第90話 キキカタナ
あらゆる地獄も、この部屋に比べればたいしたことがないだろう。
地面は赤黒く壁や天井にすら血が飛び散っている。
人の胴がテーブルに並べられ、鉄の鳥かごには首が収まり吊るされていた。籠には無造作に手足が入れられている。
遅れ、血と腐臭、そして糞尿の混じりあった匂いが襲い掛かる。あまりの匂いのひどさに、吐き気を通り越し全身が痙攣し始めてしまう。
「早く入れ。ゾンビ化が感染病ならドアから出て行ったらどうするんだ」
今まさに首のない体をナイフで解体している男は、この部屋の中で最も異質な存在だった。
真っ白な服に真っ白なエプロン。
革の手袋に、つばのない白い帽子、白い布を鼻と口を隠している。
真っ白なのだ。
多少革の手袋に血が付いているが、それ以外は血が飛び散っていない。
やはりゾンビというのは人間とは体の構造が違うのか、それとも体を解体することに関して優れているのか・・・
震えながら解体されている体に近づく。
「気になるところを指摘してくれ。指摘だけだ、触るなよ。その箇所を切り分ける。危険性はお前たちもわかるだろ」
集められた学者たちは生唾を飲み込む。
無論理解している。
魔女のメイクンから、今この砦に迫ってくるゾンビというものがどのような状態の人間なのか、情報をすべて開示されている。
ここに来た学者たちはそのデータを参照し、実物を見なければわからないと足を運んだ者たちばかりだ。
そう、学者たちは望んでこの場所に足を踏み入れたのだ。
「臓器や、骨の形まで変わっている」
「もはや人とは呼べない。変形しているんだ」
不老不死研究。
かつて魔法学園の教師であり、研究者であったクラート・トドによる研究。
それは医学的なモノではなく、魔術的なモノだった。
だが、何十体も体を切り刻み分かったのは魔術的なモノではなく、医学的な変化だとメイクンは感じた。
だからこそ、学者の知恵が必要なのだ。
「変化した骨格や筋肉の形状からして、妖精ではない」
胸の皮を剥がし、肋骨をわかりやすく見せる。
「あらゆる動物とも違う。変化、というより歪んでいると言った方がいい。骨はスカスカ、肋骨は開いて衝撃に弱くなっている」
「人体を自由に変形できるのか・・・?」
誰かが呟いた言葉を、ずっとこの場にいた魔女メイクンが答える。
「そぅなの。とっても悪い事って思うでしょ? だから禁止にしたんだけどぉ、それが気に入らないってクラートは出て行っちゃったわけっ」
メイクンは絵で描かれた人体の構造と、骨の違いを見比べながら話す。
「妖精の代わりにぃ、なんだか別のものを混ぜてるんだと思うんだぁ。たぶんねぇ、ホムンクルスって技術でぇ、ひな形作って思うんだけどぉ、なんでこんな形にしてるのかぁ、わっかんないんだよねぇ」
メイクンはおっとりとした表情を曇らせる。
「クラート・トドはぁ、悔しいけど天才ねぇ。人体の構造をよく理解してないとぉ、ちょこぉっとでも人体を改造したら、普通に破綻しちゃうはずなんだけどぉ」
何か一つを変えるだけですぐに筋肉が破裂、手足や首がもげ、わけのわからない箇所から謎の出血をするようになる。
腐敗しながらも何日も移動でき、凶暴性があり攻撃できるのはすごいことなのだ。
「このゾンビは、いろんな知識がいい調和で作られてるのよねぇ」
まだ人体研究は不老不死には必須かもしれないが、メイクンでさえもよくわからない知識が応用されているのが分かる。
クラート・トドは、無数にある魔術学園のすべての研究を理解している。それは残された研究資料からそのことが垣間見える事だった。
「正直ぃ、メイクンだけの知識だとお手上げなの。なんでこんな形なのかぁ、誰かこれだっ! って言える人いないかしらぁ」
「皮膚を見せてくれ。腐っていない、状態のいい皮膚がいい」
エルフのエメラルドレイクが注文すると、死体の背中を向け尻の上あたりの皮膚をナイフで示す。
「・・・木人化、かもしれん」
学者の一人が前に出て、エメラルドレイクの横に立ちその皮膚を観察する。
「私は、この木人のために命を落としかけました」
青い顔をしていた老人、ユリ・ナイスマンが呟いた。
「私が管理していた森に、木人が現れたのです」
体の中から、小さな虫が出てきた。
ユリ・ナイスマンは反射的にその虫に手を伸ばし潰そうとするが、潰れない。鉄の欠片を潰しているかのような硬さがあった。
指先に痛み走る。
「か、体の中に!」
想定外の状況に、ユリは悲鳴を上げた。
エメラルドレイクは胸元から一枚の紙を取り出し呪文を唱えると、ユリの腕がむずがゆくなりはじめ、腕の中から虫が顔を出し、体の中から出てくる。
「キキカタナ。体の中に入り込み体内を巣にする昆虫だ。元来はトカゲや動物の体内で繁殖する昆虫だが、エルフの体の中にも入ってくる。キキカタナの研究は進んでいる」
