第88話 終わりの始まり
司は、驚きのあまり言葉を失った。
空と大地しかない世界。
そこに、巨大な防壁が現れたのだ。
補給隊が本隊から離れて一日ほど。それなのに目の前に巨大な、そして立派な防壁がそそり立っている。
堀はないが板橋が降り、道ができた。
補給隊が中に入っていくと、中では作業中の騎士たちが手を止め、拍手と共に歓声が上がった。
一般人たちの進軍が無事、前線へとたどり着けたのだ。
戦いのプロフェッショナルとしては、思わず歓声もあげたくなるのだろう。
しかし・・・
司は唸ってしまう。
防壁の中も、また見事に区画整理がされている。
ゾンビの侵入があった場合、後退しながら最終的には丘の上に建築中の砦に逃げ込むように作られているようだ。
立ち並ぶテントの数を見ながら、感嘆のため息をつく。
人間ってもんは、「もう普通に働いた方が楽だろうにと」思うほどに不正を行おうとする。
しかし目的意識をちゃんと持って行動していれば、一日で立派な砦が作れてしまうのだ。
「なに黄昏てんだ、クソったれ?」
「これを見て感動しない奴なんていないさ」
わざわざ精霊騎士団の団長ジョブ・ロイズが補給隊の駐屯地区に案内にやってきた。
「もともとマリグ帝国は工兵が優れてる国家だ。切り開く森はなく、周辺に材料になる石が大量に転がっている」
ジョブは肩をすくめる。
「そのうえ精霊騎士団に聖騎士団、ペガサス騎士団とドラゴン騎士団の精鋭が集められている。更にだ、ホットシータウンで働いていた魔族、空を飛んで建築のできるハーピィもいる。このぐらいは当然だ」
ジョブもまんざらではないようだ。
「それにしても、あのツヴァイって男は何なんだ?」
「何か問題でも?」
「いい男だ。あの武神とやり合って生き残るだけでも驚きだが、シレっと軍を進軍させ狙っていた目的地、この場所に砦を作ることができた。どこで拾って来た? 何だったら俺んところで面倒見てもいいんだぜ、え?」
彼の肩を叩く。
「英雄なんてどこにでもいるもんさ。そうだろ、ジョブ」
司もまんざらででもなかった。
補給隊はやっと野宿から解放される場所にたどり着けたというのに、慌ただしく行動し始めた。
医療チームは駆け出し、怪我人の元へ。
筆を持つ者たちは兵士たちの欠伸すら書き残そうと手を動かし、吟遊詩人たちは戦士たちの心を休ませる歌を奏で始める。
後は彼らの自由にさせ、ジョブと中央にある砦へと向かう。
まだ建築中ながら、中は広く完成すれば丈夫な城へと変わるだろう。
「それじゃぁねぇ、ゾンビの基礎知識を、勉強しましょうねぇ」
魔法学園教師兼学者であるメイクンが集まったメンツに話しかけた。
騎士団長たちはもちろん、中には数学者や医療チームの姿もある。何しろこれから戦う敵なのだ、隠すどころか広く知られなければいけない情報だ。
「クラート・トドって言う魔術師がねぇ、不老不死の研究をしていたの。だけどぉ、そこの悪い子がねぇ、人の命がどうたらこうたらで禁止しちゃったの。怒ったクラートはあちらさんに寝返っちゃったって、大変なことが起きたって話ね」
司は注目され、何かおかしなことをしたかい? みたいな表情を向ける。
「で、ねぇ。クラートが置いてった資料見た感じだとぉ、人間とぉ、死なない妖精さんの成分をぉ、混ぜ混ぜして不老不死になろうって研究なのよねぇ」
メイクンは「えーと」と呟き、興味がないのだろう眠そうなペインスを指さした。
「右半分が人間、左半分が妖精。さて、その人はどうなっちゃうと思う?」
「え? 俺?」
「そう」
ペインスの声は甲高くなり、焦りながら周囲を見渡すが誰も助けてくれそうになく、上を向いていた口ひげが、へなへなと下を向く。
「えっと、二つに分かれて死んじゃう、とか?」
おどおどと返した答えに、メイクンは声を上げて笑った。
「はは、間違えてしまいましたかなぁ」
「違うちがう! 逆よ、大正解!」
メイクンはあーおかしいって言うように笑い涙をぬぐった。
「だってぇ、えらい偉いクラート先生なんかよりずっと賢いんだもの! ばっかよねぇ! 普通わかるじゃん、体の中が別のものに変わっちゃったらぁ、死ぬって」
メイクンは信じられないと首を振る。
「ほんと、バカの考えることはわっかんないわ。人体実験って奴ね、体のどこを妖精にしたら不老不死になるのか、沢山研究を楽しんでるみたい」
「どこを変えても人間は死ぬぜ」
ゾンビ説明会に参加していた一人の若者が声を上げた。
「人間の体は色々な偶然、奇跡と呼べるほどの積み重ねで今の状態なんだ。ぽっと出の器官なんぞと変えられるわけがないだろ」
「そこに関してはぁ、メイクンも同じ意見ねぇ。偶然、必然が積み重なってこの世界はできてるわぁ。それを一枚ずつ捲っていくのが魔術の面白いところでぇ・・・」
司は咳き込んで話を戻す様に急かす。
「ん~、まぁ、クラートの狂気の実験結果がこちらにやってくるって話。半分死んで、半分生きてる生物。わかりやすく言うと」
歩く死体。
司がある程度説明していたので覚悟をしていた面々も、はっきり言われると言いようもない憤りが隠せないでいた。
「歩く死体がぁ、なんでこっちに向かってきてるのかはぁ、謎」
集まった面々は少し拍子抜けした。
「とんでもない数が来てるらしいけど、クラートの残した資料だと一人ずつしかゾンビは生まれないはずだから、沢山の数をどうやって作ったのかも謎。メイクンはぁ、その謎を解きに来たの」
メイクンは顔をしかめる。
「メイクンがぁ、ちゃんと調べるまで戦ったらダメだよ。近づくだけで、ゾンビになっちゃうかもしれないからねぇ」
「話が違うじゃねぇか。え? 噛みつかれたらゾンビになるじゃねぇのかよ」
司は首を振る。
「物語のゾンビの話だ。ここはメイクンに従うべきだと思うが?」
誰も異論は出なかった。




