗させてもらっている。
大金貨10枚…… 100万ラン…… くぅっ。
話によるとアンディさんは、僕たちと同じくアルテアからランデルビアまで一直線に商品を運んでいる最中らしいので、このままずっと同乗させて貰えれば予定よりかなり早く目的地のランデルビアへ辿り着けそうだ。
ちなみに、念のためアンディさんのカルマ値を覗き見てみると、これがなんと青字の415。そんな善人で商売人が務まるのかなと、ちょっと筋違いな心配をしてしまった。
それから、フィオナがトムの治療を始めたときに悲鳴を上げたのは、【完全治癒】を使うとき、彼女が被術者の苦痛を共有してしまうためらしい。
と言うことは、これまでフィオナが僕の怪我や体調不良を治してくれていた時にも、僕は彼女に同じような苦痛を感じさせていたんだな。
ウォレスにやられた傷を治してくれた時なんか、相当苦しかっただろうに。……そう思って謝ると、
「アレックスだけは違う。……なんか、ふわふわして気持ちいい」
と言うことなんだそうだ。最近は僕の治療しかしていなかったから、苦痛を共有すること自体を忘れていたらしい。
よく分からないけど、どうやら遠慮はしなくてもいいみたいだ。
それから馬車は快調に走り、昼の休憩では僕たちがマリーの宿で作ってもらった大量の弁当を、アンディさんとトムにもお裾分けして食べた。
アンディさんは、息子の命を救ってもらった上に食事までご馳走になるなんて、と恐縮していたけど、正直僕たちだけでは食べ切れそうにない量だったので、手伝ってもらって助かった。
午後からも特に何事もなく馬車の旅は続き、もうそろそろ日が傾き始めようかという頃、前方の街道の真ん中に人影が見えた。
フードを被っていて顔は見えないけど、服装や物腰を見るにどうやら歳嵩の老夫婦のようだ。お婆さんの具合が悪いのか道に蹲っていて、お爺さんがそれを介抱しているように見える。
「もうじき日が暮れようってのにこんなところで立ち往生とは、難儀だな」
アンディさんは当然のように馬車の速度を落とし、老夫婦の手前で停車しようとしている。場合によっては近くの町か村まで送り届けるつもりなのかも知れない。なんたってカルマ値415だからね。
でも僕は、馬車が老夫婦に近付くにつれて、妙な胸騒ぎが高まってくるのを感じていた。これは……まさか!
急いで【簡易鑑定】を使う。前方の老夫婦のカルマ値は…… 823と674。どちらも赤字、悪人だ!
「アンディさん、止まらないで! 罠だ!」
だけど僕のその警告は、ほんの数秒だけ遅かった。
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