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第72話 スローライフ中


 外はもう寒気に包まれ始めていたが、城の中は少し汗ばむほど温かかった。

 ユリナは腹を撫でながら、獣人の町フロンティアで作られた眼鏡を持ち上げる。


「相当キツイわね」


 向かい側に座る司も書類に羽ペンで計算しながら、頷く。

「スノー家と事を構えたのがこんなに響くとは思わなかった。相当数あちら側に移るとは思わなかったな」

「大きな川の流れに身を委ねる小舟は、流れを見るものですよ」

「まだまだってことだね、僕たちも」


 司とユリナは顔を見合わせ、笑みを浮かべる。


「なにかった時のためにと思って、蓄えがあってよかったですね」

「僕たちはいかんせん、貧乏だからね」


 何もない不毛の地で、国からの支援も期待できない状況下。

 更に軍事施設を作り、それを維持するための町づくり。

 コネと言えばクーデターを起こそうとしていた一派のみ。


 創意工夫でコツコツやってきたのだ。

 クビにできないポンコツ使用人や、若造と舐めてかかる商人、変な宗教連中に命襲われる中で一生懸命やってきたのだ。

 そりゃ備えはしっかりとしている。


「でも、勉強になったよ。善政を敷けば繁栄するが、国防費が全然集まらない。悪政なら衰退するけど、戦争するお金が手に入る。なるほど、そりゃ世の中よくならないわ」

「ふふ、ほんとね」


 蓄えというのは、お金は食料のような実質的な物資があればいいというものじゃない。

 一番は、結局人脈だ。

 川の流れをどう作り出し、小舟を操るかにかかっている。


「あの少年は、そういうやり方が嫌いみたいだったけどな」


 人間離れした容姿の少年を思い出す。

 まるで、死に別れた友人たちのようだった。


 悪を倒せば正義が勝つ。

 そうすれば自然と世界は平和になる。


「どうやら僕が、退治される悪党のようだ」

「なんの話?」

 司は少し照れながら首を振る。

「ステロ伯爵は僕をどうしても悪の枢軸に置きたいらしいね」


 彼女は弱ったように頷く。

「彼に嫌われるだなんて光栄なことよ。最終的に彼が指揮を取ることがわかるとどんどんこちらに寝返ってるもの。・・・戦争で半分ぐらい死んでくれないかしら」

「は、はは、物騒なこと言うね」


 とは言いつつも、戦争になれば厳しい戦いになるかもしれない。

 相手は、何のためらいもなく街1つをゾンビタウンに変えてしまった。

 最悪そんなことも起きるかもしれない、そんな風に思っていたが、まさか本当にここまで頭のネジが外れているとは思わなかった。

 あいつらは、自分が助かるためなら領地の人間たちを全員ゾンビ兵に変えることなど躊躇わないだろう。


「とりあえず、目下の問題は農場主たちの反乱かな」

「警察たちを動かすのですよね? 反発はないのですか?」

「むしろ張り切ってるよ。明確な秩序を乱す敵であり、彼らが得意な暴力の執行だからね」


 警察と司は名称を付けているが、日本の警察とは全く別の組織だ。

 元が傭兵や軍事関係者、もしくは盗賊団だったメンツを集めて作った治安維持部隊ではあるのだが、はっきり言ってしまうとモリオウ領の軍隊だ。


 下手に軍隊を集めると周辺から「反乱でも起こす気か?」と睨まれるので、「いえいえ、これは治安維持部隊なんですよぉ」と言い訳するための仮面。


 というのが、表向きの言い訳だ。


 司はぶっちゃけ、本当にただの治安維持部隊にするつもりだった。

 世界を巡って見えてきたのは、兵士は何故か妙に偉そうなのだ。日本の警察に慣れていると、とても信じられないほどに。

 だから、親しみやすく立派な職場を作りたいと思ったのだ。


 職があり、食べられて、周囲の人たちから尊敬される仕事。


 必ず更生すると信じていたが、彼らはまさしく期待に応えてくれた。

 ブルースーツはホットシータウンの精神を形にした姿だと、名物の一つになっていた。


「僕としては綺麗ごとの一つとして警察を守っていきたかったんだけどな、汚れ役を負ってもらうよ」

「英雄は続けるのですか?」

「相手はなりふり構わずゾンビを作り出すかもしれないからね。キラキラ輝く英雄像を前面に出す方がいいって、軍師さまがね」


「3人の騎士団長がステロ伯爵に逃げ込んだのでしょ? 大丈夫なんですか?」

「問題ないよ。どうやら三人合わせて百人程度らしくてね、軍隊あっての将軍、いきなり軍隊を集めてもそこそこ訓練しなければ役に立たないんだ」

