21:もしかして怒ってる?
頭が痛い。目眩がする。お腹の中のものはもう全部吐き出した。
さっきローラの部屋を出てから、僕の体調は一気に悪化した。現在のカルマ値はマイナス56。
たぶん、最後にローラを脅したのが原因だろう。
でも実は、カルマ値の他にも大きな問題がある。
まず、一つ目はレベルダウンだ。
ウォレスにメッタ刺しにされている最中に新しく覚えたスキル、【懲罰の炎】。あれを使った時、頭の中にレベルダウンのメッセージが響いた。……しかも、連続して5回も。
現在の僕のレベルは12。元が16で、そこから5下がって11、そしてウォレスとデビッドを倒したことでレベルアップして12。
つまり【懲罰の炎】を使うと、敵を倒して得られるより遥かに多くの経験値を失うってことになる。
スキルを使うのに魔力じゃなくて経験値を消費するなんてのは聞いたこともない話だけど、僕の場合は実際そうなっているんだからしょうがない。
……あのスキルは、本当に最後の切り札ってことだな。
そしてもう一つ。切り落とされた右腕。
傷そのものは、ローラの治癒魔法ですっかり塞がっている。もう痛みもほとんどない。
たった1回、1分足らずの治癒魔法でこれほどの治療ができるなんて、さすがAクラスパーティの一員。回復術士としての腕は一流だ。
だけど、一度失った腕は戻らない。これを取り戻すには、何百万ランもする回復薬を使うか、教会にそれと同じくらいの寄進をして最上級の神聖治癒魔法をかけてもらうしかない。
それはどっちも、僕には到底手の届かないものだ。
AクラスのウォレスとBクラスのデビッド、二人の高位冒険者を相手にして最終的に勝ちを納め、目的通りにメリッサを助けられたんだから、腕一本の犠牲ですんだのはむしろ幸運とも言える。
でもこの先、僕は左腕一本でフィオナを守り続けて行けるだろうか?
それに口止めはしておいたけど、このアルテアのトップクラスの冒険者が突然姿を消すわけだから、騒ぎにならないはずがない。ローラだって、厳しく問い詰められれば僕のことを話さざるを得なくなるかも。
だからそうなる前に、僕はフィオナを連れてアルテアを出るべきだ。
できるかどうかは問題じゃない、僕はフィオナを守るんだ。そのためには手段なんか選んでいられない。
痛む頭を抱えて、僕はフラフラになりながらおんぼろアパートに帰り着いた。
ああ、しまった。頼まれてた魚の干物、ローラの部屋に忘れてきた。せっかく安く買えたのに……
「……ただいま。ごめんフィオナ、魚の干物を……」
「アレックス!? 腕が…… はやく、こっちに来て。治療する」
部屋に入るなり、慌てた様子のフィオナに左手を引かれて、僕はベッドに横になる。
いつものように彼女の太ももが頭の下に差し込まれ、少しひんやりした小さな手のひらが額に触れた。気持ちいい。
それだけで気分がすぅっと楽になり、僕はものの数秒で眠りに落ちた。
◇◆◇
朝が来た。フィオナの治癒魔法のお陰で、今日も気分がいい。
薄目を開けて窓を見ると、まだ夜が開けてすぐくらいの明るさだ。ちょっと肌寒い。もう少しだけ寝ていてもいいかなと、心地良い膝枕の上でもぞもぞと体勢を変える。
その途中で、僕を見下ろすフィオナと目が合った。その彼女の目の周りはやや赤く、唇はへの字に結ばれている。
あれっ、ずっと起きてたのかな? て言うか、もしかして怒ってる?
昨日は帰りが遅くなったからか、また晩ご飯も食べずに寝ちゃったからか、ひょっとして魚の干物を忘れたから?
僕は急いで飛び起きて、フィオナの正面に座った。
「……お、おはようフィオナ。昨日は……」
「アレックス、ひどい怪我だった。……心配した」
どれも違った。大怪我をして帰ってきて心配をかけたからだった。
そりゃそうだ、干物を忘れたくらいで夜も寝られないほど怒るわけないよな。
「ごめん。でもほら、フィオナのおかげでもうすっかり良くなって…… あれっ、……右手?」
おかしい。昨日確かに失ったはずの右腕がある。ちゃんと感覚があって、なんの違和感もなく動いている。
自分の体を見下ろすと、赤く引き攣れた傷痕だらけだった手足も胴も、綺麗さっぱり元通りになっていた。ボロボロになって血に染まった服がなければ、怪我をしたこと自体が夢か幻だったみたいだ。
……まさか、これをフィオナが?
「僕の右腕、フィオナが治してくれたの?」
「…………」
フィオナは膨れっ面のまま、無言で頷いた。
「まさか、フィオナって、神聖魔法の【完全治癒】が使えるの?」
「しらない。いつもと同じ魔法」
彼女はいつも通り淡々と、何でもないことのように答える。そう言えば最初に会った時だって、足枷を外すために切断した足首が一晩で元通りになってたじゃないか。忘れてたよ。
……ええっ!? そうすると今まで毎晩フィオナが僕に掛けてくれていたのも全部、最上級の神聖治癒魔法、【完全治癒】!?
たった1回で数百万ランの治癒魔法を、毎晩!?
「……すごく心配した!」
「うわっ……と」
あまりの衝撃の事実に言葉を失っていると、突然フィオナが抱きついてきた。その勢いを支えきれずに、僕は彼女を抱きかかえた格好で仰向けに倒れる。
その僕の胸の中で、ぐすぐすと鼻をすする音が聞こえてきた。穴だらけの上着の隙間から感じる吐息がくすぐったい。
「心配させちゃって、ごめん」
再生した右手で恐る恐る、綺麗な空色の長い髪を撫でながら謝ると、フィオナは僕の胸に顔を擦り付けるように、何度も首を横に振った。
そうしてしばらく無言で抱き合ったあと、フィオナがいきなりがばっと体を離して、僕の上に馬乗りになった。
「アレックスが浮気した」
「ええぇっ!?」
「アレックスを治療するのは、わたし。誰かは知らないけど、あんなヘタな治し方しかできない人に、アレックスは任せられない」
浮気、なんて言われてびっくりしたけど、なんだ、治癒魔法のことか。
間違いなく一流の回復術士、ローラの治療を下手くそ扱いするのには思わず笑ってしまった。そりゃあ【完全治癒】の使い手であるフィオナから見れば、不完全な治療だろうけどね。
「分かった。これからはもう、フィオナにしか頼まないよ」
「アレックスが頼まなくても、する。……昨日の晩ご飯は肉団子のシチュー。温めなおす?」
「うん、食べるよ。お腹が空いた」
「……わたしも」
そう言ってやっと笑顔を見せてくれたフィオナが、僕の上から降り、軽い足取りでお皿を取りに行く。
その後ろ姿を見ながら、僕はやっぱり何があっても彼女を守り抜くんだと、そう心に決めていた。
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