すると、多くの死体から何十、何百と小さな虫がはい出てきた。
エメラルドレイクは札を手放し地面に投げると、そこに集まり虫の団子になる。すると札は炎を上げて燃え上がり始める。
ユリ・ナイスマンは震えながら燃えるキキカタナの観察をする。
「私の知っている肉虫・・・キキカタナという昆虫とは形態が違うようだ」
「確かに」
もともと大きな牙のある虫だが、無数の牙が生え、体も炎に包まれながらもなかなか燃え切らない状態にある。
「これは、別種とは呼べん。歯の付き方、鉄のような甲。恣意的なモノを感じる」
「えぇ? それってぇ、この虫がホムンクルスってことぉ?」
「これは、人間とホムンクルスの融合でゾンビになっていたわけではない」
「キキカタナという虫が人間を木人にしてしまうように、ホムンクルス・キキカタナは人間をゾンビに変えてしまう、ということなのか」
状況を見ていた学者が、震える声で呟いた。
「その昆虫がゾンビ化の理由なら、なんで俺はゾンビ化していないんだ?」
白衣の男は呆然と呟いた。
「寄生もされていないようだ。メイクンもそうだ。ここで百体以上のゾンビを解体しているが、それならすでに寄生されていてもおかしくない」
「うーん、メイクンたちがぁ、何かの手立てがぁ、寄生防止にぃ、役立っていたってことなのかしらぁ?」
「完璧に作られた、という訳ではなく、やはりそのキキカタナという昆虫を基礎にして作られているのかもしれない、という訳ですね」
情報が足りない。
エメラルドレイクと、ユリ・ナイスマンに注目が集まる。
「この虫は、かつて私が管理していた森にも存在しました。この虫に寄生された人間は、皮膚がまるで木のように変わり、苗床にする。そして寄生した生物を操り、群れの中で命を落とさせる。そこで別個体に寄生するわけじゃ」
ユリは過去を思い出し、苦しそうに説明する。
「肉虫に寄生され、木人となった者が村へと戻った。その変わり果てた姿、村に戻って死んだときに全身から肉虫がはい出てきた姿を見て、私たち一族が村を呪い殺そうとしたと勘違いし、危うく一族全員が殺されかけた」
「クラートはぁ、それでキキカタナを知ったのかしらぁ」
「確かに、話を聞きに来たことがあった。対処法を知らねば、恐ろしい昆虫じゃ。知らせるためにも、包み隠さず説明させてもらった」
エメラルドレイクは、燃えながらもうごめく虫の姿を見ながら考え込む。
「キキカタナは寄生しても、せいぜい10匹ぐらいだ。しかも木人となるまでに10年はかかる」
やっと小さな黒い灰になったキキカタナを踏みつけ、再び札を出し発動させるが、新たなキキカタナは部屋から出てくることはなかった。
「繁殖力も弱い。体内でなければ卵を産まず、卵を産んだとしても孵る可能性は低い。成長も遅く、とにかくすぐに死ぬ。木人になる可能性は極めて低い。ユリ殿の言っていた村人は、10年前から寄生されていたのだろう」
「寄生力が強く、生命力もあり、繁殖力が強く、あっという間に木人化、というよりゾンビ化させていると考えるべきですかな」
エメラルドレイクは懐から札の束を取り出す。
「札は戦争故に多く持ってきたが、どう考えても足りない。ユリ殿、人間はどうやってキキカタナの予防をしていたのですか?」
「肉虫は、嫌うハーブがあります。それを使えば寄生されない。寄生されても、体の中で死んでしまいます」
一人の学者が手を上げる。
「話をまとめさせてくれ」
誰もが頷いた。
「まず、ゾンビは昆虫、キキカタナが寄生することによりゾンビ化する」
「そしてその昆虫を払う方法がある。エルフの魔法以外にもハーブを使えば虫払いができる」
ナノ・ナイスマンは更に言葉を続ける。
「何故彼らがこちらに向かってきているのかも謎です。寄生され操られるが、こちらに真っ直ぐ向かってくる理由もわからない」
とりあえず部屋から出て、更なる協議をすることとなる。
ゾンビ化の正体がわかり、すぐさまエルフたちは砦内でキキカタナの駆除が開始された。
キキカタナの嫌うハーブは料理班が大量に持ち込んでいることが判明した。その料理をたらふく食べていた魔女メイクンと白衣の男は、寄生されなかったようだ。
このハーブは繁殖力が高く普通は雑草として周辺に生えているようで、人間はあまり食さないが獣人たちは虫払い以外の効能をよく知っており、ブラッドハウンドたちはハーブ集めに砦を出ていく。
そして、司が見るからにヤバそうなゾンビを見つけた。
全身が膨れ上がり、今まさに爆発しそうなゾンビだ。そのゾンビは、哀れなことに多少意識が残っており、彼らは救いを求めて村や町へと進んでいるようなのだ。
その哀れなゾンビに惹きつけられ、ゾンビたちは移動していることが判明した。
それを踏まえ、色々と対策が練られていく。
ゾンビの大群との決戦は近づいていた。