 司は目の前の紙に、どうでもいい落書きを始める。

「そうだな、今から人を集めて、訓練して、冬が終わるぐらいかかるよ。それで逃げ出さず真っ直ぐ進む軍隊ができたら相当の名将だね」

「そういうものなのですか?」


 最強の陣形は、大群で真っ直ぐ進軍に勝るものはない。

 だからこそ、戦争プロフェッショナル達はあれやこれ対策を考えてきた。


「ま、あちらさんも黙って負けるとはおもえないから・・・・・・そこら辺はうまいことするさ」

「あなたがそういうのだから、きっと大丈夫よね」


 もちろんと笑って見せる。


「冬は近いですけど、差し当たって食料どうしましょうか」

「多少は周辺から融通してもらうとして、海での漁で何とか食つなぐしかないかな。魔族なら冬の海でも難なく漁ができるから、フロンティアに行ってダークアイと話し合って来たよ」


「ホットシータウンのイベントごとはどうします? 自主ムードで中止にするべきだという雰囲気よ」

「むしろ騒いでもらわないと! 感染症が蔓延してるわけでもなし、こういう時にこそ騒いで経済を回してもらわないと。正義の英雄司が帝国の敵と戦いに行くのだ! 残る者たちは英雄司を支えよう! ってね」


 ユリナは笑った。

「悪い人ね」

「戦争は数年、数十年はかかるものだから、こういう時にこそ好景気になってもらわないと、前線の町ホットシータウンは成り立たないんだよ」


「そうそう、医療団はどうなりました?」

「もちろん準備は万端だよ。ほぼほぼ薬学師ばかりだけど、できる限り医療に精通した人たちを集めたつもりだよ。僕の世界じゃ魔法も奇跡も存在しない世界だったからね。頼みの綱は医者だよ。この戦争は、申し訳ないけどいい機会だとさえ思ってる」

「奇跡は神頼みであることが多いものね、医療は広く伸ばしていくべきだわ」


 ユリナは息をついて、眼鏡を外した。


「ああ、ごめん。体大丈夫? だいぶお腹も大きくなってきたことだし、少し休もう」

「いやよ、普段家にいないあなたがいるんですもの、とことん付き合ってもらうわよ」


 彼女は楽しそうに笑った。


「妊娠は病気じゃないのよ、四六時中寝てられないわ。医師も過度な運動は避けるべきではあるが、多少は動いた方がいいと言っているわよ」

「う、うん」


 わかってはいる。

 わかってはいるんだが、とても落ち着かない。

 世のお父さんはみんな同じ気持ちになるんだろうなぁ。


「クリスティーナは言っていたわ、お腹の子にいいことは、お母さんが笑っていることですって。こんな楽しい事、やめられないでしょ」

 女の仕事と言えば、料理と編み物、そして子を産み育てること。

 それだけなんて耐えられない!

 この世の中は沢山の生き方があり、世界を彩っている。

 食堂を切り盛りする女性、舞台で人々を感動させる女性、絵を描く女性、男と子を養いながら働く女性、そして、自分のように働く女性。

 世界一、この町には綺麗な女性の集まる場所なのだ。


「この子も、きっと元気な子が生まれるわ」

「そうか」

 司は思わず、それもう、だらしない笑みを浮かべた。

 見たこともない笑みに、ユリナは苦笑した。


「そうね、ただ一つ不満があるわ」

「なに? なになに? どんな願いもかなえるさ、神を殺すことだっていとわない!」

「愛人を作りなさい」


 司はガッカリとして聞く耳持たないと椅子に寄りかかる。


「わたくしが生むとしても、せいぜい5、6人。たぶん、2人か3人が現実的な数よ」

「十分じゃないか」


 ユリナは身を乗り出す。


「なにが十分ですか! あなたの血は残されなければいけない。100人も200人も! 愛人を作ることが神を殺す事よりも困難なことなのですか!?」


 そうだよと司は無言で伝えてきた。


「あなたはこの国、この世界のために捧げています。この先、あなたに勝る王はなく、聖人もいない。あなたの子が老い、命尽きるその時この世界にはあなたの子が必要になるのです」

「僕はそんな立派な人間じゃないって、何度も言ってるじゃないか」


 司は何度も言ってきたことを、何度でも繰り返す。


「君がいればいい。これが僕の最大の望みだし、それがいは必要ない。あ、生まれてくる子もそこに加えさせて欲しいな」

 真なる王は子をまき、地を豊かにし、森を産む。

 古い言葉があるが、ユリナには彼の方がよっぽど真なる王に思えて仕方がなかった。








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