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12:……におい、大丈夫かな?

「オラ、飯の時間だぜ。今日こそはちゃんと食えよ」


 部屋に入ってきた男が、いつものようにスープとパンをわたしの目の前に置いた。

 わたしもまた、いつものようにそれを見ないようにする。


 お腹は空いている。すごく。でもぜったいに食べない。


 こうしてずっと食べなければ、そのうち餓えて死ぬだろうと思ったんだけど、残念なことにわたしはまだまだ死ねそうにない。もっと我慢しないと。

 これまでもいろいろ試してはみた。でも、舌を噛み切ってもすぐ治ってしまうし、頭を床や壁に打ち付けて死のうと思っても、自分ではなかなか即死するような勢いはつけられない。


 わたしがいなければ、みんなはあんなに何度も何度も痛くて辛い、恐ろしい目に遭わなくてすむのに。

 わたしさえいなければ、一回だけで終われるのに。


「……チッ、まただんまりか。愛想のねぇ。ボスの言いつけさえなけりゃ、今この場で裸にひん剥いて、自分の立場ってモンを思い知らせてやるところだぜ」


 男が唾を吐いて、それがぺしゃっとスープの中に入った。

 きたない。どうせ食べないからいいけど。


 それで気がすんだのか、男が部屋から出ようとすると、ドアを開けかけたところで急に動きが止まった。

 するとすぐに、また誰かが部屋に入ってくる。ここでは見ない顔で、わたしと同い歳くらいの男の子だ。男の子は、さっきの男を躊躇いなく剣で刺して殺した。


 そしてその男の子が私を見た。ゆっくりと近付いてくる。すごく怖い顔だ。

 あんなに怖い顔をして、もう一人殺してるんだから、きっとあの男の子はわたしも殺してくれるだろう。

 だけど、男の子はずいぶんゆっくりだ。なかなかわたしのところまで来てくれない。早くしないと、誰かが来て邪魔されてしまうかもしれないのに。


 ……焦れったい。


「わたしを殺しに来たの? ……それなら、早くして」


 声をかけると、不思議なことに、急にその男の子が怖くなくなってしまった。

 それでも殺してと頼んでみたけれど、断られてしまった。わたしは悪人じゃないから殺せないらしい。そんなことないと思うんだけど。


 それどころか、男の子はわたしを助けようとしてくれている。

 わたしが助けられる。……そんなことは考えてもみなかった。わたしは助けられてしまっていいんだろうか? これまで、たくさんの人を酷い目にあわせたのに。

 けれど太い鉄の鎖はなかなか切れなくて、それでも男の子に諦める様子はない。このままだと、本当に誰かが来てしまう。急がないとこの男の子の方が殺されちゃう。


 ……それはだめ。ぜったいにだめ。


「鎖が切れないなら、わたしの足を切って。どうせすぐ治るから」


 男の子は驚いて、すぐに「できない」と言ったけど、重ねてお願いしたらやってくれた。

 思ったように簡単には切れなくて、すごく痛かったし、怖かった。

 みんなもこんなに痛くて怖い思いをしていたのかと思うと、少し涙が出た。




 それから男の子は、わたしを背負ったままとても長い時間を走り、自分の部屋に入れてくれた。

 だけど部屋に入ってからの男の子はすごく辛そうだ。顔色は悪いし、汗もひどい。息が苦しいのか胸や喉を掻きむしり、頭が痛いと呻きながら涙を流している。

 そうかと思うと男の子は突然立ち上がり、フラフラとどこかへ歩いていこうとする。ベッドに寝かせようとしたけど、支えきれずにわたしも一緒に倒れてしまった。


 いま、わたしはベッドの上で男の子の下敷きになっている。男の子は、わたしの力では重くてどかせない。

 男の子の顔は、わたしの胸のあたりにあって、まだ苦しそうで呼吸がとても荒い。

 ……そういえば長いあいだ体をきれいにしていないけど、臭くないだろうか?


「そうじゃない。治療、しないと」


 男の子の頭をそっと両手で抱え、あるべき姿を取り戻せと強く願う。

 すると、いま男の子の体を(さいな)んでいる苦痛がわたしの体にも……


「……えっ。……なに……これ……?」


 びっくりした。全然痛くないし、苦しくもない。そうじゃなくて何か、ふわふわしたへんな感じ。

 いつもと全然ちがう感覚で、治癒魔法が失敗したのかと心配したけどそんなことはなく、男の子はすぐにすぅすぅと穏やかな寝息をたて始めた。……わたしの胸の上で。


 ……におい、大丈夫かな?




 ◇◆◇




「この無能どもが! いなくなりました、で済ませられるわけがあるか!」


 いかがわしい店の立ち並ぶ色街の一角にある、看板すら上がっていない非合法な秘密の娼館。

 その一室で、この館の支配人である痩せた冷酷な目つきの男、ロバートが荒れ狂っていた。


 床の上には数人の男が倒れ、蹲って、苦痛に呻き声を上げている。

 そのうち一人の脇腹を蹴りつけながら、怒りも顕にロバートが怒鳴る。


「ダンと! テリーと! ニック! それに客が一人! ……おまけにフィオナ!」

「ゲフッ! ガァッ! グゥ…… ギィッ!? ゴボッ!」


「あの客はフィオナに欲情してやがった! それでニックはフィオナの飯当番! ダンとテリーは客室の見張り番だ! それが全員フィオナと一緒に姿をくらましただと!? そんなもん、どう考えたってグルじゃねぇか!」


「ボス、それ以上やると治療薬だけでは治せません。フィオナがいなければ死んでしまいます」


「……チッ」


 それまで後ろに控えていた、逞しい体格の大男、ゲイルがロバートの行き過ぎた暴力を諌める。ロバートはまだまだ怒りが収まらんと言いたげな表情だったが、ペッとひとつ唾を吐き捨てて踵を返した。

 彼に蹴られ続けていた男は、口から血の泡を噴きながらぴくぴくと痙攣するのみだ。


「ボス。マイクが戻りました」


「マイク! すぐ報告しろ! あの変態商人野郎はいやがったか!?」


「……い、いえ。店にも家にも別邸にも、念のために妾のところも探りましたが、どこにも」


「あンの糞野郎ッ! 引き続き探して、何がなんでも見つけ出せ! あいつの家族は皆殺しだ! ついでに家も店も焼き払えッ!」


「はっ、はい!」


 ロバートに報告を終えたマイクは、逃げるようにその場を立ち去る。

 それは賢明な判断だ。ここで少しでもモタつけば、理不尽なとばっちりを食らいかねない。

 ただ大男のゲイルだけは、そんな恐れなど少しもない様子でロバートに直言する。


「ボス。お気持ちは分かりますが、あまり派手にやりすぎると後始末が大変です」


「構うことか! どうせフィオナはもう手遅れだ、今頃はあの変態野郎にこってり可愛がられてるだろうよ。今更取り戻したところでもう役には立ちゃしない。そしてフィオナがいない以上、この商売は成り立たねぇ。さっさと店仕舞いして河岸を変えるさ。……だが、見せしめだけはキッチリやっとかないとな」


「……なるほど。深慮、お見逸れしました、ボス」


「馬鹿言え、俺はヤケクソで言ってんだよ」


 ロバートはそう言うと、まだ床で痙攣を続ける男を忌々しそうに一瞥し、もう一度唾を吐いてからその部屋を後にした。

お読みいただき、ありがとうございます!

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[気になる点] 仕事人ギルドとか隠密同心ギルドがあれば良いのになぁ~
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